第4話
「――許せませんっ!!」
朝の陽光が溶け込むサロンに、
マリアの怒声が紅茶の香を震わせた。
深紅のリボンがびたりと跳ね、
侍女は新聞紙をぐしゃりと握りしめている――
ただし、クラリスの写真の部分だけは指一本触れず、皺すら寄せない。
「この……下賤な紙っ!!
何が“気まぐれ救済”ですの!?
第二王子殿下が哀れみで求婚なさったですって!?
それに……っ“影が薄れる一方”?
誰が、誰を薄れると言えるんですのっ!!」
紙面を叩く小鳥のような指。
けれど怒りは焔のように噴き上がる。
「こんな捏造……こんな侮辱……
お嬢様を知らないから平気で書けるんですわ!!」
クラリスは鏡台の前で扇を揺らし、
紅茶の香と優雅な無関心をまとっていた。
「……まぁ、人を貶めるしか能がない方々も
この世にはいるものよ」
埃を払うような軽い声音。
その上品な無慈悲さに、マリアは一瞬ぽかん――
そして胸を押さえて陶然とする。
「さすが……さすがクラリス様です♡
格が違います……!」
クラリスは微笑を返す。
だが、新聞が風で捲れ、
隅の一文が瞳に刺さった瞬間――
扇が止まった。
《クラリス、新興貴族の流行に嫉妬か?》
「……」
(なんですって……?)
唇がわずかに歪む。
「……マリア」
「はいっ、お嬢様♡」
「散歩に行ってくるわ」
ぱちり、と扇が鳴る。
その音は、刃。
「まぁ! お供します♡」
「いいえ――
一人で十分よ」
そう告げて、クラリスは深紅の影を揺らし、静かに去った。
◆
王都の裏通り、
新興貴族の資金で立ち上げられた三流新聞社《煌通信》。
ガラン、と鈴が鳴った瞬間――
中の空気は凍りついた。
羽根ペンが止まり、
受付の娘が声を失う。
「……え、……えっ……?
ク、クラリス……さま……?」
クラリスは扇を下ろし、
薄い笑みを落とした。
「ごきげんよう。
わたくしの記事を書いた方に――お話があるの」
脂汗の編集長が飛び出し、膝をわななかせる。
「な、なぜ……わざわざ……!?
わ、わたくしどもは噂を拾っただけで――!」
クラリスは紙面を机に叩きつける。
「そんなことはどうでもいいのよ」
底が見えない、押し殺した声。
編集長が息を呑む。
彼らは知っていた――その後ろ盾の新興貴族よりも、
公爵令嬢の“気まぐれ”一つの方が、命取りだと言うことを。
クラリスの紅い瞳が、紙面の一点を射抜く。
扇がゆっくり閉じられる。
「三流記者が三流の記事を書いたくらいで、
わたくしは怒りませんわ」
編集長は胸を撫で下ろした。
だが次の瞬間――
扇の先端が紙面を突き刺した。
「――ですが。」
空気の温度が一気に落ちる。
「この写真は……何なの?」
振り返った記者たちの背筋が総毛立つ。
「どうしてここまで下手なの?
素材をここまで無駄にできるの?
こんな角度、こんな光……
それで“公爵令嬢”を撮ったつもりなの?」
編集長が引き攣る。
「い、いえ……あの……」
扇が空気を裂いた。
「それに――
王太妃候補の記事より、
わたくしの写真が小さいのはどういう意味かしら?」
扇子の先が紙面を指す。
「わたくしの記事なのよ?
三流でも――
レイアウトの美意識くらい持ちなさいな」
記者たちの表情が変わる。
(……そこなの?)
クラリスは余白に指を滑らせ、
呆れた吐息を落とした。
「写真と本文のバランス、
構図の線、文字の配置……
美を扱う紙なら、
まず“見目の格”を理解しなさい」
「は……はぁ……」
(紙面の設計まで指摘するなんて……
どうして公爵令嬢がこんなに詳しいんだ……)
ぱちり――扇が開かれた。
「――カメラマンを雇いなさい」
どよめきが走る。
「えっ……え?」
扇を口元に寄せ、甘い毒が滴る。
「悪役は華やかでなければつまらないでしょう?
舞台の悪女だって、そうではなくて?」
編集長は息を呑む。
「うちのサロンが抱えている者を貸してあげるわ。
王都の流行を撮り続けてきた――本物よ」
部屋の椅子が一脚、悲鳴をあげた。
クラリスは言い放つ。
「わたくしを悪女として描きたいなら――
わたくしを美しく載せなさい」
扇が紙面を軽く叩く。
「記事の内容は好きになさい。
でも、写真だけは雑にしたら許さないわ」
踵を返す。
嵐が去った後のように、部屋の時間が歪んだ。
◆
数日後の王都。例の新聞が発行された。
《煌通信》 紙面抜粋
【薔薇色の悪徳令嬢、王都に微笑す】
王都でも名高き美貌を誇るクラリス嬢。
第二王子殿下との“気まぐれ救済”とも噂される婚約は、
貴族社会の注目をさらっている。
しかし――その薔薇には棘がある。
冷ややかに街を見下ろすその眼差しは、
まるで王都をひとつの舞台とでも思っているかのよう。
美しき悪徳か、あるいは新時代の象徴か。
王都は今日、ひとりの令嬢の影に染まった。
文章自体は陳腐で扇情的。
だが――
新聞は瞬く間に売り切れた。
理由は単純だった。
──写真が、圧倒的だったのだ。
少年たちが叫ぶ。
「第二王子殿下の婚約者!
“薔薇色の悪徳令嬢、王都を支配!”だってよ!
写真がすげぇ!!」
群衆は紙面を開いた瞬間、
声を飲み込むしかなかった。
深紅のドレスを纏ったクラリス。
光を切り裂くような輪郭、
射抜く視線、凍りつく微笑。
「……なんて綺麗……!」
「怖いのに、見惚れちゃう……!」
市場の娘たちの指先が震える。
紙面のそこだけが、まるで別世界のように輝いていた。
記事が三流でも、
写真だけは一流だった。
だから売れたのだ。
流通屋の荷車が戻るたび、
街角に人が群がり、
新聞は雪のように消えていった。
◆
マリアが新聞を抱え、
息を弾ませて駆け込んだ。
「クラリス様っ!!
……すごいです!!
今朝の新聞……クラリス様が……
“誰よりも美しい悪役”って……っ♡」
クラリスは紅茶を啜り、
扇の影で微笑んだ。
「当たり前でしょう?」
内心は囁く。
(わたくしを叩いた紙に
自ら光を与えるなんて――
本当に優しすぎるわね)
彼女は悪女ではない。
(まったく……
わたくしが美しいから悪女にされるなんて――
美しすぎるのも罪だわ)
――彼女を陥れる者こそ、真の悪役なのだ。
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