第82話 ジャスト・ザ・ビギニング
5章エピローグになります。
「……よし、」
ヴァンガーブ火山連峰東部にそびえる〝覇竜の頂〟では、大陸最強の竜たらんとする多くのものが鎬を削る。神話戦争の時代より、竜王の眷属は、大陸で最も強き生命体であった。その竜の頂点に君臨するということはすなわち、大陸全土の頂点に君臨するということに他ならない。
覇竜の頂は、知性を持つ多くの竜にとって、特別な場所であるのだ。
その覇竜の頂に今、竜崎邦博はいた。
「もう行くのですね」
「はい。お世話になりました。マスター・カローラ」
竜崎が振り返ると、そこには大岩に腰掛けて本を開く、ひとりの女性の姿があった。
こめかみのあたりから、捻れるような角が2本伸び、巫を思わせるゆったりとした装束に身を包んでいる。その両目は閉じられたままであったが、彼女は人差し指で本のページをなぞり、そうすることにより、内容をはっきりと読み取っているかのようだった。
彼女もまた竜である。普段は市井に紛れ、ヒトの社会で暮らしているが、古き力を蓄えた、いにしえの竜の一柱だ。
人間相手に多くの弟子を取ることで有名な彼女だが、その実、同族に何かを教えるという事態は極めて珍しい。
「あなたは私が教えた中でも、2番目に才能のある者でしたが。……いや、3番目かな」
穏やかな口調は平坦なものだったが、どこか名残惜しむような色合いが滲んでいる。
竜崎は、爬虫類的なその顔に少し苦笑いを浮かべ、頰のあたりを掻いた。
「お気持ちは嬉しいんですが、最初から決めていたことです」
「結構、結構。あなたはそういう者です。月並みな言葉ですが――幸運を祈ります」
「はい。ありがとうございました」
結局、彼女には世話になりっぱなしだった。大陸中に、竜崎の意図を伝える広告を発信してくれたのも、あれも彼女だ。だがおかげさまで、竜崎もかなり強くなることができた。
覇竜の頂から東側を望めば、大陸の広大な大地を視界に収めることができる。このどこに他のクラスメイトがいるのか、竜崎にはわからない。まずは、合流を真っ先に考えなければならない。
竜崎は大地を踏みしめ、背中に小さく折り畳まれた翼を広げた。
翼は一気に巨大化し、竜崎の身体の何倍もの大きさに変化する。翼を大きくひと扇ぎすると、その身体を空中に持ち上げるだけの揚力が、たやすく生じた。竜崎の翼は空を叩き、身体は空を駆け抜けていく。
彼の目指す土地は一直線、大陸南東部の半島ヴェルネウスだ。
少しばかり長い旅にはなるだろうが、それは最初から覚悟していたことである。
竜崎は、東を目指し、まっすぐに飛んだ。
「ゲンシュウ!!」
控え室まで引き返してきた豪林元宗を迎えたのは、モンスターズパーティ“フューリィズ・ネスト”の若きオーナー、リュミエラである。
控え室には、満身創痍の剣崎、猿渡、奥村、茸笠、それにゼクウが、それぞれ妙に良い表情をしたまま座っていた。ゴウバヤシは、胸に飛びついてくる、わずか12歳ばかりのオーナーの頭に手をやってから、空いた腕で拳を作り、他のクラスメイト達と軽くそれをぶつけ合った。
ゼルガ剣闘公国で開催されたモンスター同士による闘技大会、“ワイルドスター・オブ・ザ・ビースト”。その栄えある優勝旗は、予選落ちと噂されていた弱小ギルド“フューリィズ・ネスト”が奪い取るという大番狂わせが発生していたのである。
先代オーナーが急死し、人気モンスターを次々と手放さざるを得なかったフューリィズ・ネスト。先代オーナーの娘であり、1人でパーティ運営を切り盛りするリュミエラとゴウバヤシ達が出会ったのは、数週間前のことだった。クラスメイトを探すため、ある程度の活動資金と活動拠点を欲したゴウバヤシ達とリュミエラの利害が一致し、彼らはフューリィズ・ネストの所属モンスターとして、WOTBに参加する運びとなったのである。
で、まぁ、なんとか優勝はした。
皇下時計盤同盟、五神星、それに血族などによる介入で大会はめちゃくちゃになったが、それでも、なんとか優勝をもぎ取ることができたのである。
「良かったな、りゅ……る……ルュミエラ」
「ありがとう、メグミ! リュミエラよ!」
