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第75話 ブラウニー・シュート

「ウォンバット、俺たちの標的はあのライカンスロープだろう。こいつらは……」

「気にしてる場合か、ウェイガン! こいつらだってレアなんだ、捕まえれば……」


 2人の冒険者は、西の森林地帯を探索中に、モンスターとエンカウントした。

 単なるモンスターではない、修羅央沙種、アヤカシ種と呼ばれる新大陸特有のモンスターだ。これらを生け捕りにし、ギルド本部や帝国の稀少生物書士隊に売りつけるだけで、かなりの高値がつく。ウォンバットの属する冒険者パーティは、本来そのためにやってきたはずなのだ。

 ゴールドランカーになるまで、血の滲むような努力があった。冒険者稼業だって、長らく続けられるとは限らない。事実、レスボンはこの新大陸で腕を失ったのだ。


 だからこそ、ここで大きく儲けておいて、貯蓄を作る。


 ウォンバットは、一番戦闘力の低そうなアヤカシであるアズキアライに刃物を突きつけ、その身体をひっとらえた。あとは縛り付けて一度退散すればいい。簡単な話ではないか。

 アヤカシには人間に近い姿をしたものや、高い知性を備えたものが多いと聞いている。それでもモンスターはモンスターだ。人間とは異なる生き物だ。エルフだって200年前までは同じ扱いだった。


「御手洗さんを放して」


 目の前に立つヌリカベがそう言った。


「ウツロギくんと約束したでしょう。こっちにはもう、手を出さないって」

「ウェイガン、あれも捕まえられるか?」

「無茶を言うな。戦闘能力もまだわからないっていうのに……」


 さすがに、あの巨体を運ぶのは骨が折れる。無機物系モンスターは、倒してしまうとその生態などを解明するのが難しくなるため、資料的な価値は大きく落ちるのだ。この法則がアヤカシに適用されるかどうかはわからないが、捕らえるならば、生け捕りにしたい。

 そう考えていたときだ。がさがさと茂みが揺れて、向こうから銀色の影が飛び出してきた。


「グァオゥッ!!」

「なっ……!」


 銀の毛並みの狼だった。たくましい前脚を、ウォンバットに叩きつけようと飛びかかる。ウォンバットがアズキアライを捕まえたまま下がり、ウェイガンが雷属性の魔法を放って迎撃した。鬱蒼と茂る森の中に、閃光が弾ける。

 だがそれでも、狼の勢いは止まらなかった。

 雷光を引き裂くようにして、銀の狼はウェイガンに襲いかかった。華奢な魔術師の身体を押し倒し、胸元に爪を立てる。大きく牙を剥き、倒れたウェイガンに顔を近づけて威嚇した。その大きな顎は、人間の頭蓋骨くらいならば容易く噛み砕けるだろう。


 銀狼は肩から血を流していた。さきほど遭遇し、交戦したライカンスロープだ。

 こいつは殺してもいい。死体を持ち帰れば、ボーナスがつく。だが、このままではウェイガンが殺されてしまう。ウォンバットには、一撃でライカンスロープを屠るような手段はない。


「い、犬神さん……!」


 ヌリカベが、そう呟いた。ライカンスロープが、金色の瞳をちらりと動かす。


 こいつら、知り合いか。そうとわかった瞬間、ウォンバットはアズキアライの首筋にナイフを突きつけた。連中の間に、人間並の共感能力があるのかどうか、それはわからないが、試すしかない。


「そこをどけ! でないと、こいつを殺す!」

「………!」


 月並みな言葉だが、効果はあった。ライカンスロープは、ウェイガンからゆっくりと腕をどけ、その隙に彼は、拘束から抜け出す。

 やはり人間並の知能と、共感能力は持ち合わせているのだ。

 だが、それがどうした。自分たちは冒険者、傭兵だ。仕事となれば戦争にも駆り出される。ギルドの規則で要人暗殺は許可されていないが、それでも任務の過程で人を殺すことはあり得る。モンスターを殺すことに、躊躇するいわれなど存在しない。


