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甲板の上のカルラが、真っ直ぐ前を見ている。
アレンとぼそぼそと話しているそこへ、嵐は外套を羽織りながら向かった。
「向こうから来てるの?」
「──ラン」
カルラが殺気立つ声で振り返る。
眼帯をつけた嵐を見ると、くすりと笑う。
「さすがリストですね」
「だね。ちゃんと首輪つけてくれて助かる」
アレンまで同意するのを、嵐は二人の間に立って聞き流した。
空は晴天。
青く続く景色の中には、まだどの船も見えない。それでも飛雨がいると言えばいる。カルラが見ているその方向から、気象空挺団は来る。
灰色の左目で集中しようとした嵐の頭を、カルラが軽く叩く。
「あなたは駄目です。フードも被って」
「そうそう。嵐はいざというときにそれ使ってもらうんだから」
「……いざというときは来ないほうがいいんですけど。約束通り、干渉しあわない──そのために、私とアレンと嵐だけで甲板に立っているんですからね」
気象空挺団との盟約。
それは、こうしてアダマスが黒い旗を掲げたときにされたものらしいが、詳しいことは知らされていない。
知っているのは極力すれ違わぬようにすることや、どちらかがいるときは退避すること──天恵が暴れ始めてしまったときは必ずこちらが引く、というものだ。
それによって、許可証も発行されているという。
身分を捨てたカルラがどうやってそれを取り付けたのかは、誰も聞かない。
「王様、死んだんだって?」
嵐が聞けば、大人二人はちらりと見下ろしてきた。
カルラに代わって尋ねてきたのはアレンだ。
「リストから?」
「うん」
「そっちでは噂話を聞かなかったんですか?」
嵐はこくんと頷いた。
そのままカルラを見上げる。
大丈夫か、と聞かずとも、ここ数日の彼の様子で「大丈夫」であることはわかっている。
ただ、彼は家族を失ったのだ。
どれほどおぞましく臆病な王だったとしても、カルラの父である事実は変えられない。
カルラは遠くを見たまま、見たこともない歪な笑みを口元に浮かべる。
「清々してしいますよ?」
「それは心配してない」
「では何を?」
きょとんとしたカルラが、嵐を見下ろした。
見えないはずの冷たい視線と、殺気が薄くなっていく。
いつもなら「色々」と端的に答える嵐だが、淀みなく答えた。
「カルラ自身が捨てたものに執着しないのは知っているし、そもそも捨てたつもりもなかった、って言ってたから、そうなんだろうなって思ってる」
「まあ……はい」
「でも違うでしょ。本人が捨てて逃げていたとしても、周りが放ってくれるかどうかは、違う」
「ああ」
納得したように、カルラは笑った。
今度は歪ではない、カルラらしいやわらかい笑みだった。
「私は、あの場所には戻りませんよ」
「そうかな」
「どういう意味です」
ムッとしたカルラを、アレンが手を伸ばしてよしよしと頭を撫でる。
嵐の頭上のアレンの腕は、あっさりとカルラに弾かれた。
「私がこの船を降りるとでも?」
「場合によっては」
「あなた達を捨てると思われてるなんて心外です」
「そうじゃなくて。カルラ、このシトリアが好きでしょ」
嵐の言葉に、カルラは一瞬ピタリと止まる。
「国を立て直せる機会があるのなら、関わりたいだろうし──そうして欲しいって頭を下げる人たちを、無碍にできないだろうなって。そう思っただけ」
「……」
「そういうふうに、誇りを持って育ってきたんだろうなって、思っただけ。王子様だし」
「……もう違いますし、そんな歳でもありません」
カルラが拗ねたように言うのを見た嵐は、ほんの少し笑う。
信じていないのではなく、信じていたことが伝わったことが、嬉しい。
「笑わないでください」
アレンは嵐とカルラの間に入ると、二人の肩を抱いた。
「うんうん。仲良きことはいいこと。カルラの馬鹿親父は死んだし、気象空挺団は赤船から許可証を取り上げようとしてるし? そのタイミングで、あのすかしたお役人共と会って現状確認できるなんて、まあラッキーだと思わない?」
「アレン」
「すごい。いっぱい喋ってる」
嵐が感心すると、アレンは「気持ちが乗ったら歌うよ」と美しく目を細めた。
「やめなさい。お前の本気は怖いんですから」
カルラがアレンを押し返す。
「でも、まあ……現状把握は、大切ですね。気象空挺団とは会うべきでしょう。ヒューには悪いですが」
「でしょ?」
「ただ──」
カルラは腕を組む。
「先にこっちに来てるのは、赤船なんですよね」
嵐の視線の先に、ぽっと赤い光がかすかに見えた。
天恵の血で船底を真っ赤に染めた、赤船が。




