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第60話 蒼海を朱に染めて(前編)

※現在4章を読みすすめている方へ

 平素より人外転生をご愛読いただきありがとうございます。

 この4章なんですが、8月18日あたりを目処に一気に改稿を行う予定です。

 改稿といっても細かい展開の修正や入れ替え、冗長な描写の削除がメインになり、全体の流れに変化はありません。


クラスメイト全員揃いました。みんなネタ募集を参考にさせてもらっています。ありがとうございました!

 大半の生徒は現在、交易会の会場に荷物の運び込みを行っている。


 ほとんどの生徒がこちらに回されたのには、理由がいくつかある。まずひとつは、島民に対しこのデルフ島で起きている吸血鬼とのいざこざを秘匿するため、カムフラージュをしっかりする必要があること。ひとつは、単純に重巡分校が襲撃された際、戦闘能力の低い彼らが犬死をする可能性があるということだ。

 吸血鬼の戦闘能力は高い。ポーン1体でも対抗できる生徒は限られるのである。ただ、この決定には、剣崎恵をはじめとしたいくらかの戦闘要員から不満の声があがった。事実上、戦力外通告を言い渡されたようなものである。当然と言えば、当然と言えた。


「剣崎さん、まだ機嫌なおしてないの?」


 交易会場で腕を組む首なし風紀委員は、木箱の上に置いた顔の唇を思いっきり尖らせている。


「当然だろう。私だって本来、分校の守りにつきたかったのだぞ。それがなぜ……」

「弱いからでしょ?」

「ぐっ……」


 剣崎の言葉を詰まらせたのは、ぬりかべに転生した壁野千早かべの・ちはや。女子である。転生前は、クラスの中において、ある数値・・・・が極端に―――あの姫水凛よりも低く、本人はそれをコンプレックスに感じていたのだが、まるでその劣等感を象徴するような形でぬりかべになってしまった。竜崎、籠井ばりに頑健な身体を持つが、手足が短いので倒れると起き上がれない欠点がある。

 この準備会場でできる仕事などさしてないのだが、その巨体を活かして日陰になり、生徒や商人たちの休憩所になっている。


「やはり、修行……。修行か。強くならねばならんな……」

「そんな無理して強くならなくても良いじゃない」

「私は戦闘しか取り柄がない。それがまだフェイズ2にもなれていないというのは……」


 剣崎はそのまま木箱を運び、開梱作業を再開した。


 ちなみに重巡に残った生徒たちというのも何人か存在する。だが、彼らも直接の戦闘要員というよりは、時間稼ぎと連絡のために配置されているようなものだ。実際、彼らが束になってかかったところで、ポーンには勝てない。


「まぁ、それはそろそろ全員が感じ始めている頃ですね」


 クイッ、と中指で眼鏡を押さえ、ケンタウルスの半馬賢太郎はんま・けんたろうがやってくる。人間時代からガリ勉気味だった男だが、こちらに来てからずいぶんとたくましくなった。インテリじみた言動を取ることもあるのだが、興奮すると馬のようないななきをあげて後ろ足で蹴り飛ばすので、もっぱら戦闘要員としてその能力を買われている。


「現状、一部の生徒に負担が集中しすぎています。僕たちは二軍扱いです。全体的なスペックアップ。ブレイクスルーというか、イノベーション的な何かが、Win-Winな関係を築いていく上では必要不可欠になっていくでしょうね。自己啓発、などというつもりはありませんが、ここはセルフ・デベロップメント的な……」


 とうとうと語りながら、半馬は手でろくろを回すような動作をし始めたので、剣崎と壁野は無視することに決めた。半馬も悪いやつではないのだが、カタカナ語を用いて中身のない会話をしたがる傾向にあるので、あまり学のない剣崎としてはやや苦手なタイプだ。

 しかしまぁ、改めて見るとよくこんなに個性的な生徒が集まったものだ。少し離れた場所では、画原の描いたイラストや、五分河原の作った彫り細工などを、クラスメイト達がずらっと並べている。商人たちの運んできた商品の中で、汚れや傷みが目立つものは、御手洗みたらいあずきがシャカシャカと洗っていたりした。御手洗は、小豆洗いとかいう日本の妖怪に転生した生徒だ。油断すると本人の気配が薄くなって何かを洗っている音だけがし始めるので、ちょっと怖い。