 ライカンスロープは、獣化を解く気配を見せていない。確か、丘陵で遭遇したときは、銀髪の女だった。

 手負いとはいえ、2人で相手をするにはかなりの強敵だ。加えて、あちらにはヌリカベもいる。もしその気になれば、再び飛びかかって、今度はウェイガンかウォンバット、どちらかの喉笛を食いちぎるくらい、普通にやってのけるだろう。


「い、いぬがみ、さん……」


 アズキアライがか細い声を出した。ウォンバットはその喉元に、さらにナイフを突きつける。声のない悲鳴が、腕の中で上がった。ライカンスロープが牙を剥き出して低く唸る。


「獣化を解け」


 ウォンバットは勧告した。

 ライカンスロープは、一般的な獣人とその生態が大きく異なる。ライカンスロープの特殊能力である獣化によって、体格はひと回りもふた回りも大きくなり、その身体能力は向上する。魔の王のデーモン、海の王のギルマン同様、獣の王の直系眷属とされるのがライカンスロープだ。


 すなわち、この獣化状態は、人間で言えば強力な武装を身にまとっているのと変わらない。ウォンバットの勧告とは、いわば武装解除命令だ。


「犬神さん、ダメ」


 ヌリカベはそう言うが、最終的に、イヌガミと呼ばれるライカンスロープは、こちらの勧告に素直に従った。


 ウォンバットとウェイガンを強く睨みつけたまま、歯を剥き出しに唸り続ける銀狼は、やがて空気が抜けたかのようにその身体を収縮していく。生え揃った銀の毛並みは薄らいでいき、肌色の皮膚が顕になる。たくましい前脚は華奢な腕へと変わり、ほっそりとした腰周りが浮き彫りになった。

 すらりとした美少女は、地面に座り込んだまま、こちらを強く睨みつけている。最低限の恥じらいはあるのか、片腕は胸元を覆っていた。ウォンバットがつけた肩の刺し傷は、まだ癒えていない。


「ゲス野郎」


 イヌガミの喉が、そんな言葉を紡いだ。ウォンバットは鼻を鳴らす。


「今はそういう気分じゃねぇよ」


 状況が状況なら、ウォンバットも口笛のひとつは吹いていたが、今は殺すか殺されるかだ。淫魔を相手にしているのと、同じ覚悟で挑む。


「で、どうする。ウェイガン」

「ここまでしたら、交渉を試みるわけにもいかない」


 ウェイガンは小さなため息をつき、イヌガミへと冷たい視線を向けた。


「そのライカンスロープは殺す」





 いったい、どうすれば良いだろう。


 御座敷童助は、木の陰から状況を見守っていた。目の前にいるのは冒険者たちだ。冒険者というのは、人間の中で、傭兵的な職業をしている連中で。つい先日も、襲われそうになった。そのときは、空木恭介たちがなんとかしてくれて、助かった。

 先頭を歩いていた御手洗あずきが冒険者に捕らえられたとき、御座敷は壁野の後ろにいた。咄嗟に木の陰に逃げ込んで、見つかることはなかったのである。もともと、気配を隠すのは得意だった。


 犬神が助けにきたが、すぐに窮地に陥った。あずきは未だ冒険者に捕らえられたままだし、犬神は獣化を解除させられ、壁野は動くことができていない。

 そして、敵の冒険者のひとりは、こう言った。


―――そのライカンスロープは殺す。


 このままでは、犬神は殺されてしまう。そして、犬神が殺されて、あずきや壁野が助かるかといえば、そんなことは決してない。

 今、彼女たちを助けるために動けるのは自分だけだ。だが、御座敷の足はすくんでいた。


 フィルター切れ、という奴だ。自分がその状態にあることを、ついぞ言い出すことはできなかった。ここで蹴鞠を取り出して、得意のシュートを一発叩き込めば状況は好転するかもしれないのに、それができない。失敗したら、とか、こちらの居場所がバレたら、とか、そんな心配ばかりが脳をよぎるのだ。

