居候 夕食のとき
衣装選びからようやくシュナが解放された頃にはすっかり夜になっていた。
細かい事はよくわからないが、その場で買い上げられた物と、今から作るので後から届く物があるらしい。この場で買われた数着でもう十分だとシュナは思うのだが、どうも他の人達はそう考えていないらしい。
怒濤の着せ替えが終わって軽く放心状態にあったシュナは、「じゃあ今着ている物はそのままで、他にはここからここまでと、それと……あ、これは合わないから外して。そっちも二番目と被るからいらない。あとは……」なんてデュランが躊躇なくほいほいあれこれ指差したことに一瞬卒倒しそうになった。
(この中から一着とか、そういうことではないの!? そんなにいただいても着られないわ!)
確かに毎日違うドレスをまとう、お姫様のような生活に憧れたことがないと言えば嘘になる。それでも塔の中では三着程度を着回していて生活はできた。せっかく素敵なドレスなのに棚の中に眠らせてしまう予感があるし、それだけ好意や親切を向けられてもシュナには返せる物がない。
物知らずなりに、普通は何かをもらうには返すものがあるのだということ(交渉、とか買い物、とか言うのだ!)、贈り物をするのは親しい間柄の証拠、赤の他人にはしないものだということぐらいはさすがに知っている。
父からの贈り物なら、喜んで受け取れた。自分たちはそういう関係なのだし、父が自分を愛してくれていることに何の疑いも持たなかったからだ。
けれど今はそうではないと思う。彼らの好意自体は嬉しいが、今でも十分なのにこれ以上もらうとなると、過剰に感じられて不安になってくるというか。
しかし悲しいかな言葉は封じられており、頼みのデュランもシュナの「そんなになくて大丈夫!」という念を込めた視線には気がつかなかったらしい。むしろ、
「トゥラ、もしかしてこのドレス好きだった? うーん、形は悪くはないんだけど、ちょっと色がきつすぎるような気がするから外したんだけど……え? 違う? じゃあこっち? 可愛いけど、君には子どもっぽすぎるかなって……違うのか。なるほど。そうかわかったぞ、それなら全部買えば問題解決に……えっ、何、これでも駄目か、ごめん、痛くないけど何!?」
なんてとぼけたことを言い出したので、思わずもらったばかりの扇子を彼の脇腹につきたててしまった。
(ちーがーうーわー!)
とシュナが全身全霊で主張したおかげだろうか。
結局最終的にドレスは十着で決着した。十分多いが、粘りに粘って勝ち取った最低値である。
「お嬢様は無欲な方ですねえ……あ、でもこれはいかがです? 今なら髪飾りもつけますよ? こっちも!」
仕立屋が未練たっぷりにあと三着ほどすすめてきたが、心と力を込めて首を横に振った。むしろ三着減らしてほしい。
「まあ、他にも必要な物はまだまだあるし、足りなくなったら呼ぶから……」
なんてデュランは微笑んでいたが、これ以上何を注文することがあるというのか。シュナは目を遠くする。
(お金持ちで、きらきらしているのは知っていたけれど、これが貴族の普通ってものなのかしら……本当に……?)
もう夕食の時間とのことだったので、すっかり今日はもうやるべきことは全て済ませた気持ちで案内される。これまた食べきれなかった朝と昼、それ以上にテーブルの上にずらりと皿が並んでいてくらりとする。しかもこれが全部というわけではなく、後から後から出入りする給仕係達がなくなった皿を引っ込めてはまた新たな皿をもってくるのだ。
いちいちスケールがシュナの思っている以上の形で襲いかかってくる。慣れるまでは当分軽めの頭痛に苛まれることになりそうだ。
おまけに今回は侯爵夫妻も同席しており、より一層緊張する。
侯爵の方はデュランと同じように、疲れていないか、足りない物はないか、困っていることはないか、等と気遣ってくれる。
夫人の方は早速マナー特訓をスタートすることにしたようだった。
ぴしりぱしりとてきぱきした物言いではあるが、できなければもう一度手本を見せてから繰り返させ、できるようになるとちゃんと褒めてもらえるのが嬉しい。
(貴族って大変なのね……)
しみじみ思いつつナイフと格闘していたシュナは、お皿に当たって音を立ててしまっても未だ両断できない肉の様子を見てからデュランの方に目を移す。彼はすぐにシュナの状態と困っていることに気がついた。
「何? うまく切れない? じゃあこっちに寄越して……」
「デュラン」
気軽に手を伸ばそうとするデュランをぴしりと夫人が制した。