フィルター切れによって不調に陥っていた剣崎も、すっかり笑顔を取り戻し、くしゃくしゃとリュミエラの頭を撫で回す。
「うんうん……。挫折と再起、そして勝利……。まさにこれこそが青春だ!」
「いやぁ、皇下時計盤同盟の連中が殴り込んできた時には、どうなるかと思ったデブな」
「ゼルガは帝国の支配域から外れてるって聞いたけどなぁ……」
一同は頭を突き合わせてうんうんと唸る。
大会の裏側では血族が暗躍しており、更には大会の最中、皇下時計盤同盟第2時席と名乗る少女が乱入してきたので、事態はえらい騒ぎに陥ってしまったのだ。結局、冒険者協会五神星の1人が第2時席と激突し、追い返すことには成功し、事態は収集がついた。
あれが一体なんだったのか、というと、首をひねらざるを得ない。
ゴウバヤシが考え込んでいるときだ。
「嬢ちゃーん、リュミエラの嬢ちゃーん! おるでゲスかー!」
バンバンと扉をたたく音がする。開けてやると、大陸北方商会ギルドのゼルードが、いくらかの書類束を持って立っていた。
ゼルードは、何もわからないリュミエラに高利でカネを貸し付け、借金のカタにパーティに所属していた人気モンスターを次々引っこ抜いていった守銭奴である。が、今回フューリィズ・ネストが勝ち続けていくにあたり、もし優勝し、その賞金の半分をよこしてくれるなら、借金はチャラにしてもいいという条件を吹っかけてきた。
まぁ、そのためにも、ゴウバヤシ達は負けられなかったというわけだ。
「いやぁ、おかげさまでね。アタシ達もだいぶ儲けさせてもらったでゲスよ。こちら、証文でゲス。煮るなり焼くなり、好きにすると良いでゲスよ」
ゴウバヤシは腕を組みながらリュミエラの後ろに立ち、このゼルードが彼女にまた妙な条件を吹っかけたりしないか監視していたが、どうやらそういうことはなさそうであった。
商談が終わりそうなときになって、ゼルードはふと顔をあげる。
「あ、そうだ。これは、ゴウバヤシの旦那達になんでゲスが」
「む?」
ゼルードは、手に持っていた書類の1枚を、ゴウバヤシに向けて差し出した。
「見たこともない言語で書かれた広告が、大陸の各地にバラ撒かれているらしいんでゲスよ。旦那達、何か心当たりはないでゲス?」
「ふむ……」
ゴウバヤシは、ゼルードからその書類を受け取り、目を通す。その直後、滅多なことでは動じない彼の瞳に、驚愕の色が浮かび上がった。
「こ、これは……!!」
「ありがとうございましたー!!」
杉浦彩は頭を下げて、その日最後の客を見送った。『ふぅ』とため息をつき、額にへばりついた汗を拭う。
「随分、サマになってきたじゃないか。アヤ」
杉浦の隣に立っているのは、身の丈およそ2、3メートルはあろうかという巨躯の中年女性だった。
彼女はジャイアント・ママ。近隣の冒険者ギルドに名を登録し、五神星がひとり“獅吼星”としてその名を知られる腕利きの冒険者であるという。ヴェルネウス王国の王都で宿を経営しているという彼女は、ふとした偶然から、杉浦達の“温泉宿プロジェクト”に手を貸してくれることとなった。
「前も言ったけど、あんた、良い女将さんになれるよ。どうだい、ウチで働かないかい?」
「いやー、お誘いは嬉しいけど、あたしやっぱり、厨房で料理を作ってる方が楽だなぁ」
杉浦は苦笑いをして頭を掻く。
気が付けばヴェルネウス半島に飛ばされていた杉浦達は、この半島こそが当初の目的地であることを知ると、ここで温泉宿を経営する計画を立てた。料理の得意な杉浦や、海産物を集められる魚住兄妹、野菜を育てられる花園など、打って付けの人材が揃っていたのだ。もし温泉宿が有名になれば、大陸の各地に散ったクラスメイトも気づいてくれるかもしれない。そういう算段だった。
まぁ、いろいろ、大変だった。
特に厄介だったのはフィルター切れという奴で、これのおかげで、杉浦は当分かつおぶしを削ることができなかったし、花園は野菜を収穫するのを嫌がった。大混乱のうちに、血族にこの場所を補足されたり、ヴェルネウス王国のモンスター討伐隊が出向いてきたり。
そんな中頼りになったのが、温泉宿を経営する上ではまるで役に立たなかった原尾真樹と、ジャイアント・ママであったというわけだ。