 この会場準備を経て、商人たちも多少はこちらへの警戒を解いたようである。とは言っても、見た目の恐ろしい剣崎の方にはあまり話しかけに来ないのだが。来てくれるのは、せいぜいレミィくらいなもんである。


「あ、ケンザキさん、開梱お手伝いありがとうございますです」

「む、気にするな」


 レミィはリストを片手に、剣崎の開けた木箱の中身をチェックし始める。


「そういえば、カオルさんやウツロギさん達はいないです?」

「ん、あ、ああ。あいつらは別件でな……」


 剣崎は、曖昧に言葉を誤魔化して言った。


 結局、彼ら商人たちにも、この島にいる吸血鬼のことを話していない。あまり誠実であるとは思えないが、下手に騒ぎを大きくできないという理屈は、まぁ理解できる。歯がゆい話ではあるが。


「くっ、結局はすべて私の力不足ではないか!」


 ダン、と木箱を叩きながら、剣崎は思わず叫んでしまう。ただし叫ぶのは少し離れた場所に置かれた顔の方だったので、近くを通りかかった商人たちが思いっきりビックリしていた。

 さて、そんな時である。

 少し離れた場所から、この砂浜に向けてまっすぐ飛来してくる物体が2つあるのを、生徒たちは目撃していた。


「ねぇ剣崎さん、あれ」


 壁野にそう言われ、剣崎も顔をあげる。あげようとした顔が、ゴロンと木箱から転がり落ちて、砂浜に落下した。


「わっぷ」

「世話が焼けるな剣崎……」

「ああ、すまん白馬……。いたたたたっ! おいっ! 髪を咥えるな!」

ひふぁふぁふぁひはろしかたないだろ


 白馬にポニーテールをくわえられ、剣崎が青い空へと視線を向ける。その頃には既に、近づいてくる2つの物体はかなり大きいものになっていた。1つが棺桶で、もう1つが宝箱だ。黄金の装飾が眩しいあの棺桶は、原尾のものであるとして、宝箱の方は……。


「箱入か」

「だな」

「わっぷ」


 白馬が口を開いた瞬間、再び剣崎の顔が砂浜に落下した。


 棺桶は、勢いよく空から砂浜に向けて着陸し、白い砂を巻き上げながら、ちょうど剣崎の顔の前あたりで停止する。続いて降ってきた宝箱も同様だ。真っ先に棺桶が開いて、中から見慣れた顔が飛び出した。


「ぶっは……! 暑くて苦しかったわ!」

「カオルコ……!?」

「あら恵、ダメよ顔に砂なんか貼り付けて、女子力ガタ落ちよ? 女の子はいつでもウィー・アー・オンステージの精神でいなきゃ」


 そう言って、なぜか原尾の棺桶に入って飛んできた丘間カオルは、剣崎の顔を拾い上げて砂を丁寧に拭った。


 宝箱の方も、砂を巻き上げて着地し、生徒や商人たちの前で停止する。この宝箱のことは知っている。箱入葉子はこいり・ようこ。宝箱型モンスターであるミミックに転生した生徒だ。原尾ほどではないが、ちょっとお金持ちの家に生まれたお嬢様で、クラスでは『箱入りはーこ』なんて呼ばれていたのだが、異世界転移によって本人が箱になってしまった。


「お、おい箱入、何があったんだよ」


 ハーピィの春井由佳がおそるおそる尋ねると、箱入の上蓋がばかんっ、と開いて、中からゴブリン五分河原が頭を抱えながら出てきた。


「ああっ、五分河原くん! ごめんね! 乱暴しちゃって! 痛くなかった!?」

「いや、気にしてないんだぜ……。ちょっとベロ放してくれる?」


 突如降ってきた棺桶の中に、丘間カオル。そして箱入と五分河原だ。一同は首をかしげた。商人たちも作業の手をとめて、訝しげにこちらを眺めている。


「カオルコ、これはどういうことだ?」

「おまえら、分校の守りについていたんじゃないのか」


 剣崎と白馬が口々に尋ねると、カオルはハッと顔をあげた。


「そ、そうよ! 聞いて、大変なの! 分校にポーンが5体出てきたのよ!」

「ご、5体だと!?」


 それを聞いて、剣崎も如実にうろたえる。


 血族の最下級戦士であるポーンだが、先述した通り、大半のクラスメイトでは到底及ばないほどの戦闘能力を有する。対抗できるのはゴウバヤシや原尾など、一部の生徒だけだ。だが、今までそのポーンが、複数体で2年4組の生徒たちを襲撃してくることなど、なかった。

