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赤船。
真っ赤な船底の、大きな鉄製の船──正式な船名は「ルベウス」だが、彼らはそれを名乗らない。
船が空を飛ぶようになって十年、幾度も船長が変わっているせいで愛着もないのだろう。
強き者が船長になる体制らしく、腕自慢が船を奇襲するということを繰り返している。
ここ三年変わっていないのは奇跡とも言えた。
最悪な奇跡だが。
「ってことは何、あの赤船の後ろに気象空挺団がいて追いかけてるってこと?」
アレンがげんなりしたように言うと、カルラは「ですね。います」と黒眼鏡を押し上げた。
「へー。船長、どうする?」
「全速前進で逃げたいところですが──恩を売るのも悪くはないでしょう」
「つまり迎撃ね。じゃ、オレやる」
「……はい? いや、だめで──」
カルラが止めるのを待たずに、アレンは一歩前に出ると両手を広げた。桃色の袖がふわりと広がる。
息を吸いこんだと同時に、声ではない何かが嵐の頭に直接響いた。
歌。音。
細胞の隅々にまで流れ込むような、か細い旋律。
意識が引っ張られるように、上へ上へと吸い上げられていく。青を駆け上がり、吸い込まれる。空の向こうの天へ。
天の向こうのどこかへ。
黒い何処かまで。
空を見上げる嵐とカルラの穏やかな顔が、何かに気づいたようににハッとした。
空が黒くまばらに染まる。
どこからか、黒い鳥が飛んできたのだ。
三本足の黒い鳥──広げた翼は一翼で人の背丈ほどある、日の光を通さぬ漆黒鳥。
赤い目は三つあり、彼らのもつ嘴は鎌のように鋭い。この世のものではない鳥が、空を埋め尽くしている。
「さ。呼んだよ」
「……多くないですか? というか、やめるように言いましたよね?」
カルラがあらゆる方向からまっすぐに飛んでくる漆黒鳥を見て、顔を引き攣らせながら呟く。
「……いつもやる気ないというのに」
「だってヒューはいないし、赤船にシュナのことが知られたら危ないし、リストが出れば間違いなく赤船沈められるけど、させたくないでしょ。ランは長距離は論外。で、カルラも赤船の後ろにいる気象空挺団の前では何もできない。なら、オレの出番。ね、ラン」
「そうだね」
嵐が頷くと、アレンはその場でくるりと回った。
「疲れることはキライ。でも、するべきときはするよ。オレは」
だから厄介なのだ、と言いたげなカルラが重いため息を吐く。
アレンの響鳴で集った漆黒鳥は、アダマスの上空に集うと、赤船に向かって加速するように向かっていった。
赤船は気づいていないのだろうか。
まっすぐにこちらに突っ込んできているが、その理由が徐々にわかってきた。
王様の旗。
はためくそれが、嵐の灰色の左目にぼんやりと映る。
太陽を掴む手を模した旗。
海を埋め尽くした船。木にしがみついているような錯覚を覚えた嵐は、一度目を伏せた。
カルラに共有されぬように、感情を片付けてから、目を開ける。
気象空挺団の船は、鉛色の船だ。
銀色のそれは無機質だが、得も言われぬ不気味さがあった。
異様に美しいのだ。整然とし、まるで空を駆けてなどおらず、オブジェのように静止しているように見える。芸術作品が空に浮かんでいるような奇妙さは、見た者を不安にさせた。
船首に「気象空挺団」の文字がはっきりと見え始める。
そこから、白い雷が迸る。
絶えず、絶えず、いくつもの白線が苛烈に赤船を狙っていた。
嵐は思わず眉を顰めた。
「……本気で追いかけてる」
「そのようですね」
「あれって〝万雷〟でしょ」
「気象空挺団に使える者はいなかったはずでは?」
「リストでも使わないやつ」
「……どう考えても面倒なことになるのは目に見えていますが……やはり話をしなければなりませんね」
嵐も頷く。
強欲な赤船に〝忌避の子〟であるシュナを絶対に隠さなければならないし、ここに五人の〝天恵の子〟がいることも隠したい。
関わらずに逃げたいところではあるが、今気象空挺団のために動くことのほうが有益なのだろう。
漆黒鳥が、赤船に届いた。
カン、と甲高い鳴き声とともに、赤船の窓が次ぎ次ぎに嘴によって割られる。
叫び声まで聞こえてくるような気がするが、それでも船はこちらに突っ込んでくる。
「どうしましょうかね」
そうは言うが、わかる。
カルラは引かない。
道を譲ったりなどしない。
このアダマスを、壊させることもしないが。
迫る巨大な船には、黒い鳥が何羽も張り付いている。