「そうかい。ま、当座の危機は去ったことだし、あたしはそろそろ王都に帰るとするかね」
「もう帰っちゃうの? あと一晩くらい、泊まっていけば良いのに」
「そうもいかないよ。ウチの旦那と息子だけに、あの宿は任せちゃあおけないのさ」
ジャイアント・ママは、のっしのっしと床をきしませて、玄関の方へと向かう。
そこでふと振り返り、思い出したように、ゴソゴソと懐を漁った。
「……っと、そうそう。忘れるところだったよ」
「?」
「これだよ、これ。ちょっと見ておくれよ。最近、大陸中にばら蒔かれてる広告らしいんだけどさ」
そう言って、ママが懐から取り出したのは、一枚の書状である。杉浦は、訝しげに思いながらもそれを受け取った。なんとはなしに、タコ足をうねらせていた彼女であるが、その書面に目をとした瞬間、ぴたっ、と動きが硬直する。
杉浦は、喉から絞り出すような声で、こう言った。
「……こ、これはっ……!」
「だから言ってるじゃない! この船に搭載されてる魔導エンジンは、もうガタが来てるのよ! 土台、これ以上動かすには無理があるんだわ! 新しいのに交換しなきゃいけないわけ! ねぇ、あなたなんて言ったか覚えてる!? うちができるものはなんでも出しますって、そう言ったでしょ!?」
「い、いやしかし、このレベルの魔導炉を2基用意しろなんていうのは、さすがに……」
商業都市アルカルグ。ウェルカーノ商会が保有する造船所において、1人の少女が出入りの業者に食ってかかっていた。その様子を脇に眺めながら、ゴブリンの五分河原倫太郎と、グレムリンの暮森出雲は、レミィの淹れたお茶をすすっていた。
五分河原たちは、あのあと重巡分校ごと、アルバダンバへと飛ばされた。船に乗っていた多くのクラスメイトは姿を消しており、五分河原に付き従う大量のゴブリンを除けば、数名のクラスメイトが残されていたに過ぎない。
五分河原たちは、まだアルバダンバに残っていたウェルカーノ達と交渉し、彼らと共に一度、商業都市アルカルグへと向かうことを選んだ。現状のメンツだけでは、ただヴェルネウスを目指すのには不安があり、また仮にたどり着いたとしても、仲間たちを探す手段に心当たりがなかったからである。
重巡分校は、一時的にウェルカーノ商会の保有物という扱いになり、彼らは帝国の内部へと入り込んだ。
幸い、残ったメンツはモノ作りに長けたメンバーではあったので、五分河原達もタダ飯を喰らわずには済んだ。芸術品などを作っては商会に提供し、最低限の食い扶持分は、稼ぎ続けたというわけである。
そしてまぁ、結構な悶着があった。帝国内部に入り込んでいた血族の襲撃を受け、アルカルグでは小規模な戦闘が発生した。
そのさなか、暮森は重巡分校の改修をはじめ、新たな武器や戦闘用ゴーレムの開発などを密かに開始していたのだが、そこで、いま出入りの業者に食ってかかっている、威勢のいい少女に出会ったわけである。
少女は、暮森が用意している設計図にすぐさま興味を示した。そして、その設計図に潜む98の欠陥を指摘し、76の改善案と42の妥協案を提示した。結果として、重巡分校は更なる性能の向上を見込めることになったが、コストが大きく嵩むハメになったというわけだ。
「で、あのお姉さんは誰なんだ」
五分河原が空のティーカップをソーサーの上に置くと、レミィがすかさずにお茶を注いだ。
「誰かはわかりませんけど、あの胸元の紋章はアジャストメント伯爵家のものですね。アイテムクラフト技術を保有する、帝国貴族です」
「なるほど。ものづくり一族ってわけだ。どーりで詳しいわけだぜ。なぁ?」
「ああ……。大したもんだな、彼女は……」
暮森は、ぽーっとした表情で、商人に食ってかかる少女を見つめている。五分河原はぎょっとして、彼の目の前で手を大きく上下に振ってみた。反応はない。
そういえば、五分河原は聞いたことがある。暮森の好みのタイプの女性をだ。性格だの外見だのをすっとばして、暮森が恋愛対象に求める条件というのが、『俺の作るものを理解できる人』という奴だった。そういった意味では、あの伯爵家のお姉さんは、凄まじくそれに合致する。
なので、五分河原は好意からこう言ってやることにした。
「やめとけ」
「何を!?」