 生徒たちの間にも、動揺が広がる。そして、その言葉の意味はわからないながらも、不安は他の商人たちにまで伝播をしはじめていた。


「アタシも戦おうと思ったんだけど、原尾くんに棺桶の中に詰められて……。葉子たちも同じ?」

「ああ、同じだぜ。船内で待機していて助けに行こうと思ったら、いきなりテレポートで外に飛ばされてだな……」


 箱入の代わりに、五分河原が頭を抱えながら答える。


「俺たちじゃ手も足も出ずに殺されかねなかったから、妥当な判断ではあるんだろうさ」

「しかし、それでは、いま分校に残っているのは……!」

「原尾くんと、あと御座敷おざしきくんだけ」

「御座敷は自分から動かない限りは見つからないから、原尾も状況を確認させるために残したんだろう」


 話を聞いたクラスメイト達がどよめき、そして少し離れた生徒らも、事情を察して集まってくる。この場にいるクラスメイト、総勢21人が浮かべる表情はそれぞれだ。そして、それを見つめる商人たちも、作業の手を止めてしまっている。

 商人たちには申し訳ないと思うが、彼らにレスポンスを返すだけの余裕は、いまはない。いま、自分たちがどうするべきかを考えるので手一杯だ。自分たちが向かったところで、足手まといになるのは、目に見えているが……。


「白馬、行くぞ!」

「うおおっ!?」


 剣崎は、カオルの手から自らの顔をひったくると、そのまま白馬の鞍の上に跨った。


「行くって、おい剣崎。本気か? ポーン5体だぞ?」

「おまえの回復魔法があれば、持たせられる!」

「俺の魔法、アンデッドには効かないぞ」

「………そうだった」


 すると、半馬賢太郎が、マーメイドの魚住鱒代を背中に乗せて前に出てくる。


「魚住さんの回復魔法は、白馬くんのものほど強力ではありませんがアンデッドモンスターにも効果があります。複数のプランを並列に試行することで、確実なリザルトを狙っていきましょう」


 魚住妹も、真剣な顔で頷いた。ケンタウロスの背中に乗るマーメイド。なかなか絵になる。


「おいおい」


 五分河原が呆れた声で呟いた。


「原尾の気遣いを無駄にすんのか?」

「私だって無駄死にをするつもりはない」


 剣崎の小脇に抱えた顔が、はっきりと主張する。


「だが黙って看過することが至善であるとは、どうにも思えんのだ」

「同感ね」


 雪女の雪ノ下涼香が、半分くらい溶けながら言った。


「ポーン5人なら、原尾くんでも勝てる相手じゃないわ。どのみち、紅井さんは連れ去られてしまう」

「だったら、竜崎やゴウバヤシに報告するなりだな……」

「あ、じゃあ、それはあたしがやる……」


 ばさっ、と翼を広げ、サンダーバードの神成鳥々羽が名乗りをあげる。彼女の飛行速度はクラスの中でも群を抜く。連絡役にはうってつけだろう。五分河原はため息をついて、頭を掻いた。


「奥村、おまえはどうすんだ?」

「答えなんか最初から決まっているデブ」


 奥村がずずいと前に出ると、ゼクウも無言でそれに追従した。


「どのみちポーンが5人なら、竜崎、ゴウバヤシ、原尾が揃っても苦戦は免れないデブ。足りない分は、おいら達20人でアシストしていくしかないデブ」

「けーっきょく、こうなるのねー」


 棺桶の上に腰掛けたカオルが、意外そうな顔を作って言った。


「みんな、アタシが拠点を出たときから、ずいぶん変わったじゃない」

「成長した……ということでしょうね」


 クイッと眼鏡をあげて、半馬が言った。


「フッ。僕の明晰なブレインが導き出した計算によれば……」

「そういうのは良いんだ」


 剣崎が、片手で半馬をたしなめる。


「ひとまず、神成が竜崎たちを呼びに行く。私たちのするべきは、残っている原尾のアシストと時間稼ぎだ。無茶はするなよ」


 生徒たちは、しっかりと頷く。


「あ、あのう、ケンザキさん、それにカオルさん……。分校が襲われてるって……」

「すまん、レミィ。詳しい話はできないが、級友の危機でな」


 剣崎は前を見つめながらそう言った。


「多分、お前たちほどの修羅場をくぐっているわけではないんだが……。私たちは、もうできれば、クラスメイトを一人も失いたくないのだ」


 その言葉が、果たしてクラス全員の意識を代弁していたかどうか。剣崎にははっきりしたことは言えない。

 だが、剣崎恵自身にとっては、紛れもない本心である。小金井は帰ってきていない。鷲尾は二度と帰ってこない。痛みと悲しみは乗り越えたが、その事実自体は風化させてはならないし、繰り返してはならない。


