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飛雨は、気象空挺団の船が近くにいれば、それを感じる。
水輝の瞳の気配。
嵐には感じることのできないが、声もするのだという。
飛雨、と彼女が呼ぶ声がする。
穏やかに優しく、微笑むような声がする。
頭の中に、心の中に、彼女の声が響いてふわりと抱きしめるのだ。
初めて気象空挺団と接近したのは、まだリストもシュナもいない、アレンを拾って半年──逃亡を始めて一年が経とうとする頃だった。
飛雨が突然、頭を抱えた。
身を縮め、身体を震わせて「ごめんなさい」と怯えきった目でうわ言のように繰り返す。何が起きたのかわからない中、嵐は必死で飛雨を抱きしめた。腕の中で「姉さん、ごめんなさい」と、今にも倒れそうなほどに顔を青くして震える続けて数分、アダマスの目前に気象空挺団が迫ったのだ。
どうやらカルラに用事があったらしく、甲板で話をするカルラと、気象空挺団の団長であるノヴァを操舵室で震えながら見ていた飛雨は、ある一点を見つめると凍りついた。
何が見えたのか、嵐は今も知らない。
けれど、ノヴァが水輝の瞳を持っていることを──ノヴァの首飾りの小袋に、水輝の瞳があると知ったときの激情は、嵐でも抑えられないものだった。
どこから湧いたのかわからないほどの力で、抱きしめていた嵐を突き飛ばし、出ていく。
怒気が迸る背中が霞むように遠くなる。
嵐を追い越したのは、またアレンだった。
今度は飛雨の腕を強く掴み、そのまま振り返させて怒鳴る。
──ランに謝れ!
床に転がった嵐を見た飛雨は、ハッとするとひどく傷ついた顔をして、泣きそうに目を細めながら手を握りしめた。
ああ、また飛雨に我慢をさせてしまった。
嵐が立ち上がろうとすると、飛雨はそっと躊躇うような力で嵐を支えて「ごめん」と呟いた。
嵐も謝る。
ごめんね、と。
彼は泣けなくなっていたが、その心が泣いているのが痛いほどに伝わってきた。
そして知った。
水輝の瞳が、気象空挺団の団長に使われていることを。
「……彼を引かせてくださって、ありがとうございます」
カルラがそう声をかければ、未だフードを被ったままのトファルは船が離れるのを見つめながら軽く頷いた。
背が高く、細身。
威圧感はまったくないというのに、それがまた不気味だった。あのノヴァを扱っている。何者なのかわからないが、少なくともカルラには緊張感はない。
嵐はアレンと目配せをすると、甲板を後にしようとした。
「──待っておくれ、そこのお嬢さん。あなたともお話がしたいのだよ」
足を止めた嵐が振り返ると、すぐにカルラが視界を遮るように二人の間に立つ。
まるで、守るように。
「……アレン。二人で戻って、ヒューにはまだ出てこないように伝えてください」
「わかった」
「──その子、置いていって」
トファルの声が空気を打つ。
逃げられない。
そう察した嵐は、カルラの隣に並んだ。横から厳しい視線が落ちてくるが、構わずアレンを急かす。
「行って。アレン。早く」
「……わかった。中は任せといて」
アレンが足早に鳥居の下の船室へ向かっていくのを見届けていたトファルは、そこでようやく警戒を解いたように、フードを取った。
亜麻色の髪を束ねた女性は、深く──カルラの前に傅く。
「王太子殿下、お変わりなきご様子、安心いたしました」
「……そういうのはやめてください」
カルラが冷たく突き放す。
彼女はそれをものともせず、自分を律した目で深く敬意を払うように目礼し、立ち上がる。
「承知いたししました。では、少しお話を……」
「聞きたいことはこちらから聞きます。お前の質問には答えません」
カルラが言い切ると、彼女はこくりと頷く。
「ええ。ええ、構いませぬ」
「王が崩御されたとは本当か」
「はい。長雨が体力を奪ったようで、そのままお眠りなりました。王位は弟君が継いでおられます」
「……問題は」
「いいえ。一つも。ジェイン陛下は穏やかな方ですから。貴方様を尊敬なさっておられる。心配はありませぬ」
「赤船のことだが」
「はい。陛下が、瞳を持つ船に〝野蛮なことは許さぬ〟と申されまして……気象空挺団に準じた振る舞いをするように、船の取り締まりをすることとなりました。あの船は何度警告しても返事も寄越さないので──それにしても驚きました」
トファルが視線を上げ、嵐を射抜くように見た。
「その娘の目、殿下のものでは?」