「人間様とモンスターじゃ、釣り合わねえぜ。どのみち俺たちは元の世界に帰るんだし」
「お、俺はまだ帰るとは決めてないぞ!」
立ち上がってバンバンとテーブルを叩く暮森。五分河原は、ソーサーとカップを持って、紅茶がこぼれないよう避難させた。
「イズモ! イズモ、ちょっと来て! あなたからも説明してくれるかしら!」
不意にそのお姉さんから声がかかったので、暮森はピンと背筋を伸ばして立ち上がった。
そのまま緊張した様子で、向こうに歩いていく暮森を見て、五分河原は片手で顔を覆う。ありゃあ、無理だ。種族差とか、世界の違いとか、それ以前にどう考えても脈がない。まぁ、失恋も青春の内であるからして、あまり深入りするというのも、野暮なものだろうか。
「大丈夫よイズモ、この船を、世界で一番完璧な作品に仕立て上げる手伝いをするわ! そのためにはまず素材よ! 一億万年に一人の天才美少女にして、アジャストメント伯爵家当主、このフィリシスがついているわ!」
当主の名前を聞いて、顔が真っ青になっているのは出入りの業者の方だった。同情はする。
「ごっぶがわらくーん!!」
ちょうどその時、造船所の扉が開いて、五分河原の名前を呼ぶ元気な声が聞こえた。
五分河原がげんなりした表情で視線を向けると、ウェルカーノ氏に率いられ、籠井翼、画原絵美、それに箱入葉子が入ってくるところだった。ミミックの箱入が身体をばいんばいんと跳ねさせて、五分河原の方に迫ってくる。
「五分河原くん、会いたかったぁー!」
「ああ、そう。俺はそんなに……」
がじがじと頭をかじるのは、彼女なりの愛情表現のつもりだろうか。そんな様子を眺めながら、レミィは可笑しそうにクスクスと笑っている。
「五分河原、ちょっと見て欲しいものがあるんだが」
こちらの様子を見かねてというわけではないだろうが、籠井がそんなことを言った。五分河原が無言のまま続きを促すと、籠井は手に持った一枚の書類を、彼に向けて突き出す。
「これは?」
「大陸中にばら蒔かれてるっていう、広告だ。見てみろ。驚くぞ」
「なんだ、徳川の埋蔵金でも見つかったのか」
五分河原は茶化しながら、籠井の持っている紙を受け取る。
そこに書いてあるものを見て、五分河原は確かに、驚いた。
「こ、これは!!」
「裏切り者……!!」
ピリカ南王国、壊滅的な打撃を受けた王都の中央広場にて、猫宮美弥は怨嗟の声を漏らした。
彼女たちを取り囲むのは、帝国から送り込まれた精鋭兵。彼らの介入により、圧政に苦しみ領民を救うためのクーデターは、失敗に終わった。捕らえられたのは猫宮だけではない。彼女と共にクーデターに参加したクラスメイトは全員、帝国兵によって拿捕されていた。
現王権が、帝国の実効支配を受けた傀儡政権であるという噂は、事実だったわけである。作戦は上手くいっていたが、あと一歩のところで、足りなかった。あとひと押し。誰かの力があれば成功していたかもしれないが、結局は、敗北に終わった。
理想を語り、甘っちょろい夢を見ていた第三王子は、断頭台の露と消えた。
そうして、いま、猫宮美弥は、黒いスーツアーマーを纏った、ひとりの男を睨みつけている。
「キミがそういうやつだとは、思わなかった!」
「それは猫宮の思い違いだな。僕はずっと、こういう奴だった」
黒甲冑の男は、抑揚のにじまない声でそう応じた。
有利に傾きかけていた戦況をひっくり返したのは、目の前にいるこの男と、彼の隣にいる帝国軍人だ。皇下時計盤同盟第6時席と名乗るこの軍人は、黒甲冑の男を引き連れ、あっという間に戦いの流れを変えてしまったのである。
男は続けた。
「猫宮、クラス全員で元の世界に帰る。そういう約束だっただろう」
「………!」
猫宮は答えず、ただひたすらに相手を睨みつける。
「そのために、回り道をするべきなんかじゃない。良いか。人間の姿に戻って、元の世界に帰るっていうのは、並大抵のことじゃないんだ。わかるだろう」
「そのためには、何を犠牲にしても良いって言うのか!」
「良い、悪いの問題じゃないんだよ。猫宮」
その声にはどこか、諦観じみたものが混じっていた。