 だからこそ、犬死にするつもりも、ない。


 レミィは、剣崎の言葉を聞いてキョトンとしていた。それはそうだろう。何が起こっているのか、彼女たちにはさっぱりわからないはずだ。


「ごめんなさいね。用事が片付いたら、すぐにお手伝いに戻ってくるわ。サボるわけじゃないのよ?」


 カオルが微笑んで言った。


「よし、では行くぞ!」


 剣崎は、片手で白馬の手綱を握り、軽く引いた。白馬はいななく代わりに『よっしゃあ!』と叫んで、砂浜を勢いよく走り出す。半馬がそれを追い、ほかの生徒たちも一斉に走り始めた。足の速さはバラバラだが、しばらくもしないうちに、会場に生徒たちはいなくなってしまう。

 バチッ、と空気の弾ける音がしたと思うと、空からヒラヒラと、青白い電光をまとった羽が舞い降りてきた。見上げると、サンダーバードの巨影が、集落の方へと飛んでいく。


 彼らが嵐のように去ったあと、目を丸くした商人の一人が、レミィにこう尋ねた。


「結局、なんだって? 彼ら?」

「わからないです」


 レミィは呆然と呟く。


「わからないですけど。多分、大切なことなんだと思うです」





 紅井明日香の蹴りをくらって、ゴウバヤシの巨体が軽々と吹き飛ぶ。あの細身の身体のどこにそんなパワーが秘められているのかは知らないが、それを見て佐久間は確信した。あれこそが、普段から紅井がひた隠しにしていた、身体能力の一端である。クラス内でも事実上最強とも言えるパワーの持ち主ですら、軽々と吹き飛ばされてしまうのだ。


「ぐうっ……!」


 壁に激突したゴウバヤシは、身体を押さえながらなんとか立ち上がる。マントが潮風にたなびいた。


「なるほど……」


 紅井、正確には彼女の姿をした“何か”は、とうてい紅井らしからぬ柔和な笑みを浮かべて言った。

 柔和で、優しい笑顔。だが、それを見たとき、佐久間は鳥肌が立つのを感じた。理由はわからない。まるで心臓を鷲掴みにされたような寒気が、全身を襲う。あれだけ優しそうな笑顔の中に、ドス黒く渦巻く何かがある。


「はじめまして、と、言っておくべきかな。明日香のお友達たち。私が、血族の“王”だ」


 “王”。その言葉の意味を、佐久間は瞬時に把握する。


 紅井たち、吸血鬼一族の“王”。血の制約によって、絶対的な権能を振るうことができる、完全なる上位者。彼女たちの心と身体を、完全に支配することができる暴君。すなわち“王”だ。それがどういうわけかいま、紅井明日香の姿でここにいる。

 いや、あの肉体は、おそらく紅井明日香そのものだ。彼女の身体を使って、王が会話をしている。より正確に言うならば、紅井の口で王の言葉を喋らせているのだ。心がさっと冷めていくのがわかる。紅井の身体は今、王の権能によって操られてしまっている。


「心配しなくてもいい。まだ私は、明日香のすべてを手に入れたわけではない」


 そう言って、“王”は指を立てて言った。


「せいぜい30分。この私の支配が持つのはそのくらいだろう。だからその間、私は君たちと話がしたい」

「どういう……」


 佐久間は、辛うじて声を発することができた。


「こと、ですか」


 言葉にした直後、ふつふつと怒りのようなものが、心の奥底から沸き起こってくるのを、佐久間祥子は理解した。同時に、自分のそれまでの行いと感情を恥じる気持ちもである。


 心を支配するということ。それはまさしく、今目の前で行われている、“こういうこと”だ。あの常にクールで、それでいて優しく、誰よりも気高かったあの紅井明日香の表情が歪められている。彼女の魂が蹂躙されている。こんなことが、平然と行われて良いはずがない。ひょっとしたら、こんなことを自分はやろうとしていたのか、と思うと、そら恐ろしい気持ちにすらなった。