 少しだけ勇気をひねり出せば、できるはずのことが、できない。


 御座敷は木に張り付いたまま、歯をガチガチと打ち鳴らしていた。


「おい、御座敷」


 後ろから声をかけられて、びくり、と肩を震わせる。思わず、声が出そうになった。

 振り返ると、そこには黒い羽毛の上から山伏のような格好をした異形と、半液状のシンプルな異形が並んでいた。


「か、烏丸……。姫水さん……」

「状況はどう? あずにゃんに何があったの?」

「……み、御手洗さんは、捕まってる。犬神さんが、今、獣化を解除させられて……。冒険者たちが、犬神さんを殺すって……」


 震える声で答えると、二人はしばしの間沈黙した。烏丸がひとこと、『最悪だ』と呟く。


「響ちゃんに怪我させたのは、冒険者ってこと? どうしてそんな……」

「冒険者がモンスターを襲うのは、ごく当然のことなんだろ」


 凛の疑問に、烏丸は吐き捨てた。その2人の会話を聞きながら、御座敷は呟く。


「ご、ごめん。2人とも、俺、いま……」

「フィルター切れだね。大丈夫。わかってるよ」


 凛が優しい声で応じた。身体からうにょんと腕が伸びて、そっと頭を撫でてくれる。


「心配ご無用。あたしと烏丸くんがなんとかする。いけるよね?」

「ああ、俺もいつ切れるかヒヤヒヤだけどな」


 烏丸はフィルター切れをまだ起こしていないが、凛は一度起こした上でそれを克服している。頼りになると言えば、そうだ。

 壁野の影から、状況が確認できる。あずきを人質に取られているためか、壁野も動くことができていない。冒険者の片方が、あずきにナイフを突きつけたまま、もう片方が雷属性の魔法を犬神に放つ。犬神は飛び跳ねながらなんとか回避を試みていたが、この狭い森の中を縦横無尽に駆け回る稲光に、すぐに身体を捕らわれた。小さな悲鳴をあげて、地面に落下する。


「姫水、俺はスピードなら自信がある」

「でも、この位置からだと遠すぎるよ。回り込もう」

「それまで犬神がもつか……?」


 凛と烏丸が相談を続けている。


 ここに恭介がいれば、凛と合体して、さっくり解決してくれただろうに、と御座敷は思った。

 彼は立派だ。クラスの中で軽んじられ、転移してきてからも疎んじられ、力を手にした後も、決して傲慢になることはなかった。もちろん、力の半分は借り物だったからという理由はあるのかもしれない。だが、御座敷が周囲のクラスメイトに混じって、底辺へ落ちた竜崎を嘲笑った時も、信用を失った小金井に冷えた視線を向けた時も、恭介の態度は常に一貫したものだった。

 誰であろうと差別をせず、分け隔てをせず、仲間の窮地には駆けつけて、颯爽と敵を倒してくれる。


 あんな風には、自分はなれない。なれないのだ。


 だから、フィルターが切れれば、あっさり身体も動かなくなる。恐怖に苛まれて、何もできなくなってしまう。目の前でクラスメイトが痛めつけられる光景にすら、義憤の心は燃え上がらない。


―――くっ、う、ああっ……!

―――なかなかしぶといな。

―――ウェイガン、もっと強力なのを使えよ!

―――周囲の木々に引火する。


 犬神や冒険者たちのやり取りが、こちらの焦燥感を駆り立てた。ふと、御座敷は視線を壁野の方に向ける。黒塗りの壁そのものである彼女の身体からは、一切の情動がにじまない。何を考えているのか、さっぱりわからない。

 ただその時、御座敷は、微かに壁野千早の身体が震えていることに気がついた。同時に、人間だった頃の、彼女のことを思い出す。背が高く、常に口元を結んでいた彼女は、威圧感があって話しかけづらかった。幼い頃からの付き合いである御座敷も、彼女のことがすっかりわからなくなって、参ったものだ。鉄面皮だの、心に壁がある女だの、影で散々言われていたことに、御座敷はよく同調した。


 その彼女が、小さく震えている。怯えているのだ。今の自分同様に。目の前で起きている、凄惨な現状に。


「……姫水さん」


 御座敷は、烏丸と戦術を練っていた凛に、ぽつりと話しかけた。


「なに?」


 会話を中断されても、彼女は苛立ちすら見せずに、優しい声で尋ね返してくれる。


「……姫水さんは、どうやってフィルター切れを克服したの?」

「克服なんてできないよ。フィルターが一度切れたらね、怖いものは、ずっと怖いままだからね」


 凛は静かに、穏やかに、しかしはっきりと答えた。


「でも、それより怖いものがあったら、やるしかないよね。ってこと」

「怖いものって?」

「恭介くんの隣に、胸を張って並べなくなること。あ、今は胸ないけどね。あたしは人間に戻るつもりがあるという意味で……。あっ、人間に戻っても胸はないけどね。そういう意味じゃなくてね」