「トゥラ。そういうときは給仕係を呼ぶのです。周りで控えている者達ですよ。先ほど教えたとおりに食器を置いて……そうです。それから手を上げて……頭の上で振るのはいささか大げさですね。こう、テーブルの上で少し上げるだけで結構、気がついてもらえますよ」
「母さん、そんないいじゃないか、俺がやるから……」
「お前もお前です。甘やかすのは構いませんが、自分がいつも側にいられる訳ではないでしょう? 今の特別な状態で慣れさせてしまえば、お前がいないときに困るのはこの子の方ですよ。いつでも連れて歩けるなんてことはないのですから」
「別に俺はそんなつもりじゃ……」
「あ、では代わりに儂がお手本を見せれば万事解決なのでは……」
「旦那様もここぞとばかりに出てこないっ」
「はい」
男達二人はぴんと背筋を伸ばした。
シュナは大人しく、言われた通りに給仕係を呼んでお皿を持っていってもらう。その後しゅんとしていると、優雅でありながら効率よく肉を片付け終わった夫人が軽く口元を拭ってから再び声を上げる。
「何も絶対に頼ってはいけないとは言いません。他の選択肢も身につけなさい、ということです。信用している人以外に任せられないこと、他に頼る人が見つからないこと、誰を頼っていいかわからないことなら、今まで通りになさい。あなたはあなたの思っている以上にいろいろなことができるのですよ。デュランはそれがわかっていません」
「ふぅむ、気合い入っとるな。トゥラはいずれシシー並みの自律人間に育つかもしれないのう」
シュナは夫人の言葉にパッと顔を上げて目を輝かせたが、どうもデュランがあまり気乗りしなさそうな顔をしていることだけが気になる。
(何か、嫌なことでもしてしまったかしら……)
「お食事中失礼致します。子息閣下はおいでですか」
彼女がやきもきしている気持ちを募らせるちょうどその瞬間、誰かが部屋に入ってきて食卓に声を掛けた。あ、と思ったシュナが思わずそちらを向いてみると――やはり知っている人だ、ネドヴィクスの逆鱗を持つ女騎士、リーデレット=ミガがきりりと顔を澄ませて立っていた。
わざわざデュランを呼びに来るなんて何かあったのだろうか。侯爵一家の空気も心なしかピンとしたものになる。
「どうした、緊急事態か」
「閣下、申し訳ございません。それが、迷宮の竜達のことでお話が……」
「わかった、すぐ行く。俺はもう食べ終わっているから」
仕事中だから、なのだろうか。リーデレットの声は少々低めで、口調も硬い。呼ばれたデュランは素早く片付けると席を立った。心配そうに目で追いかけるシュナに、部屋を出て行く前に止まって振り返り、微笑んだ。
「トゥラ、また後で。何かあったら、コレットに聞いて」
彼の後ろからちらりとリーデレットがシュナに目を向ける。一瞬ドキッとするが、何事もなく扉は閉じた。しばしの沈黙の後、うーむ、と声を上げたのは侯爵である。
「にしてもあやつ、てっきり基本から淡泊なのだと思っておったが、実は今までストライク対象が現れていなかっただけで、全面的に依存させたい方が本性だったのかのう。気持ちはわかるがの。可愛いからの」
「自分で用法用量を守ることができるのなら何も言いませんが、際限がないのですから困ったものですわ。あれではその辺の少年と何ら変わりないではないですか」
「いやシシー、儂らあやつが出来る息子だから時々忘れるが、あれでも十九歳、成人済みではあってもまだまだ未熟な若造だわい。むしろ今までが背伸びさせすぎていたのかもしれぬよ。儂はいいと思うけどなあ、このままでも。我が家、なんだかんだその程度の余力はあるのだし、余計な事を考えずに幸せにしていてほしいというのも男心よ……」
「ご自分がどこの領地を治めていらっしゃるか思い出して下さいな。この先どうになるにせよ、無垢なだけのままで苦労するのはトゥラの方ですよ。どうせデュランは懲りずに堕落させてくるでしょうから、彼女の方にこの先もしっかり言い聞かせていかねば。あたくしは負けませんよ」
「ひえー……」
自分が話題に上がっているらしいけれどやっぱり話がわからない、と思っているトゥラの前に、切り分けられた肉が戻ってきた。夫人の視線がこちらに飛んできて、ピンと背筋を伸ばす。
「さ、おさらいですよ、トゥラ。ナイフとフォークを持ち替えない。こう刺して、こう……やってごらんなさい」
早速夫人から指示が飛んできたので、彼女は慌ててまたしばしの間食事と格闘を始めることになった。




