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幕間1 桜嵐vs.ロキ

 悪神ロキ。

 北欧神話に登場する神の一柱。神々に恵みと災いをもたらした文化英雄(トリックスター)。神話序盤では悪戯好きの神という在り方をしていたが、最終的には悪に傾き、神話の終末(ラグナロク)を引き起こした。





 天空議事堂こと『雲海』の駐車場にて。

 桜嵐とロキが激しい戦いを繰り広げていた。


「ふっ……!」


 桜嵐が握るのは岩剣だ。彼の愛刀を岩が覆い、二メートル近い岩剣となった。

 岩剣の名は『怪刀(カイトウ)(キバ)』――『剣閃一断(ケンセンヒトタチ)』と『初級大地魔術(ストーンエッジ)』の組み合わせによって生まれた超重量武器である。

 そんな岩剣を桜嵐は軽々と振るう。巨大な剣でありながら、まるで小枝を振り回すかの様な縦横無尽さだ。簡素な砦なら一分も掛けずに破壊出来る猛攻が、ロキを襲っていた。


 そんな嵐の如き剣撃をロキは鎖鎌で凌いでいた。

 狼を模した鎌が付いた鎖分銅だ。一般的な鎖鎌は、分銅を投擲したり鎖を相手の得物に絡み付かせて奪ったりするものなのだが、ロキの使い方は違う。鞭の様に鎖を振るっているのだ。先端は音速を優に超え、切断力はしなる刃の如くだ。


「ほら、ほらほらほらほらぁ!」

「…………っ!」


 桜嵐の剣が嵐なら、ロキの鎖も嵐だった。二つの嵐が荒れ狂い、巻き込まれた周辺の馬車や石畳がズタズタに抉られる。しかし、桜嵐にもロキにも傷一つ付いていない。互いの実力が拮抗している証拠だ。

 岩剣が鎖鞭と激突する度に砕かれる。岩よりも鎖の方が威力が上なのだ。だが、桜嵐はそれを意に介さない。岩剣が幾ら砕かれようとも彼には『聖蛙の恵み』がある。無限供給される魔力によって砕かれた端から岩剣を復元出来るのだ。故に、桜嵐は一時たろうとも手は緩めず、剣を振るい続けられる。


「よっと!」


 突如、ロキが鎖の手繰り方を変えた。本来の鎖分銅の使い方――相手の武器を絡み取る動きだ。鎖が岩剣に何重にも巻き付いて一瞬だけ動きを奪う。

 その瞬き一つの間にロキは桜嵐の至近距離まで接近し、鎌を振るっていた。

 首を狙う一閃だ。虚を突かれた桜嵐に躱す余裕はなく、刃が桜嵐の首を掻く。


「『金属化魔術(メタル・スキン)』――!」


 しかし、ロキの刃が桜嵐の首を刎ねる事はなかった。刃が首に喰い込むよりも先に桜嵐の魔術が発動していたからだ。

 桜嵐の首が鈍い銀色に変色していた。皮膚を金属化して防御力を上げる魔術だ。ロキの鎌は名刀もかくやという切れ味だったのだが、桜嵐の硬度の方が上手だった。


「金元素の魔術……! 一瞬でここまで硬質化するなんて、さすがは『東国最強の生物』といったところかしら……!」

「…………」


 ロキが驚愕に目を丸くするが、桜嵐は取り合わない。ただ黙って、全身を鈍色の光沢で包んでいく。元より彼は無口で、他人には無関心な人間だ。基本、彼にとって姉以外の者は殺すか放置するかのどちらかしかない。


「『剣閃一突(ケンセンヒトツキ)』×『中級大地魔術(スタラグマイト)』――『魔刀(マトウ)(ツノ)』」


 岩剣が自ら瓦解し、隙間が生じた事で刀が鎖から逃れる。

 桜嵐が次に選んだのは刃を水平にした突きの構えだ。再び刀が岩を纏う。形成されたのは突撃槍(ランス)だ。先程の岩剣よりも長くて太い、五メートルはある岩槍が刀を覆っていた。

 その岩槍が刀からロキへと向かって射出された。回転しながら迫る様は槍というよりも削岩機だ。堅牢な城壁すらも撃ち抜く威力がロキを狙う。


「くぉのっ……『悪神封じ込む兄弟ナリ・アンド・ナルヴィ』――!」


 ロキが鎌を投げる。鎌は弾丸の如き軌道で飛び、岩槍と正面激突した。岩と鉄、どちらがより鋭いかといえば鉄に軍配が上がった。鎌が岩槍の中心を貫き、その破砕が岩槍全体に広がって散る。

