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セッション85 義腕

 ヨルムンガンド――ハクの様子はもう良いだろう。あそこから逆転の目があるとは到底思えない。ハクの身はネフレンに任せて、僕は他の様子を見に行くとしよう。

 となれば、やはり気になるのはステファだ。ローランとの決闘はどうなっただろう。


「ぬああああっ!」

「おおおおおっ!」


 村に視線を移すと、裂帛の叫びが響いていた。ステファとローランの二人だ。互いの剣と鎧をぶつけ合い、金属音を甲高く奏でて激戦を繰り広げている。


「『剣閃一突(ケンセンヒトツキ)』――!」


 ステファが剣を突き出す。迸る刺突をローランが紙一重で躱し、逃げ遅れた数本の髪の毛が宙に散る。ローランが反撃の剣を薙ぐ。それをステファは盾で防ぐが、ローランの膂力が強い。防いだ姿勢のまま後退りを強いられる。


「ふぬうっ!」


 ローランが一旦剣を引き、振り下ろす。対するステファは盾に力場(バリア)を展開した。防御術『亀甲一片(キッコウヒトヒラ)』だ。


「それは通用しないと言った筈だ!」


 ローランの剣が眩く輝く。強化解除術『灰色の瞳を持つ星(グラウコピス・アテナ)』だ。剣の光に()かれた力場が抵抗なく打ち砕かれる。ローラン渾身の斬撃がステファの盾に直撃した。


「くあっ……!」


 強烈な重さにステファが耐えられず膝を折る。その隙を見逃さず、ローランが剣を二度振るった。斬り上げる刃でステファの盾を払い除け、返す刃でステファの胸部を斬り付ける。ステファの左鎖骨から脇腹に掛けて甲冑ごと裂かれた。


「ぐ、ううう……!」


 苦悶の表情を浮かべるステファ。傷はなかなかに深いらしく、大量の出血が足元の地面に染み込んでいく。ステファには『物理防御聖術(プロテクト)』が掛けられていた筈だが、それも無効化された様子だ。想定通りではあるが、『灰色の瞳を持つ星(グラウコピス・アテナ)』、実に厄介だ。


「降伏し給え。致命傷ではないが深い傷だ。意識を保っている事すら難しいだろう。それでもなお無理に戦おうとすれば出血多量で死に至るやもしれんぞ」


 蹲るステファにローランが剣の切っ先を向ける。立っていない者には攻撃しないという彼の騎士道精神には本当に助けられている。そうでなければ、とっくにステファは敗北していただろう。


「…………」


 劣勢ながらステファの目から闘志は消えていなかった。傷口に手を当てる。ローランの言う通り、かなりの重傷だ。『初級治癒聖術(ヒール)』では完治はするまい。

 故に彼女は初級ではなく中級の聖術を唱えた。


「――『中級治癒聖術(キュア)』」


 ステファの身体が淡い光に包まれ、左鎖骨からの傷が治癒される。それを見たローランが驚愕を目を見開いた。


「『中級治癒聖術(キュア)』だと!? そこまでの治癒術を会得していたのか! そこまでの信者だとノーデンスが認めたのか!?」


 ローランが驚いている間にも傷が癒えていく。やがて立ち上がったステファの顔にはもう苦痛の色はなかった。


「……そうか。まだ戦うというのだな」

「はい。私はまだ勝利を諦めません」


 頷くステファの意志に陰りはなかった。


「ならば、君の魔力・体力が尽きるまで戦うまでだ。あるいは君のリーダーが討ち取られる方が先かもしれないが」

「させません。その前に決着をつけさせて頂きます!」


 ステファが駆け出す。応じてローランが剣を振るう。ステファの剣とローランの剣が交差する。刹那拮抗するが、体格はローランの方が大きい。必然、筋力もローランが上であり、ステファの剣はローランに弾かれた。