「僕が帝国に協力していなければ、君たち全員、ランバルトに殺されていた。僕が帝国側にいる限り、君たちの安全は保証される。だから、心配しないで、帰れる日を待っていれば良い」
「ウツロギが知ったら、きっとキミを許さない」
猫宮が絞り出すように呟くと、黒い甲冑の中から、一瞬青白い炎が吹き出した。炎は大気を焦がし、彼を覆う甲冑の一部を鋳溶かしたが、すぐに収まり、猫宮に対して背中を向けた。
「……だろうね」
それが、猫宮と彼がその場でかわした、最後の言葉だった。
それを、ずっと黙って見ていた帝国軍人。ランバルトと呼ばれていた男が、甲冑の男を呼び止める。
「アキラ、これを見てくれるか」
「………」
無言のまま、黒いガントレットが男の差し出した書簡をひったくる。ランバルトは続けた。
「大陸全土にばら蒔かれているものだ。この大陸の言語ではないもので書かれている。私も見かけたことはあるが、おそらくこれは、お前たちの世界の……」
「………」
黒甲冑の男は、書面をじっと眺めていた。だが、眺めていただけで、特に言葉を発することはせず、彼がそれを放り投げると、書簡は一瞬で炎を発し、燃え尽きるようにして、灰になった。
「よく帰ったな」
本拠地へ帰還した小金井を、ビショップのアケノはそれだけ言って出迎えた。
「グレンとシンクは……負けたみたいだよ」
「そのようだな。おまえは? 王からのお咎めはなかったのか?」
「一応は」
満月の夜。血族の天敵たる人狼が最も力をつけるその時間帯は、血族の“王”がもっとも深い眠りにつく時間帯でもある。人狼族の始祖との交戦時に受けた傷が、癒えていない為だ。これを治し、“王”が本来の力を取り戻すには、血の王片が必要になる。
小金井はそれを知って、満月の夜にこの城を出た。アケノが黙っていると約束してくれたからこそ、できたことでもある。結果として、小金井は恭介への忠告と、いくつかの情報提供を済ませることに成功した。
「では、これで貸し借りは無しだ。今後、お前が血族への敵対行動をとった場合、私はそれを“王”に報告する」
「ああ、うん……。それは、別にいいんだけど、アケノさん」
小金井は頬を掻きながら尋ねる。
「その、貸し借りって、何? 俺、いまいちよくわかってないんだけど」
「おまえは、私の代わりにスオウの死を悼んだ。それが借りだ。だがもう、返した」
アケノは淡々と言いながら、本のページをめくっている。
彼女なりに、スオウの死に思うところはあったのだろう。だが、小金井はそれ以上の追求は避けた。彼もこの数ヶ月で、『空気を読む』ということを覚え始めたのである。いやはや、長い道のりであった。
小金井は、血族化を受け入れた。
ハイエルフの血が現在調達不可能であることを、知った上での話である。
これにより、取引として、血族が捕獲した2人のクラスメイト、蜘蛛崎糸美と触手原撫彦の安全を保証させた。少なくとも小金井が血族の一員として活動する限り、彼らが戦いを強制されることはないし、この後、血族が他のクラスメイトを捕獲してきた際も、同様である。
レア種族であり、レア能力を覚醒させた小金井には、それだけの条件を血族側に飲ませる価値があったのだ。
現在、クラスメイトはバラバラになっている。その現状で、蜘蛛崎や触手原を逃がすわけにはいかない。時期を待つ必要があった。
「アラクネとローパーには会ってきたのか?」
「会えるわけないよ。俺、2人には酷いこと言っちゃったから」
彼らに対してだけではない。本当は、恭介にだって会わせる顔はなかった。
恥知らずを承知で会いに行ったのは、どうしても伝えなければならない情報があったからである。
小金井の心境を知っているのは、今はアケノだけだ。血族への敵対行動をとった場合、即座に王へ報告すると言っている彼女は、どういうわけか今の小金井の翻意を伝えるつもりまでは、ないらしい。これも『貸し借り』の一環であるのか、あるいは、いざとなれば王の力で小金井を束縛することなど、容易であると考えているのか。どちらにせよ、これによって、小金井とアケノの間には、奇妙な共犯関係が成立している。
「俺が心配することじゃないかもしれないけど」
小金井は前置きしてから、尋ねた。
「スオウが死んで、グレンとシンクも死んで……。結構、戦力減ってない?」
