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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

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第4話


「――許せませんっ!!」


朝の陽光が溶け込むサロンに、

マリアの怒声が紅茶の香を震わせた。


深紅のリボンがびたりと跳ね、

侍女は新聞紙をぐしゃりと握りしめている――

ただし、クラリスの写真の部分だけは指一本触れず、皺すら寄せない。


「この……下賤な紙っ!!

 何が“気まぐれ救済”ですの!?

 第二王子殿下が哀れみで求婚なさったですって!?

 それに……っ“影が薄れる一方”?

 誰が、誰を薄れると言えるんですのっ!!」


紙面を叩く小鳥のような指。

けれど怒りは焔のように噴き上がる。


「こんな捏造……こんな侮辱……

 お嬢様を知らないから平気で書けるんですわ!!」


クラリスは鏡台の前で扇を揺らし、

紅茶の香と優雅な無関心をまとっていた。


「……まぁ、人を貶めるしか能がない方々も

 この世にはいるものよ」


埃を払うような軽い声音。

その上品な無慈悲さに、マリアは一瞬ぽかん――

そして胸を押さえて陶然とする。


「さすが……さすがクラリス様です♡

 格が違います……!」


クラリスは微笑を返す。

だが、新聞が風で捲れ、

隅の一文が瞳に刺さった瞬間――


扇が止まった。


《クラリス、新興貴族の流行に嫉妬か?》


「……」


(なんですって……?)


唇がわずかに歪む。


「……マリア」


「はいっ、お嬢様♡」


「散歩に行ってくるわ」


ぱちり、と扇が鳴る。

その音は、刃。


「まぁ! お供します♡」


「いいえ――

 一人で十分よ」


そう告げて、クラリスは深紅の影を揺らし、静かに去った。





王都の裏通り、

新興貴族の資金で立ち上げられた三流新聞社《きらめき通信》。



ガラン、と鈴が鳴った瞬間――

中の空気は凍りついた。


羽根ペンが止まり、

受付の娘が声を失う。


「……え、……えっ……?

 ク、クラリス……さま……?」


クラリスは扇を下ろし、

薄い笑みを落とした。


「ごきげんよう。

 わたくしの記事を書いた方に――お話があるの」


脂汗の編集長が飛び出し、膝をわななかせる。


「な、なぜ……わざわざ……!?

 わ、わたくしどもは噂を拾っただけで――!」


クラリスは紙面を机に叩きつける。


「そんなことはどうでもいいのよ」


底が見えない、押し殺した声。


編集長が息を呑む。

彼らは知っていた――その後ろ盾の新興貴族よりも、

公爵令嬢の“気まぐれ”一つの方が、命取りだと言うことを。


クラリスの紅い瞳が、紙面の一点を射抜く。


扇がゆっくり閉じられる。


「三流記者が三流の記事を書いたくらいで、

 わたくしは怒りませんわ」


編集長は胸を撫で下ろした。


だが次の瞬間――


扇の先端が紙面を突き刺した。


「――ですが。」


空気の温度が一気に落ちる。


「この写真は……何なの?」


振り返った記者たちの背筋が総毛立つ。


「どうしてここまで下手なの?

 素材をここまで無駄にできるの?

 こんな角度、こんな光……

 それで“”を撮ったつもりなの?」


編集長が引き攣る。


「い、いえ……あの……」


扇が空気を裂いた。


「それに――

 補の記事より、

 わたくしの写真が小さいのはどういう意味かしら?」


扇子の先が紙面を指す。


「わたくしの記事なのよ?

 三流でも――

 レイアウトの美意識くらい持ちなさいな」


記者たちの表情が変わる。

(……そこなの?)


クラリスは余白に指を滑らせ、

呆れた吐息を落とした。


「写真と本文のバランス、

 構図の線、文字の配置……

 美を扱う紙なら、

 まず“見目の格”を理解しなさい」


「は……はぁ……」

(紙面の設計まで指摘するなんて……

 どうして公爵令嬢がこんなに詳しいんだ……)


ぱちり――扇が開かれた。


「――カメラマンを雇いなさい」


どよめきが走る。


「えっ……え?」


扇を口元に寄せ、甘い毒が滴る。


「悪役は華やかでなければつまらないでしょう?

 舞台の悪女だって、そうではなくて?」


編集長は息を呑む。


「うちのサロンが抱えている者を貸してあげるわ。

 王都の流行を撮り続けてきた――本物よ」


部屋の椅子が一脚、悲鳴をあげた。


クラリスは言い放つ。


「わたくしを悪女として描きたいなら――

 わたくしを美しく載せなさい」


扇が紙面を軽く叩く。


「記事の内容は好きになさい。

 でも、写真だけは雑にしたら許さないわ」


踵を返す。

嵐が去った後のように、部屋の時間が歪んだ。





数日後の王都。例の新聞が発行された。


きらめき通信》 紙面抜粋


【薔薇色の悪徳令嬢、王都に微笑す】

王都でも名高き美貌を誇るクラリス嬢。

第二王子殿下との“気まぐれ救済”とも噂される婚約は、

貴族社会の注目をさらっている。


しかし――その薔薇には棘がある。

冷ややかに街を見下ろすその眼差しは、

まるで王都をひとつの舞台とでも思っているかのよう。


美しき悪徳か、あるいは新時代の象徴か。


王都は今日、ひとりの令嬢の影に染まった。


文章自体は陳腐で扇情的。

だが――


新聞は瞬く間に売り切れた。

理由は単純だった。


──写真が、圧倒的だったのだ。


少年たちが叫ぶ。


「第二王子殿下の婚約者!

 “薔薇色の悪徳令嬢、王都を支配!”だってよ!

 写真がすげぇ!!」


群衆は紙面を開いた瞬間、

声を飲み込むしかなかった。


深紅のドレスを纏ったクラリス。

光を切り裂くような輪郭、

射抜く視線、凍りつく微笑。


「……なんて綺麗……!」

「怖いのに、見惚れちゃう……!」


市場の娘たちの指先が震える。

紙面のそこだけが、まるで別世界のように輝いていた。


記事が三流でも、

写真だけは一流だった。


だから売れたのだ。


流通屋の荷車が戻るたび、

街角に人が群がり、

新聞は雪のように消えていった。





マリアが新聞を抱え、

息を弾ませて駆け込んだ。


「クラリス様っ!!

 ……すごいです!!

 今朝の新聞……クラリス様が……

 “誰よりも美しい悪役”って……っ♡」


クラリスは紅茶を啜り、

扇の影で微笑んだ。


「当たり前でしょう?」


内心は囁く。


(わたくしを叩いた紙に

 自ら光を与えるなんて――

 本当に優しすぎるわね)


彼女は悪女ではない。


(まったく……

 わたくしが美しいから悪女にされるなんて――

 美しすぎるのも罪だわ)


――彼女を陥れる者こそ、真の悪役なのだ。

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― 新着の感想 ―
これは一種の、怖いもの見たさなんでしょうかねー クラリス様、ほんと好き。ゆるがぬ価値観素晴らしいですね。
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