「姫水……」


 一人でわけのわからない言い訳を始める凛に、烏丸は呆れたような声を投げていた。

 御座敷は、凛に言ってもらったその言葉を反芻する。フィルターが一度切れたら、怖いものは、ずっと怖いまま。この足のすくみが消えることは、決してない。だがそれでも、それよりもっと怖いものがあるならば、無理やりにでも、身体を動かすしかない。

 いま、一番怖いものとは、なんだろうか。震える身体を押さえ込んで、必死に考える。


 考えるうちに、答えを得る。答えを得ると、確かに少しだけ、身体の震えは小さくなった。


「烏丸、姫水さん……」


 御座敷は、さきほどに比べると、いくらかはっきりした声でこう言った。


「俺が、あのナイフを持った冒険者の隙を作るよ」

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど」


 凛の言葉に、御座敷はかぶりを振った。


「このままだと、俺が一番怖いことが起きる気がするから……」





 ウェイガンの放つ、何度目かの雷属性魔法が、イヌガミを焼いた。身体をかばいながら、必死で魔法を耐えるイヌガミではあるが、こちらの手元にアズキアライがある以上、反撃には出られない。ただ、いくら相手がモンスターといっても、人間の少女の形をしたモノをこのようにいたぶるのは、ウォンバットとしてもあまり気分のいいものではなかった。


「(いっそナイフでとっとと首を切れれば、楽だったか)」


 ウェイガンは攻撃一辺倒の魔法使いで、バインドなどの都合の良いものは持ち合わせていない。必然的に、ウォンバットがアズキアライを確保していなければならなくなる。ウェイガンの貧弱な腕力では、逃げられてしまう可能性があった。

 ここまでやって息絶えないということは、このイヌガミというライカンスロープは、ある程度魔法攻撃に耐性があるのかもしれない。両手を地面につき、荒い呼吸を繰り返すイヌガミを見て、ウォンバットはナイフを持ち替えた。アズキアライを抱える腕で、そのままナイフを持つ。空いた腕で、もう一本別のナイフを取り出した。


「だ、だめっ……!」


 何をするか、想像がついたのだろうか。アズキアライが腕にしがみついてきた。


「おい、放せ」

「だ、だめっ! あなた、今、犬神さんを……」

「どうせ放っといてもウェイガンの魔法で死ぬんだよ! さっさと楽にしてやるほうが良いだろうが!」

「だめ! だめっ……!」


 いっそ振りほどいてしまえれば楽だったが、その間も、イヌガミの黄金の瞳はこちらを睨みつけている。ここでアズキアライを振りほどいた瞬間、いきなり銀狼に姿を変え、襲いかかってこないとも限らなかった。ウォンバットは舌打ちをして、ナイフを軽く引く。


「あっ……」


 ぴっ、と、その頬に一筋の赤線が走る。直後、傷からぷっくりと血が膨れ上がった。赤い血は大気に触れると、無色透明な水となって、アズキアライの頬から流れ出した。


「てめぇ……!」


 イヌガミは、荒い呼吸を繰り返しながら、ウォンバットを睨む。


「御手洗に手ぇ出すんじゃねぇ……!」

「だったらおとなしく殺されてろよ。こっちだって余計なことをしたくねぇんだ!」


 ウォンバットが、そう叫んだ時だった。茂みの中から、一直線に〝何か〟が飛び出してきたのだ。それは球体のようだったが、それ以上、何であるかまではわからない。ただそれは途中で急なカーブを描き、ウォンバットの手元を的確にとらえた。