「心配はいらない。補充は済んだ」
アケノはパタンと本を閉じる。
「この国を根城にして数ヶ月、既に王都の血族化は完了している。帝国や冒険者ギルドに忍び込ませた血族からも、調達してきたところだ」
「ああ……。そうなんだ」
どのみち、それは小金井にとって、あまり愉快な報告ではない。
「ところで、コガネイ。こんな手紙がある」
ピッ、と一枚の書状を取り出し、アケノは言った。
「……なにそれ」
「日本語で書かれたものだ。次の仕事に関わってくる」
小金井は、少しばかり訝しみながら、その書状を受け取り、開く。そしてそこに書かれていたものを読み、わずかに目を細めた。
「(このタイミングで……、か)」
それが、良いことなのか、悪いことなのか。小金井には判断しかねる。
だが、タイミングが揃ったということはつまり、それは……。
『神代高校2年4組のクラスメイトたちへ 委員長 竜崎邦博
この広告を見た者は、当初の目的地に集合。
俺は健在。他に同行者はなし。』
文面自体は極めて簡潔な、わかりやすいものだった。
自身が無事であることを伝え、次の集合場所を伝える。日本語で書かれているので、多くの人間にはこれを読み解くことができないし、具体的な地名を出さないから、仮に読み解けたとしても、どこに集合するのか、判断するのが難しい。
それでも、これを大陸全土にばらまくのは、かなりのリスクが付きまとう。なにしろ、血族はこの手紙を読めるのだ。“当初の目的地”がどこであるのかまでは、わからないはずだが。これは離脱時期の関係で、小金井だって知らないはずだ。血族が情報を入手するには、蜘蛛崎と触手原から聞き出すしかないが、ここは小金井が何かしらのフォローを入れてくれると信じるしかない。
竜崎のことだから、リスクを承知の上で、これをばら撒いたのだろう。恭介たちにとっては、ありがたい話だった。あとは、他のクラスメイトが、この情報を目にできているかどうかである。
「ひとまず、次の目的地が決まって良かったじゃないか」
高速連絡船の積荷室の中で、レスボンが言った。恭介たちはあくまで積荷として、檻ごと積み込まれてはいるが、恭介や凛の身体なら容易に出入りが可能なほど檻はガバガバで、あんまり閉じ込められている感じがしない。
ちなみに犬神は、ちゃっかり人間の姿に戻って客室のひとつを占拠していた。服はフィルハーナのものを借りている。人間とあまり見分けのつかない、あずきや雪ノ下も同様であった。御座敷は、壁野のそばを離れないので、積荷室にいる。
「レスボン。一応、この船はネウス湾から冒険者自治領に向かうんだよな?」
「まぁな。だが、ゼルネウスから少し南東に行けばヴェルネウスだ。そう離れているわけじゃないから、すぐに着く」
同時に、レスボンはヴェルネウス王国の山間部で温泉宿を開いている、モンスター集団の情報を提供してくれた。かなり大きな記事になって、大陸全土の噂が広がっている温泉宿は、確かに聞く限り、杉浦や原尾が経営しているもののように思える。
となると、ヴェルネウスのどこを目指すかというのも、自ずから定まってくる。
「他のみんなかー。元気にやってるのかなー」
凛が船の揺れに合わせてぷるぷると震えながらつぶやく。
「どうだろうな。考えてみれば、もう数週間は顔を合わせていないのか……」
恭介も、檻の中で体育座りして、天井を仰ぐ。
この数週間の間、烏丸や雪ノ下は、精神的にも戦力的にも大きな成長を遂げた。彼らだけではない。あずきも、壁野も、御座敷も、少しずつだがパワーアップしている。他のみんなも、そうであると信じたい。強くなっていて欲しい、と思っているわけではない。目の前に立ちはだかったであろう壁を、乗り越えていてくれると信じたいのだ。
それを考えると、再び顔を会わせるのも、少し、楽しみになる。
だが、当然のように、恭介は知らない。
恭介たちの周囲で知らずのうちに起こった変化を。あるいは、遠き地で級友たちの身に降りかかった変化を。
分岐し、枝分かれした先で変化した川の支流が、再び交わるとき、そこに何が生じるのか。
それを知るものは、まだこの場にはいなかった。
次回はようやくかつぶし先生の出番だぜ