 思いを新たにすればするほど、怒りは度合いを増していく。甲板にいる生徒は現在、佐久間を除けばゴウバヤシと原尾のみ。どちらも手負いであり、原尾に至っては満身創痍だ。ここで佐久間が怒ったところで、紅井の力を自由に行使できる“王”に勝てる道理などない。


 それでも、佐久間は怒った。


「言葉通りの意味だよ。私は動くことができないからね。こうでもしないと君たちとは話せない」

「明日香ちゃんの身体を返してください」

「30分経ったら返すさ。もちろん、一時的にだけどね」


 “王”がそう言った直後、船室から黒い甲冑をまとった吸血鬼たちが出てくる。佐久間はそこで改めて、戦慄を顕にした。おそらくポーンと思しきその吸血鬼たちは、4人もいたのである。“王”を含めれば5人。絶望的なまでの戦力差である。


 驚愕する佐久間を無視して、ポーンの1人が“王”にかしずいた。


「“王”、大変失礼ですが、腕の方を」

「かしこまらなくてもいい。私は手足を操っているだけで、別にこの身体は私ではない」


 そう言って、“王”に支配された紅井は、表情を虚ろなものに戻し、右腕を差し出した。先ほどあの表情も、意図的に作ったものなのだろう。おそらく、“紅井を支配している”というシチュエーションを、端的にこちらに突きつけるためだ。趣味が、悪い。


「もちろん、愛しの明日香の腕が傷つくのを見るのは忍びない。穏便にやりなさい」

「は……」


 そう言って、ポーンは注射器を取り出し、差し出された紅井の腕にぷすりと刺した。


 何を、と思ったが、佐久間はすぐに理解する。

 血を、持っていくつもりなのだ。


「やめてっ!」


 佐久間は駆け出した。


 紅井が王の支配から逃れられているのは、王に血を捧げていないためであると、彼女から説明を受けたことがある。詳しいメカニズムはともかくとして、王が離れた距離から紅井の身体を操るには、彼女の血が必要不可欠なのだ。

 今回、紅井が操られているのは、血を捧げたためではない。それが何かはわからないが、もっと別の要因だ。だから30分しかもたない。


 その30分の間に、血を抜き、それを王に捧げにいく。敵の目的は、それなのだ。


邪炎のイヴィル―――!」

「下がれぃ!」


 魔法を放とうとした直前、迎撃に駆け出したポーンが佐久間の横面を殴りつける。


「うあっ……!」


 攻撃を中断された佐久間の身体が、甲板を転がった。


 顔をあげる。紅井の白い腕からは真っ赤な血が抜かれ、注射器の中を満たしていく。人間の血は、もうちょっと黒ずんだ色であると佐久間は知っていたが、抜き取られた紅井の血は輝くような色鮮やかさを持っていた。


 注射器の刺された痕に、ポーン達がガーゼを貼る。シュールな光景ではあったが、それを笑う者は誰もいない。


「さて、ポーン達よ。今回はご苦労だった」


 “王”は、そんなポーン達をねぎらいながら言う。


「私はここでしばらく、彼らと話をしていよう。お前たちはその血を持って、帰還しなさい。アルバダンバのポーンが手配した船が、南の崖にあるはずだ」

「はっ……!」


 ポーン達は恭しく頭を下げ、一様に翼を広げた。ダメだ、と佐久間は思う。ここで逃げられてしまったら。“血”を持ち帰られてしまったら。紅井明日香の血は王に捧げられる。身も心も、彼女は支配されるようになってしまう。佐久間はぐっと拳を握り、立ち上がった。


「待ちなさいっ!!」


 翼を広げ、空へと飛び立ったポーン達を追う。だが、


「待つのは君の方だ」


 ふっと耳元でそんな声が聞こえ、鈍い衝撃が佐久間の背中から襲いかかった。


「ぐっ……!」


 再び、身体が甲板へと叩きつけられる。“王”の、紅井の顔が、すぐ目の前にあった。


「君たちと話をしたい。私はそう言ったよ」


 感情のすっかり消え失せた、虚ろでぼうっとした瞳。だが口だけは、優しげな声音で言葉を語る。紅井の、白魚のような指先が、そっと佐久間の顎を捉えた。もう片方の手は首筋のあたりを撫で回している。大親友の紅井の、大好きな紅井の指先なのに、佐久間の心には嫌悪感しか芽生えてこない。


