セッション74 力士
『貪る手の盗賊団』へと視線を向ける。現段階で最も山頂に近付いているのは彼らだ。その動向は気になる。
纏まりつつも散開する集団の中央に一際存在感のある男がいた。肥満体の中年男性だ。理伏から人相書きを見せて貰っていたから分かる。彼こそが盗賊団長の色鳴五右衛門だ。
「思っていたよりも罠が少ないな」
進行先で部下が罠を解除しているのを眺めながら五右衛門がぼやく。
「ウチらなら毒ガスを大量に撒いていますもんね」
「空気よりも重い奴な。山頂から垂れ流しゃあ一網打尽よ」
近くにいた部下が相槌を打つ。彼らの語り口に罪悪感は見られない。毒を撒く程度は当然の戦術だと思っている証拠だ。
「まあ、連中にとっちゃあここは生活の場でもあるからな。汚染し過ぎて、後で生活に困るような事態にゃしたくねえんだろう」
「あー。獣狩ったり山菜採ったりとかしてんでしょうね」
「鹿とかいんのかなー、この辺」
散らばる罠の残骸を踏み越えて、盗賊団は悠々と進む。途中、罠の解除に失敗して死傷した部下が何人も転がっていたが、誰も気にも留めない。団長も団員も仲間の死体を足蹴にして進んでいく。イタチが外道呼ばわりしていたのも頷ける所業だ。
「そういやぁ別動隊の連中は……」
団員が口を開いたその時、丸太が急襲した。樹の上に吊り上げられていた巨木が五右衛門達に弧を描いて落ちてくる。
「はっきょいっ!」
その丸太を五右衛門は正面から撃退した。下から上へと平手で相手を突く技――相撲の突っ張りだ。丸太が破砕し、木片となって周囲に飛び散る。一撃で木端微塵、人間のそれとは思えない威力だ。
「解除し損ねた罠か!?」
「いや、違ぇ! このロープの結び方は手動で落とされたモンだ! つまり今、こいつを落としてきた奴が――」
――すぐ近くにいる。
五右衛門がそう言おうとした時には既に理伏が背後にいた。
一陣の風が駆け抜ける。刀が描くのは五右衛門の右肩から斬り下ろす軌道だ。鮮血が夜の森に撒き散らされる。
だが、その出血は五右衛門の物ではなかった。
敵の接近に気付いた五右衛門が咄嗟に部下の首根っこを掴み、自分の前に差し出したのだ。身代わりにされた部下は何が起きたのかも分からないままに絶命した。
「……ついさっきまで喋っていた相手でも平気で盾にするので御座るな、貴様は」
「近くにいたこいつが悪い、って奴よ」
団員の死体を挟んで理伏と五右衛門が睨み合う。
直後、風魔忍軍が盗賊団に襲撃を仕掛けた。進行方向より左側からの攻撃。盗賊団にとっては横合いから殴られた形だ。闇夜に響く部下の悲鳴を聞いて、五右衛門が舌打ちする。小声で「情けねえ奴らめ」と零していた事から、苛立つ先は風魔よりも部下に向けられている様子だ。
「お命頂戴」
「やってみな、小娘」
五右衛門が挑発すると理伏が苦無を投げる。黒塗りの苦無だ。闇に溶け込むそれを、しかし五右衛門は難なく躱す。同時、理伏が五右衛門に肉薄した。振るった刀には風を纏っていた。忍術『島風』だ。
人体を容易く裂く一閃を、五右衛門は右掌で防いだ。
「……!?」
その時、異様な触感を理伏が覚えた。必殺の意志で振り抜いた一閃だというのに手応えがない。腕力も握力も風力も霧散してしまった印象。力の全てが喰われて消えてしまったかのような感触が刃を握った手にはあった。
「どすこいっ!」
瞠目する理伏に五右衛門の張り手が迫る。しかし、そこは敏捷に秀でた忍者。咄嗟に身を翻し、理伏は辛うじて張り手を回避した。理伏の頬を五右衛門の指先が掠め、一筋の血が流れた。
距離を取る理伏。そこでようやく五右衛門の異形に気が付いた。
五右衛門の両掌には口があった。左右に一つずつ、濡れた赤い口が開閉を繰り返している。牙も舌もあり、本物の口にしか見えなかった。
「……『底なし喰らい』の五右衛門。確かそう呼ばれていたで御座るな」
「ほう。俺の二つ名を知っていたか。最近はあんまり前線には出ていなかったから、若ぇ連中だと知らねえ奴も多いんだがな」
自分の異名を呼ばれた五右衛門がニタリと笑う。
「魔術『悪食』――悪徳の神イゴローナクより与えられた力だ」
『悪食』か、聞いた事がある。
僕の『捕食』と同じ食に関するスキルだが、使用目的が違う。『捕食』は相手の魔力や寿命を自分のものとして吸収する能力だが、『悪食』は喰らう相手を選ばない能力だ。生物しか喰えない『捕食』と違い、無機物だろうが流体だろうが何でも喰える。エネルギーでもダメージでも使い手が認識出来るものは全てだ。
一方で、『悪食』は喰らったものを魔力としてしか消化出来ない。相手の力をそのまま自分のものにする『捕食』とは異なり、寿命を延ばしたり体力を回復したりする事は不可能なのだ。
「さあて、どうする? ダラダラ戦っていたら先に行ってた連中が戻ってきちまうぜ。そうなりゃあお前ら、奇襲の筈が囲まれて挟み撃ちにされちまうな」
「無論。速攻で貴様の首を刎ねて離脱するまで」
「くっははははは! 良い啖呵を切るじゃねえか! 面白ぇ、やってみろよ!」
五右衛門が体を丸くして屈み、中腰の状態となる。左手を地に着けて理伏を見据える様はまさしく相撲の立合いだ。一〇〇〇年後の日本で相撲の文化が僅かにでも残っていたとは驚きだ。
理伏も応じて刀を構える。両者戦闘の合意が成立したのを確認して、五右衛門が右手も地面に下ろした。空気のひりつきが最高潮にまで高まる。
「さあ、のこったのこったぁ!」
五右衛門が地を蹴り、かち上げを繰り出した。




