幕間7 悪徳令嬢
朱無市国貴族街。貴族街の中でも一等豪華な家屋が並ぶ一角にて。
「ぬぁ――んでですの――――ッ!」
少女の絶叫が響いていた。
「どいつもこいつも怖気付いて! 『総長のお孫様』とやら何だって言うんですの! そんな奴よりも! このわたくしの! 機嫌の方が! 何十倍も何百倍も優先されるべきでしょうに!」
少女が花瓶を手に取り、思い切り床に叩き付ける。高い音が響いて花瓶は割れ、花と水を撒き散らした。
小麦色の美しい髪を持つ少女だ。藍色の豪奢なドレスに化粧の施された顔立ちは深窓の令嬢と呼ばれるに相応しい上品さがある。しかし、人を見下す事に慣れた淀んだ眼と乱暴な言動がその外見的魅力を台無しにしていた。
「許さない……許しませんわよ、イタチ一派……いいえ、『カプリチオ・ハウス』……!」
歯軋りをしながら怨嗟の声を吐き出す少女。少女の八つ当たりによって幾つもの調度品が破壊され、部屋の中は荒れに荒れていた。
彼女の名は網帝寺有紗。市国貴族の中でも三本の指に入る網帝寺家の御令嬢である。
秩父盆地は朱無市国に所属している。その管理者を務めているのが網帝寺家だ。管理者といっても名義だけであり、実質的な統治はしていない。国境が曖昧なこの時代で、精々他国からの侵略に抗う後ろ盾になっている程度だ。それでいて秩父盆地からの納税を途切れさせた事はない。網帝寺家が途切れる事を許さなかったのだ。
それもイタチ建国までの話だったが。
「お嬢様、失礼致します」
コンコンと控えめな音が室内に響く。扉を開けて入ってきたのは白黒のメイド服を着た今屯灰夜だった。
「……あら。貴女みたいな娘、うちのメイドにいたかしら?」
「つい先日雇われたばかりですので、見覚えがないのも無理はないかと」
「そう……ですかしらね? まあメイドは入れ替わりが激しいですものね」
有紗はそう言うが、実際にはそんな事はない。入れ替わりが激しいのは有紗の所のメイドだけだ。有紗が度々メイド達を腹いせに叩いたり嫌がらせをしたりする為、辞める者が多いのだ。今、彼女の下にいるのは有紗の所業を流せる程に強かな者か、何もかも諦めてしまった者のどちらかである。
「まあ良いですわ。それで? 何の用ですの? わたくしは今荒れていてよ。下らない用事でしたらその可愛い面を……」
「父君の依頼――ひいてはお嬢様と朱無市国の依頼を引き受けて下さるギルドが決まりました」
「!」
灰夜の報告に有紗は目を見開き、次いで目を細めた。
「そう、やっと決まりましたのね。人を待たせるんですから。それでどこですの?」
「傭兵ギルド『星の戦士団』、盗賊ギルド『貪る手の盗賊団』の両名です。他、元A級冒険者の曳毬茶々を雇う事に成功しました」
「ふーん。『星の戦士団』に『貪る手の盗賊団』ね。それにあの『狂い描き』茶々を雇うなんて。まずまずの成果じゃないの」
灰夜の読み上げた名称に有紗が満悦の笑みを浮かべる。彼女の知る限り、この三者はいずれもAランクに名を連ねる実力者達だ。『星の戦士団』は規模の大きさ故に、『貪る手の盗賊団』はアウトローであるが故に、茶々は既に冒険者を引退した身である故に仮にギルド本部に睨まれたとしても問題ない面子でもある。
「それに、『朱無市国警護隊』の二番隊と三番隊が同行するとの事です」
「――あらまあ!」
有紗が笑い声を漏らす。
「お父様、ようやく他の貴族連中を説得出来たのですわね。全く、どいつもこいつも腰が重いったらなかったですわ。けれど、これで戦力としては十分ですわね」
『朱無市国警護隊』は市国の軍部に相当する組織だ。普段は――というより専らの任務は国内の警備のみ。国境付近にある地域にまで赴く事は殆どない。それを有紗の父親は捻じ曲げて、今回のイタチ討伐に差し向けたのだ。
「それから、盗賊ギルドから『「カプリチオ・ハウス」傘下の連中は好きにして良いんだよな?』と問い合わせが来ていますが」
「ふん、賊の言いそうな事ですわね。……ええ。好きにして下さって結構よ。殺すなり嬲るなり闇市場に売り飛ばすなり、何なりとすれば良いですわ。
何だったら秩父盆地の住人共も、多少なら手を出しても良いですわよ。わたくしというものがありながら『カプリチオ・ハウス』に尻尾を振ったあの愚か者共にも、痛い目を見せなくちゃ気が済みませんわ」
そう宣った有紗の笑みは嗜虐に歪んでいた。
先のゴブリン事変で秩父盆地の住人達は多大な被害を受けた。家屋は破壊され、死傷者も出た。風魔理伏の父母も殺された。有紗は管理者として当然その事を知っている。知った上で住人達に「より苦しめ」と言っているのだ。事変後、何の補助も手当もしてこなかったにも拘らずである。
最早誰が盗賊なのか分からない、自分の感情しか考えていない発言だった。
「安心したら少しお腹が空きましたわ。わたくしは食事に出掛けますから、部屋を片付けておきなさい。わたくしが帰ってくるまでに片付け終わっていなかったらお仕置きですわよ」
「御意に。行ってらっしゃいませ」
灰夜が恭しくお辞儀をする。有紗は灰夜に背を向け、自らの手で荒らした部屋に目もくれず、部屋の外へと出ていった。




