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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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「……」

「ねえ、好き?」


 頭が痛い、と言いたげに顔を歪めた飛雨(ひう)に、(ラン)は答える求めるようにずいっと近寄る。

 飛雨はどこかうんざりした顔で、適当にうんうんと頷き返してきた。


「……嫌だったらすぐ出ていくだろ」

「だよね」

「なんで気にするんだよ」

「カルラ、飛雨に好かれたいんだと思う」

「ない」


 きっぱりと言う飛雨を、嵐は覗き込むように「なんで?」と聞き返す。


「あいつが気にしてるのは、恨まれてないかってことだよ」

「恨んでるの?」

「……」

「そうなの?」

「そうだけど、そうじゃない。ある一部分においては、苛つくってだけだ」


 そう言って、嵐の左目を睨む。

 瞳を交換するというのは一般的には禁忌だが、できないわけではない。実際に、リシマを治める飛雨の両親は瞳を交換していた。


 ただの神聖な誓いだとしか知らなかった幼い頃、嵐は飛雨の瞳が美しすぎてじいっと見つめていたことがあった。あまりにも見すぎていたのだろう。飛雨はお(やしろ)に飾る花を腕に抱いたまま、ついて回る嵐を見た。


 いる?


 左目を指さしながらそう聞かれて、嵐は大きく頭を振る。

 そうして自分の瞳を指さして、同じように飛雨に返した。


 いる?


 飛雨が笑う。大きな口を開けて、花束を胸に抱いて。



 嵐が六つ、飛雨が十二の頃だ。

 ちょっとしたふざけたやり取りだが、胸が一杯になったことを覚えている。

 まだ知らなかった。

 瞳の交換は〝(またた)きの瞳〟を持つ者同士でしかできないということを。

 




「どうにもならないことを、どうにもできるやつがいたら、腹が立つだろ」


 飛雨が呟く。


「まさか、〝(またた)きの瞳〟を持たない奴もできるなんてな。いや、あれも特別な瞳だっけか。王族の? 瞳?」

「……飛雨」

「あいつのことは別に恨んでない。俺が、あそこから一人で嵐を連れ出せないことはわかりきってたし──感謝してるよ。あいつの尊い人生を一緒に捨ててくれてることにも」

「……嫌い?」


 飛雨の言葉に、嘘も、皮肉も、全く含まれてはいないことはわかっていても、嵐は聞きたかった。

 飛雨の目は「聞いてどうするのか」と言いたげに見下ろしてくる。

 聞いて、嫌いだと言ったら、どうするのか、と。


「わたしは飛雨を選ぶ」


 はっきりとそう伝えると、飛雨の目はなぜか悲しげに細くなった。大きな手が嵐の視界を塞ぐ。


「! なにするの」

「そういう事を言うからだろ」

「わたし、嘘はつかない」

「知ってる。だから困るんだよ」


 困る、の意味がわからない嵐が手を掴もうとすると、ぱっと離れた。まるで自分の手から逃げたような速さに、嵐はわずかにムッとする。


「飛雨」

「カルラのことも船のことも、俺なりにダイスキなので、気遣いムヨウ」

「そういう言い方するときってさあ」

「次、勝手に青嵐を呼んだら俺だけで船を降りるからな」

「いやだ!」


 嵐の声に、飛雨は珍しく笑い、小指を見せてきた。


「約束、守れよ」

「……卑怯じゃない?」

「卑怯じゃないし、俺()嘘はつかない。知ってるだろ」

「……」


 ふん、と顔を背けた嵐は、一足先に操舵室へと戻るために歩き出した。

 後ろから、コツコツとブーツの音がする。くすくすと笑っている声も。


 やり返された。昔みたいに。

 嵐が操舵室のドアを開け放したままにして先に入ると、そのことにまた飛雨が笑う。



「叱られ終わった?」


 アレンから声をかけられた嵐は、コクンと頷いてハンモックに揺られているリストのもとへ行くと、それに手をかけてリストの背中の方に入り込んで身体を丸めた。


「ラン……」

「おー、叱られたあとの引きこもり、懐かしい」


 アレンが笑いながら言い、リストは本を畳んで少し譲ってくれる。


「まあ……今日は仕方ないね」


 と言うのはシュナだ。

 二階からカルラが呟く。


「船長の威厳ってなんでしょう……私もちゃんと叱ったんですよ?」

「カルラさんはね……あの、うん、本当に怒ったときに怖いよ?」

「シュナ、あなたって本当に優しいですね……泣いちゃいます」


 ぐすん、と泣き真似をする声を聞きながら、嵐は目を閉じる。

 見なくてもわかる。 

 飛雨はご機嫌に戻ってきて、キッチンに立つ。

 それをアレンはおかしそうに見るし、シュナは手伝おうかと声を掛ける。カルラは微笑ましげに見下ろして、リストは励ますようにむぎゅっと背中を押し付けてくるだろう。

 


 カルラの優しい声が、アダマスを包んだ。



「さあて……海に出ますかねえ」






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