 しかし、そこで勝者である筈のロキの方が目を見張った。

 桜嵐が刀を上段に構えていたからだ。

 剣を振り下ろすのみの姿勢。躱されれば隙だらけになる故に、一撃必殺を狙う時にしか許されない構え。桜嵐のあの構えから繰り出される攻撃は一つしかない事をロキは知っていた。即ち――


「――『妖刀(ヨウトウ)桜嵐(オウラン)』」


 斬撃が飛ぶ。ロキの右肩から腰までが鋭く斬り裂かれ、鮮血が迸る。激痛と失血から脱力したロキが膝を地に落とす。鎖鎌も落としてしまったが、それを気にしている余裕はロキにはない。


「……驚いたな」


 そんなロキを見下ろして、桜嵐が呟いた。この戦いで初めての発言だった。


「俺の妖刀を喰らって生きていられた奴なんて今までいなかったぞ。それどころか、真っ二つにすらならないとはな」


 桜嵐の名を冠する必殺技『妖刀・桜嵐』の正体は、極限の加重力だ。『上級大地魔術(グラビティ)』の効果範囲を狭く細くし、それを相手に飛ばす。本来の範囲から狭まった分だけ加重力の倍率は高くなり、範囲が二分の一になれば加重力は二倍となる。十分の一なら十倍、百分の一なら百倍だ。斬撃(ミリ)単位にまで狭まった加重力は通常時の百万倍に達する。

 一グラムが数トンもの重さへと変わる。つまり、『妖刀・桜嵐』は厳密には斬撃ではない。数百万倍となった自重で相手を潰しているのだ。


「……恐らくはお前が纏う濃密な魔力が、魔術自体を軽減させたのだろうな。これが『五渾将』か。お前の様な奴が他に四人もいるのか。……成程な。姉さんが王国よりも帝国を危険視する意味、ようやく実感したよ」


 言いながら桜嵐がロキに近付いていく。確実にロキにとどめを刺す為に。魔術が軽減されるというのであれば、物質的な刀で斬れば良いと、刃の届く距離まで近付く。


「――だが、お前はここで死ね」


 そうしてロキまであと一歩の所に立った桜嵐が刀を振り下ろす。無慈悲な一閃がロキの頭蓋を叩き斬ろうとした、その刹那、



「――――『大神呑み込む狼王(フェンリル・ミゼーア)』」



 ロキの左手が桜嵐の心臓を貫いていた。


「なっ……に……!?」

「……経験が足りないわね」


 桜嵐の耳元でロキが囁く。桜嵐の刀はロキに届いていない。手刀を繰り出した同時に躱されていた。


「貴方、今まで苦戦した事なんて殆どなかったでしょう? 駆け引きなんてするまでもなく、一撃で敵を葬ってきたのでしょう? だから、私の演技を見抜けなかったのよ」

「え……んぎ……?」

「致命傷を負おうとも即死でなければ動き続ける。その程度は今まで何度もこなしてきたわよ。潜り抜けてきた数々の修羅場でね」

「…………っ!」


 桜嵐が喀血する。血がロキの左肩を濡らした。


「……俺の『金属化魔術(メタル・スキン)』をも貫く手刀だと……!? そんな事が出来るなら……何故最初から……!?」

「ああ、御免なさいね。手を抜いていた訳じゃないのよ。この子、暴れん坊だからあまり頼りたくなくってね。

 獣の魂を従え、他人に憑依させて操るのが我がスキル『獣憑きビースト・ポゼッション』。……でも、この子――狼王フェンリルだけは私の言う事を聞いてくれなくてね。器を与えると好き勝手し始めちゃうの。だから、この子だけはいつも私の左腕に憑依させて(とじこめて)いるのよ」


 そして、いざという時は攻撃系スキルとして狼王の力を使うのだと言う。


「……ま、もう貴方には関係のない事だけど」


 言いながら手刀を引き抜くロキ。先刻ロキが流したよりも大量の鮮血が桜嵐の胸部から噴出し、石畳を赤く染めた。今度は桜嵐の膝が崩れ落ちるが、ロキと違って彼のそれは演技ではない。顔面まで地に着けた彼はそのまま動かなくなる。


 広がる血の海の中、桜嵐が起き上がる事はなかった。

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