「うおっ……!」


 一瞬、ナイフを取り落とす。


「!!」


 その瞬間、アズキアライは、ウォンバットの手を強引に振りほどいた。


「あっ、てめっ……!」

「グルァオウッ!」


 ウォンバットが、逃げたアズキアライに向けて残ったナイフを振りかぶる。しかし、同時にイヌガミが、おおよそ人間の声帯では出し得ぬ咆哮をあげながら、しかし姿は人間のまま、こちらへと飛びかかってきた。華奢な腕から発揮される凄まじい膂力が、ウォンバットの肩を押し、地面へと叩きつける。


「くっ……!」


 馬乗りになってくるイヌガミの腹に、ナイフを思いっきり突き刺した。そのまま腹腔を抉らんとする。が、額がぶつかるほどに近づいてきたイヌガミの顔が、一気に変貌してた。黄金の瞳には凄まじい殺意と敵意が宿り、口は耳元まで裂け、生えそろう牙が唾液を垂らしてこちらへと向けられる。

 ウォンバットは片腕で顎を押さえ、もう片方の腕でナイフを取り出すと、今度はその眼球を狙い、突き刺した。


「ぎゃうんっ!」


 銀狼は悲鳴をあげて仰け反る。ウォンバットはその隙に這い出ることに成功した。


「ウェイガンッ!」


 ウォンバットは仲間の冒険者の名前を呼ぶ。魔術師ウェイガンは、その瞬間まさに詠唱を終え、精緻な風の刃をイヌガミに向けて放とうとしていた。


「さぁせるかぁっ!」


 さらに別の声が響き、茂みの中から黒い影が飛び出してくる。突き出た嘴と翼を広げた姿は鳥のようだったが、それは羽毛の上からさらに服を纏い、腕を生やしている。その生えた腕は、勢いと共にウェイガンへと襲いかかった。


「カラステングだ!」


 ウォンバットは叫ぶ。


「てめぇらっ! 犬神と御手洗によくもやってくれたな!」


 カラステングはその声に怒りをにじませると、ウェイガンを手近な木へと思い切り叩きつける。ウォンバットはナイフを抜いて今度はカラステングに向けて投射した。


「うおっ!?」


 ナイフは真っ直ぐに、カラステングの腕へと突き立つ。ウェイガンはその瞬間に、なんとかカラステングの拘束から逃れることができた。カラステングはこちらに振り返り、右手に持った大きな葉を振るう。風がたわみ、空気の刃が放たれるが、ウォンバットは木の陰に隠れてなんとかそれをやり過ごした。

 こうした遮蔽物の多い場所での乱戦こそ、シーフの本領発揮と言える。だが、さすがに状況が傾きすぎた。


 カラステングは腕に刺さったナイフを抜いて、地面に放り投げた。ライカンスロープのイヌガミも、片目にナイフを突き立てたまま、歯を剥き出しにして唸っている。アズキアライは逃げ出し、姿を消してしまった。ヌリカベは相変わらずそこに立ったままだった。

 状況は膠着した。誰かが動けば、他の誰かがそれを止めに動く。そうした状態だった。


「か、烏丸くん……!」


 ヌリカベが呟く。


「壁野はじっとしてろ。そこに御座敷もいる」

「御座敷くんが……? でも……」

「あいつが動いたのは壁野まで酷い目にあって欲しくなかったからだ。察してやれ」


 カラステングは、会話のさなかにも、こちらへの警戒を怠っていない。イヌガミはその話を聞き、フンと鼻を鳴らしていた。


 どうする。ウォンバットは、ウェイガンに目配せをした。逃げられるものなら逃げたいが、敵は獣化したライカンスロープとカラステングだ。シーフひとりならともかく、魔術師の足では逃げ切れるものではない。冒険者ギルドで具体数値ステータス化したウェイガンの〝敏捷性〟を考えても、それは明らかだ。


 逃げ出すにしても、大きな隙を作る必要がある。見たところ、敵の間には強い連帯感があるようだが、それは冒険者パーティのように、一定のプロ意識に基づいたものではない。

 傷ついた仲間を気遣う共感性の高さ。そこはひとつのねらいどころだ。


 この中で、もっとも的が大きく、かつ、戦闘慣れしていなさそうなもの。ウォンバットは手早くハンドサインを送って、ウェイガンもそれに頷いた。ウェイガンは、早速杖を構え、魔法詠唱を開始した。