 ローランが追撃する。ステファは盾を構えるが、それも弱い。盾もすぐさま横に弾かれる。やはり聖術なしの素の身体能力ではステファはローランに敵わない。


「貰ったぞ!」


 両腕を広げた状態となったステファにローランが剣を振り下ろす。ローランにとっては絶好の一閃、ステファにとっては絶体絶命の一撃だ。

 その斬撃を前にステファは突如、剣を手放した。武器がない分、軽くなった右腕をなんとステファはローランの剣に向かって差し出した。


「……なっ!?」


 ローランが瞠目する。咄嗟に剣を戻そうとするが、遅い。勢い付いたローランの剣はそのままステファの右腕に食い込んだ。生身であれば大惨事だったが、ステファの右腕は義腕だ。故に血は出ず、痛みもなかった。

 ステファが義腕に力を入れる。喰い込んだ刃が締め付けられ、容易には抜けなくなった。右腕を犠牲にした武器封じ。ステファはこれを狙っていたのか。


 動揺するローラン。たったの一瞬――瞬き一回分の隙。されど、この戦いにおいてはそれだけで充分だった。


 ローランの剣が両手剣だった事も今回は災いした。武器を取られた時、掴んでいた両手も一緒に捕らわれた。手を離せば良いだけの話だが、戦闘中に自らの得物を捨てるなど咄嗟には出来ない行動だ。そして、ローランが手放す決意をした時には遅かった。

 ステファが動く。右腕を引きつつ左腕を突き出す。左手に握られているのは盾だ。左足の踏み込みと同時に繰り出された盾の殴打(シールドアタック)がローランの顔面にクリーンヒットする。


「ぐっが、はっ……!」


 ローランが鼻血を噴く。ステファの意外な行動に対する驚き、姪の右腕を斬ってしまったという動揺、武器を捕らわれた無防備な体勢がダメージを深くした。恐らくは脳震盪も起こし掛けているだろう。

 しかし、彼こそは戦士団長。その程度のダメージでは止まらない。両足を踏ん張り、戦意を宿す目でステファを見据える。


 彼がそういう男だとステファはとうに知っていた。


 故に彼女は手を緩めなかった。右腕に深々と刺さったローランの剣。それを盾を捨てた左手で掴み、右手ごと振り抜いた。ローランの左肩から右脇に向けての一閃。ステファ渾身の斬撃はローランの甲冑を裂き、その下の生身にまで到達した。

 鮮血が迸る。斬撃と同時に右腕が更に割れて、刃が肘にまで到達したが、ローランも重傷だ。先のステファの傷とほぼ同程度の深さだろう。


「はあ、はあ、はあ、はっあ……!」


 呼吸困難寸前にまで息を荒くするステファ。対するローランも虫の息だ。両者ともすぐには動けない。


「伯父様は……はあ、はあ……『中級治癒聖術(キュア)』を使えますか?」

「……いいや、使えない。私はそこまでノーデンスに認められていない」

「では……はあ、はあ……提案です。私が伯父様のその傷を癒します。だから、その代わりに降伏して頂けませんか?」

「…………」


 ローランが自身の顔を右手で覆う。隠された目がどんな感情を宿しているのかは分からない。しかし、指の隙間から覗く眉のしわと噛み合わせた口は彼の複雑な内面をありありと表していた。


「その右腕、義腕になったとは聞いていた。信じたくはなかったが。……ないのか、右腕。本当にないのか?」

「……はい」

「馬鹿者め。無茶をしおって、この大馬鹿者めが。心配する人間の気持ちも少しは考え給え、馬鹿者が……!」

「……すみません。御免なさい」


 ステファが顔を歪める。心の底から申し訳なさそうな、今にも泣きそうな表情だった。ローランがどうして討伐連合に参加したのか、何故あのような条件で決闘を受け入れたのか、その理由をいよいよ悟ってしまったからだ。薄々気付いてはいたのだろうが、今の一言で目を逸らせなくなってしまった。


 ローランは姪を保護しに来ただけなのだ。ステファを国()りの現場から離して安全な場所に置きたかったから、ここに姿を現したのだ。

 しかし、それももう敵わない。ステファは決闘に勝った。自分は守られるだけの存在ではないと証明した。最早ローランにあれこれ口出しする権利はない。


「……私の負けだ」


 ローランは静かに敗北を宣言した。

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