24
「こんなに幸せだと……このあと色々起きそうな気がしません?」
マローケーキを食べ終わったカルラが、やたら雅な仕草で口元を拭いながらそう言った。
食べ方もそうだが、そういう小さなところで「王族」の気配が消せていない。
「……やめなよ」
リストが窘める。
ぺろりと平らげたリストが、飛雨に丁寧に「美味しかった。ごちそうさま」ときちんと伝えたのを見て、カルラは飛雨に向かって優しく微笑んだ。
「不安になるくらい美味しくて幸せでした……今まで、本当に、ありがとうございました」
「死ぬの?」
アレンが首を傾げる。
カルラはひらひらと手を振って笑い飛ばした。
「いやですね、死にませんよー!」
「でも嫌な気配はするんだ?」
「だからやめなって……」
リストが大人二人を止める。
「カルラの嫌な予感ってだいたい当たるでしょ。不吉なこと言うのはやめて」
「でもね……すごく美味しかったんですよ……みんなでこうして特別なおやつを囲む幸せ……なんか嫌な予感しません?」
「しない」
きっぱりと言うリストに、シュナがほっとしたようにフォークを口に運ぶ。
彼女が穏やかな笑みでいると、嵐の心は凪ぐ。それは、彼女の笑みに抗いがたい懐かしさを感じるからだろう。飛雨も、シュナを見る目はどこか柔らかい。
嵐は大きなひとくちで、最後の一切れを食べた。
ふわふわで甘く、リーニの蜜漬けのほんのり甘酸っぱい蜜もとろりと口の中に広がっていく。
「おいし」
「ねー、美味しいですね」
カルラがニコニコと同意して、同じようにアレンも「ねー」と頷いた。
大人たちは子供扱いをするのが好きらしいので、嵐はいつも好きにさせておく。
カルラはわざとで、アレンは──カルラに合わせてそう振る舞っているのか、それとも生来の質なのかは今もわからない。
二人はどうやら昔からの知り合いである様子だが、それを語るところは見たことがなかった。
カルラがエトライでアダマスを入手したあと、船を砂漠まで飛ばせて迎えに行ったのが、アレンだ。
黒い砂漠の端っこの村。
アレンはそこで、女神のような扱いを受けながら暮らしていた。
美しく装い、美しく舞い、美しく歌い、美しく微笑む。
それだけで信仰され、アレンは何人もの妻も与えられていた。
彼は今も言う。みんなお友達だったよ、と。
そんなアレンを村から引き離すのは苦労するかと思いきや、アレンはそれはもう丁重にカルラに渡された。彼は常々「いつか迎えが来たときに、褒美が空から降るだろう」と歌っていたのだそうだ。
降らせたのはカルラで、褒美は金貨という生々しさだったが。
半年かけてエトライで心身を回復させていた嵐も飛雨も、大人二人が楽しそうに船から金貨を撒くのを甲板に座って見ていた。
船には風が吹き込んでいて、飛雨と手を繋いで座って、夜の砂漠の夜空の美しさを見た。
世界は広いのだ、と。
──嵐。
飛雨が言う。
──嵐。
名前を呼ばれ、嵐は握り返す。
その広い世界に二人きりのような気がした。
アレンが振り返る。
──名前は?
──ラン。
素直に嵐が答えると、アレンは目を細めた。
──かわいいね。二人ともきょうだいみたい。オレはアレン。元王都の踊り子。二人は?
──リシマ。
まだうまく故郷の名を言葉にできない嵐に代わって、飛雨が答える。
アレンの隣に立つカルラは、エトライで買った安物の丸い黒眼鏡をかけるようになり、表情が読みにくくなっていた。それでも、なんとも言えない表情なのはわかった。
──そう。二人はリシマの民か。
アレンは何もかも一瞬で手のひらに入ってきたように、カルラのことも、嵐のことも、飛雨のことも、感じ取って微笑む。
──強いね。生きることを選んだ君たちは、それだけで強い。オレからひとつ、ご褒美をあげよう。
金貨ならいらない、と顔に書いた冷めた二人に、優美な紫色のドレスを身にまとった彼は優しい眼差しで甲板にそっと跪いた。
まるで祈りの池に向かうリシマの民のように。
そして、ふわりと揺れる袖を大きく揺らしながら立ち上がり、舞いはじめた。
カルラが船の進むスピードを緩める。
ゆったりとした風の中で、アレンは月光を浴びながらくるくると舞う。歌を歌い、その豊かな髪を風に揺らし──リシマの民が天恵に捧げる舞と歌を、幼い頃から身体に叩き込んだように嘘偽りのなく踊ってみせたのだ。
二人を手を繋いぎ、ただ見つめる。
もう泣けなくはなっていたが、それでも、飛雨が握る手は熱かった。
「なに? どうしたの、ぼうっとして」
アレンが嵐をじっと見ていた。
何を考えていたのか見透かしたような、読めない瞳に向かって、嵐は首を横に振る。
アレンのことはよくわからない。
けれど、あの夜に最後に二人を抱きしめて「オレは今度こそ味方になるからね」と言った言葉は、今もはっきりと覚えている。
そして、信じている。