「!!」


 カラステングが真っ先に反応し、ファンのような葉を振るう。しかし、まずそちらが動くことを読んでいたウォンバットは、葉を握るカラステングの腕をめがけて、ナイフを投射した。


「ぐっ……!」


 葉を取り落とすカラステング。葉はその腕を離れ、ひらひらと舞った。

 ほぼ同時に、銀狼がウォンバットに向けて飛びかかる。ナイフを投げた動作から、そのまま回避につなげて、大樹の壁に滑り込んだ。イヌガミの大きな前脚が幹に激突し、爪がその表面を大きく削り取った。

 ウェイガンの魔法詠唱が完了するまで、あと2秒。ウォンバットは、懐から最後のナイフを取り出して、カラステングに向けて三度目の投射を行った。今度は命中こそしなかったが、攻撃を敏感に察知したカラステングは、回避にわずかな時間を取られる。

 あと1秒。イヌガミは唸り声と共に、大樹の幹をめちゃくちゃに抉りとった。根元のバランスを大きく崩したその木を、ウォンバットに向けて全身で押し倒す。あわや下敷きになる、というところで、ウォンバットは飛び込むように回避し、しかしそこで、目の前に大口をあけて迫る銀狼の姿を見た。


 0秒。ウェイガンの魔法が発動する。彼の得意とする雷属性魔法が大気を焦がし、今度は佇むヌリカベに向けて発射された。





 呆然と佇み、ただ戦いを見守ることしかできなかった壁野千早は、その瞬間まで、自分が攻撃の対象となっていることに気付かなかった。冒険者の放った魔法は、それまで何度も犬神に向けて放たれていたのと、同じものである。それは真っ直ぐに空を引き裂き、こちらへ向かって飛んできた。


「壁野さんっ!」


 背後からそんな声が聞こえて、一人の小柄な少年が飛び出してくる。少年は、自分と稲光の斜線を遮るように跳躍して、その直撃を受ける。


「うああっ!」

「御座敷くん!?」


 それは、いつも自分の影に隠れて自己主張をしなかった、クラスメイトの御座敷童助その本人である。御座敷は悲鳴をあげて地面へと落下し、そのままぴくりとも動かなくなった。


「御座敷くん!」

「御座敷っ!」


 壁野に続いて、烏丸も振り返って叫ぶ。

 ちょうどそこで、前方から身の毛もよだつような叫び声が聞こえてきた。


「ぎゃああっ!!」


 壁野の開けた視界は、いやがおうにもその光景をおさめてしまう。冒険者の一人に飛びかかった犬神が、まさにその肩に噛み付き、肉を食いちぎったのだ。さらに爪が背中の肉を大きくえぐるが、傷を負いながらも冒険者は、素早く走り去っていく。

 魔法使いの冒険者も、逃げた冒険者を追いかけようと走り出した。だがその直後、地面から染み出すようにして飛び出した腕が、その冒険者の足を捕らえる。


「!?」


 冒険者は転倒し、自らの足を見た。そこには、青い半透明の腕が地面から生えており、がっちりと掴んで離さない。地面から染み出してきた腕は一本だけではなく、そのまま魔術師の身体を完全に拘束した。


「なっ、な、あ、な……なあっ……!」

「約束を破っただけのペナルティは受けてもらう」


 よく聴き慣れた声は、やや怒気をはらんでいる。姫水凛のものだった。やがて、地面の中から彼女は全貌を現し、いつもより数倍の大きさになった体積で、冒険者の身体を縛り上げる。腕から杖を奪い、口を押さえてその魔法を完全に封じ込めた。


「姫水さん、御座敷くんが!」


 壁野が叫ぶ。駆けつけた烏丸が御座敷の身体を揺り起こした。

 雷魔法の直撃。目立った外傷はない。犬神が何度も食らっていた攻撃だ。こんなもので、と思うが、事実として御座敷はぴくりとも動かない。小柄な童女のような顔は、目を閉じたままだった。