 その時である。


「うおおおああああああああああッ!!」


 裂帛の気合。ゴウバヤシのものだ。はっ、と紅井が顔をあげるのがわかった。佐久間も彼の方を見る。


「ほう……」


 今まさにゴウバヤシは、マントを脱ぎ捨てんとするところだった。放り出されたマントは、その見た目からはとうてい思いよらぬほどの重厚な音をたてて、甲板にめり込む。脱ぎ捨てた直後、ゴウバヤシが誇る全身の筋肉が更に膨張し、全身から立ち上る黄金の闘気が勢いを増した。


「逃がさぁぁぁぁぁんッ!」


 ゴウバヤシはそのまま甲板を蹴りたて、宙へと飛び上がった。天へと向けて放たれる飛び蹴りが、まるでロケットのように急上昇していく。空へ逃げたポーン達を、蹴りで叩き落とすつもりなのだ。『ふっ』と“王”が笑うのがわかった。


 紅井の背中から翼が生える。ポーン達に届く前に、ゴウバヤシを引きずり落とそうというのだろう。


 だが、飛び上がる瞬間、どこからともなく飛んできたボールのようなものが、“王”の頬を弾いた。

 大した威力ではなかったのだろうと思われる。紅井の身体はよろめきさえしなかった。だが、不意打ちとしては十分すぎる。わずかに出遅れたその隙に、ゴウバヤシの蹴りが、背後から一体のポーンを捉えた。そして、そのまま落下するはずだったゴウバヤシの身体は、空中に身体を固定して、続けざまに渾身の拳を、2体目に向けて放ったのである。


「えええっ!?」


 佐久間は驚いたが、すぐに理解した。


 少し離れた場所で、甲板に仰向けになって倒れていた原尾が、その右腕を掲げている。右腕には、欠けたアンクが握られていた。原尾自身は満身創痍だが、生み出される念動力には一切見劣りしない。その力によって後押しされたゴウバヤシが、更に3体目の身体を叩き落とした。


「なかなか粘るじゃないか……!」


 ぞっとするような“王”の声。ゴウバヤシが4人目に殴りかかろうとしたその時、“王”の放った黒い稲妻が、原尾の手からアンクを弾き飛ばした。ゴウバヤシの身体が、支えを失って落下する。4人目のポーンは、そのまま蒼穹へと消えていった。


「ゴウバヤシくん!」


 佐久間がその名前を叫ぶが、彼は危なげなく、しかし轟音を立てて甲板に着地する。重巡分校の船体が大きく揺れた。


「血を持って逃げているのは、あのポーンでいいのかな?」

「はい」


 だが、目当ての相手だけは撃墜できなかったらしい。目の前で、王とポーンがそんな会話をかわす。


「すまないね。私が不意打ちを食らわなければ、お前たちも守れたのだが」


 そう言って、“王”は船室の方へと目を向ける。サッカーボール……というよりは、蹴鞠を足の下に押さえ、腕を組んでいる和服姿の小柄な少年がいた。


「御座敷か。あいつがいたな」


 ゴウバヤシが呟く。


 座敷わらしの御座敷童助だ。サッカー部所属のエースストライカーで、実家は老舗旅館をやっているらしいのだが、クラスではやたらと影の薄かった男である。叩き落とされたポーン達は3人。飛び立つ気配はない。むしろ、血を持って逃げた一体を、決して追わせないという確固たる信念をもって、こちらを睨んでいるように思えた。


「すまん、佐久間」


 ゴウバヤシは苦々しい顔で呟く。


「このままでは、紅井は……」


 彼は血のメカニズムについて聞いてはいないはずだが、それでも相手の目的はある程度理解できたのだろう。血を持って逃げられることが、どれだけ脅威につながるが、ある程度察しがついているようだった。


「ゴウバヤシくんのせいじゃない、けど……」


 佐久間も目の前を見る。

 相手のポーンは、傷を負っているものが2体、万全な状態のものが1体、そして紅井の身体を操っている“王”。こちらは手負いの原尾とゴウバヤシ。それに佐久間と御座敷の4人だ。戦力差が圧倒的に傾いているだけではない。相手は、こちらを足止めし、あのポーンを逃せばそれで勝ちという状態だ。


 戦況は、実質最悪といってもいいものだった。

次回は明日か明後日の朝7時更新です。曖昧です!

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