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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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20



「どういうつもりですか」


 天恵を帰して見送ったあと、すぐにカルラが操舵室からまっすぐに出てきた。

 (ラン)は剣を手にとって鞘に納める。


「──カルラ、待って」

「いいよ、リスト。ちゃんと説明するから」


 自分をかばうように前に出たリストの肩をそっと叩いた嵐は、先にリストに謝った。


「怖い思いさせてごめん。でも、信じてくれてありがとう」

「いや。だって、ランだから」

「?」

「怪我した人は、いないんでしょ」

「うん」


 頷くと、リストは僅かにこわばっていた肩の力を抜いた。

 カルラを落ち着いた目で見てから、甲板から出ていく。

 

「リスト、おとなになったよね。いくつだっけ」

「ラン」

「謝らない。ごめん」


 嵐がカルラを見上げて言うと、カルラは大きなため息を吐きながら額に手を当てて俯いた。


「十四です……」

「え?」

「リストは十四です」

「ああ。大きくなるはずだね」


 カルラが更にがっくりと俯き、もしゃもしゃな髪を更に混ぜる。


「あの、あなたを今から叱るつもりなんですけど?」

「知ってる。でも謝らない」

「……では無意味では?」

「カルラにとって意味があるならちゃんと聞く。謝らないけど」


 嵐の繰り返される「謝らない」に、カルラは「ふ」と笑った。

 そのまま髪を混ぜていた手を離し、嵐の頭へ持ってきて──ゴン、と拳を落とした。


「っ!」

「お仕置きです」

「……なるほど」

「天恵を呼びましたね?」

「うん」

「どうして」

遠雷(えんらい)に帰ってもらうため」

「違いますよね?」


 自分の頭を撫でる嵐は、じっとこちらを見ている丸い黒眼鏡の奥の瞳を見ようとした。

 何も見えないが、怒りだけは伝わってくる。心配しているという、怒りは。


「腹が立ってましたよね? エトライの港で売られてる天恵の気配に、あなたずっと苛立っていたじゃないですか。どうにか全部壊したいって思っていたんでしょう」

「うん」


 素直に頷く嵐に、カルラは「少しは隠しなさい」と脱力する。


「遠雷のせいにするのはいけません。それの、お仕置きです」

「わかった」

「人の被害はないんですね?」

「青嵐はどれだけ人が憎くても殺さないよ」

「なぜそう言い切れるんです」


 その問いに、嵐は笑った。

 彼女は笑ったつもりはない。が、その顔は美しく微笑んでいた。



「青嵐はあの日だって来なかった。十年前だって、私が呼んでも来てくれなかった。あんなに、あの船を沈めてって頼んでも、来なかったよ」



 決して呼んではならない。

 そう父や母に強く言われて育った嵐には、見張りのように常にともに飛雨(ひう)がいた。


 嵐は、あの日──飛雨が離れたときに初めて呼んだのだ。

 青嵐、と。

 彼が来て助けてくれると思ったが、どれだけ震えても、どれだけ泣いても、どれだけ呼んでも、彼は応えなかった。

 嵐は故郷がおぞましい力で制圧されるのを、木にしがみついて身を小さくし、ただ見ていることしかできなかった。


 ようやくその白い姿が頭の中に現れてくれたのは、飛雨(ひう)が自分の目を取り出そうとしたときだ。

 彼は人を傷つけたくないのだと、そう悟った。

 


「でもね」


 嵐は空を見る。


「許してるわけじゃないんだよ。だから力を振るうことは──嫌いじゃないの。わたし、よくわかるんだ。彼の気持ちが。彼もわかる。わたしの気持ちが。だから、わたしが誰かを殺したいって思わなければ、応えてくれる」


 ふと、嵐は思う。

 ()()人を傷つけたくないのだろうか。

 それとも、()()()()傷つけたくないのだろうか。



「ラン」


 嵐の思考は、カルラの悲しそうな声に遮られた。昔のような顔をしていることは容易に想像できる。確かめるように顔を上げれば、昔と違って目は隠されているが、それでも彼が全身で悲しんでいるのがわかった。

 この人は本当に腹の底が読めない割に、純粋な人だ。


「ごめんね」

「……謝らないのではなかったのですか?」

「やったことは謝ってないよ。カルラを悲しませたことを謝ってる」

「……そうですか……」


 はあ、と軽いため息の後で、カルラはもう一度手を伸ばしてきた。

 嵐の頭を、今度は軽く撫でる。


「……騒ぎになっていないといいのですが」

「別になってもいいんじゃない。天恵の恨みだって勝手に思うんでしょ、どうせ」

「そうでしょうけど……反省はしてくださいよ?」


 嵐は黙る。

 しかし、カルラはくっと低く笑った。その足音に気づいたのだ。


「おやまあ、次も叱られるみたいですね」

「……」

「では、私はこれで」


 飛雨が、無表情の中にもしっかりと怒りをはらんで、嵐に向かって歩いてくる。



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