 凛と、彼女の後ろの木陰に隠れていたあずきもこちらに駆け寄り、奥まで冒険者を追っていた犬神も、しばらくして戻ってきた。


「ん、う……うう……」


 やがて、御座敷は身じろぎして、ゆっくりと目を開ける。


「御座敷くん……!」

「か、壁野さん……。良かった……。無事で……」

「バカ! それはこっちのセリフよ!」


 本当ならば、とぼけたことを言う御座敷を、このまま抱き寄せてやりたいところだった。腕がない、というのを、これほどもどかしく感じたことはない。それまで神妙な顔をしていた犬神は、ふん、と鼻を鳴らすと、烏丸に向けて顎をしゃくるような仕草をした。


「なんだよ、抜けってか」


 烏丸も緊張が解けたような声を出す。

 犬神の目からナイフを引っこ抜く。ぴゅっ、と血が散って、犬神が小さく悲鳴を漏らした。


「犬神さん、大丈夫……?」


 あずきが尋ねると、犬神は頷く。烏丸は、抜いたナイフを地面に捨てながら、犬神の顔を観察した。


「これ、よく見ると目には刺さってないな。ちょうど目の真横あたりだ。血が出てるから、それは痛そうだけどな」

「そうなんだ、運が良かったんだね」


 烏丸はそのまましゃがみこんで、犬神の腹に突き刺さっているナイフも抜いてやる。そのまま腹の傷も確認しようとしたところ、犬神の前脚に思いっきり後頭部を叩きつけられ、クチバシごと地面にめり込んだ。


「むごぉ!」

「お腹の傷も急所外れてたのかな。運が良かったんだね」


 あずきが言い、犬神はまた頷いた。


「そう言えば、御座敷くんも直撃を受けたように見えたけど、大丈夫? やけどとかしてないかしら」

「う、うん……。平気みたい……。よくわかんないけど」

「……助けてくれて、ありがとう」

「う、うん……」


 壁野が礼を言うと、御座敷は頬を掻いて視線を逸らした。

 この臆病で内気な彼が、自分のために飛び出して来てくれたときは、少し驚いたし、嬉しかった。壁野は、その気持ちを言葉にして表現したかったのだが、結局、礼を言う以外の選択肢が見当たらない。


「じゃあ帰りますかー」


 それまで黙っていた凛が、唐突に口を割る。彼女は、相変わらず冒険者の一人を拘束したまま、ゆっくりと地面を這っていた。


「この冒険者の彼の処遇については、恭介くん達と相談してじっくり考えましょう」

「運が良いと言えばこいつもだな」


 クチバシを地面から引っこ抜いて、烏丸が言う。


「御座敷が死んでたり、犬神がもっとひどい怪我してたりしたら、腹いせに腕の一本くらい折ってたかもしれねぇぞ」

「か、烏丸くん……。あたし、そういうの、あんまり良くないと思うので……」

「そうだね。そういうのは、良くないよ」


 あずきが控えめに抗議する。凛も頷いた。おそらくこの中でフィルターが切れていないのは烏丸だけなので、必然的に彼の言動が過激になる。まぁ、犬神も口がきけたら同じことを言っていたかもしれないが。

 口を塞がれたまま、冒険者は何かを抗議していたが、当然意味のある言葉にはならない。


「でも実際、御座敷くんも犬神さんも、それに御手洗さんも、無事で良かったわ」

「ま、そこは全部、御座敷くんが勇気を振り絞ったおかげということで」


 壁野の声に、凛はのんきに答えた。だが、当の御座敷本人は、口元に手を当てて、難しい顔で考え込んでいる。


「どうしたの? 御座敷くん」

「……もしかしたら、俺、フェイズ2に覚醒できたかもしれない」


 神妙な声で呟く御座敷に、一同は『おお』と声を漏らす。


「マジか。おめでとう、御座敷。どんな能力なんだ?」

「確信はないんだけど……。紅井さんの持ってきた資料に、座敷童子のフェイズ2能力について記述があってさ。それによると……」

「「「「それによると?」」」」


 犬神以外の全員の声が、一斉に唱和した。


 御座敷は顔をあげ、一同の顔を、そして、凛に拘束されたままの冒険者の顔を眺める。彼は、やや遠慮がちに、しかし案外はっきりとした、誇らしげな声で、こう答えた。


「周りの人の運がよくなる、らしい」

次回も近日更新予定ですー。

5章は7月中完結予定ですが、タスクが重なっているのでスローペースで続けていきます。

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