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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
空を、飛ぶ
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4



 飛雨の警告は届かなかった。

 手慣れた装備をした男たちが二十名、焦った顔で斬り込んでくる。

 もう何も残っていないというのに、土を瓶に詰めて「神聖な土だ」と言って売り付けるために。病に苦しむ人も、願いがある人も、それを求めて財布を空にする。

 そうしてそれが使えないとわかると、天恵を恨むのだ。

 その恨みが天恵の怒りを生むというのに。


「適度にやれよ」


 先に踏み込んだ飛雨の忠告を、嵐は聞かなかったことにした。





 ぬかるんだ地面に足を取られる男たちの衣服を次々に刻む。肉体には傷を負わさぬように極限まで集中し、彼らの戦意を喪失させていくために剣を振るう。切られたと勘違いしてバタバタと倒れる男たちは、小柄な嵐の速さに恐れおののき、地べたを這う。マントが森の中をふわりふわりと飛び、白い髪が絶え間なくうねるように──蛇のように宙を舞う。


 彼らが腰に下げられた六角形の瓶を見るその幼い顔は、無表情だ。


 男たちは雨に濡れた土の上をもがくようにして退散しようとするが、嵐も、そして飛雨もそれを許さない。

 太い剣を豪快に振る飛雨の剣の先から、ぽたぽたと雨のしずくが迸る。

 飛雨の剣が賊の腹にめり込み、相手はふっ飛ばされた。身体が無事なのは、飛雨が剣に手を加えられているからだ。彼なりの、リシマの民の矜恃(きょうじ)なのだろう。



 ──返り血で(おのれ)(けが)してはならぬ。

 


 今の嵐にとってどうでも教えではあるが、飛雨を傷つけることだけはしたくない彼女がそれに付き合いはじめて長い月日が経とうとしている。

 斬ろうと思えば斬れる相手を生かす。それがどれほど醜悪な者でも。


 迫る。ノロノロと後退する情けない顔をした賊へ、嵐は容赦なく剣を向けた。頭を守るように両腕で守る男が持つ瓶を結んだ紐を切り落とす。

 男の足の間に落ちた瓶を嵐は足で踏む。

 バリン、と瓶を割る音に、男は小さな悲鳴を上げた。

 

「嵐。こっちは片付いたぞ」


 後ろから声をかけられた嵐は、怯える男を一瞥し、振り返ろうとした。


 が、つんのめる。

 男が、嵐の三つ編みに結った髪を掴んだのだ。


「ま、瞬きの──〝(またた)きの瞳〟だ!!」

「!」


 飛雨の黒々とした目が見開かれる。怒りに任せた速さで来た飛雨が、野蛮な手を掴んだ。メキ、と骨が折れる音がすると同時に、嵐の肩を引き寄せて髪を奪い返す。

 優しい手つきで、男の穢れを祓うかのように撫でる。


「汚い手で触るな、クズが」


 欲望に目を染めていた男は、悲鳴も出せずに喉を引くつかせ、右手を震わせた。滑稽な姿を冷酷に見下ろしていた飛雨は、上空から降りてくる気配を感じ、顔を上げる。

 嵐も気づいたように飛雨の腕の中で見上げると、空をかけてくる風の塊が見えた。


「……カルラ」

「迎えだな。いいタイミングだ」


 飛雨が言うやいなや、二人の身体が風に包まれた。雨上がりの草木を揺らすような穏やかな風──〝光風(こうふう)〟だ。飛雨の霧雨で濡れていた周囲一体が、風を受けてきらめく。騒がせた森に詫びるようなやわらかな愛に、嵐の顔がわずかにほころんだ。


「飛雨に合わせたんだね」

気障(きざ)な男」


 風が上昇する。ふわりと地から浮かんだ二人を、男はわなわなと見上げた。蒼白になって背を木に押し付けている。

 小さくなっていく男の存在を忘れたように、二人は夜空に浮かびながら天を見上げた。


「帰れたみたいだね。天恵を送ってくれてありがとう」


 嵐が呟けば、まだ結った尾を髪を手のひらで触れていた飛雨が「ああ」と言葉少なに返事をする。どうやら一生懸命、髪に付着した泥を落としているらしい。


 ふと、幻影の声が嵐の中に響いた。



 ──これは驚いた──この者はリシマの民であるというのに、常闇(とこやみ)の瞳を持っているのか。



 常闇の瞳。

 聞いたことのない言葉だが、幻影の言葉に嘘はないと知っている嵐は、妙な胸騒ぎがした。


 自分の髪に視線を落とす飛雨の目を、そっと盗み見る。

 彼が、リシマの民として切望していた〝(またた)きの瞳〟を与えられないこと諦めたのは、十三の時だった。暗く、塗り潰された希望もないその瞳は、嵐にとっては美しいものであることは変わらない。

 けれどもし、その瞳に名前があるのなら──


「? どうした。じっと見て」

「……」

「嵐?」

「ううん。なんでもない」


 嵐は首を横に振った。


 飛雨は自分が守らなければ。

 それだけを、胸に強く抱いた。


 

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