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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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19



 雨の子。風の子。雪の子。雷の子。

 リシマの血を引くものは、誰もがそのどれかに愛されて生まれてくる。彼らが呼べば、天恵は応えてくれた。

 しかし、(ラン)はそのどれにも当てはまらない。


 嵐が生まれた日、祈りの池には白い狼が姿を見せた。

 大人たちは察したという。

 この子は、(あらし)の子である、と。

 島を滅ぼす子だ、と。



「──〝青嵐(せいらん)〟」


 

 (ラン)がそれを呼んだ瞬間、前髪がぶわりと浮かんだ。

 右の蜂蜜色の瞳の中の瞬きが強くなる。

 小さな宇宙が激しい爆発を繰り返すように光ると、船がうっすらと暗くなった。



「!」


 リストが不穏な気配に気づいたように空を見上げる。

 アダマス上空に分厚い黒い雲が集まり始めたかと思うと、その雲が一気にエトライへと流れていのを見て、慌てたように跪く嵐の肩を叩く。


「ラン」

「大丈夫。少しだけだから」

「ラン!」


『その子どもは……リシマの血を引くものだな?』


 天恵、遠雷(えんらい)の幻影が、氈鹿(かもしか)の隣に立っている。

 嵐は黙ったままその老人を見つめた。

 白く淡く光るその隣でじっとこちらを見つめてくる氈鹿は、海面にいくつも小さな稲妻を落とし続けている。不機嫌な青紫色のそれが、周囲を歪な光で包んでいた。


『……!』


 老人と氈鹿が同時に遠くを見る。

 エトライの港を。

 リストも振り返った気配の中、嵐はピクリとも動かない。

 

 彼女は半分、ここにいなかった。





 エトライの港の路地を、上空から一本一本確かめる。

 買い物に集った客たちが空を見上げ「天気が崩れてきたな」等と言っている。


 誰かが「天恵か?」と漏らすと、周囲は湧き上がった。我先にと道具屋に駆け込み、店主は「カモシカの目玉の欠片、矢をつけるよ」と声高らかに売りつける。醜い。憐れになるほど醜い。

 彼らはそれに飛びついているが、今ここに天恵が落ちるとどうなるのか、わかっていないようだった。


 そうだろう。

 今ここにいる彼らは気象空挺団が落とした天恵の残骸を剥ぎに来る愚かどもばかりだ。

 天恵を討つ船は少数で、あの忌々しい赤船(あかふね)と、残りの五つほど。

 そのどれもが力をアダマス同様に振るえるが、今はここにはいないらしかった。いればすぐさま退避を促すはずだ。

 ただ拾いまわる彼らは、どうやって落ちてくる天恵に対峙するつもりなのだろう。矢を放って、外殻が割れたら潰されるというのに。

 

 嵐の意識に呼応するように、雲の中にいる狼が黄金色の目を細めた。


 どうしてほしい?


 そう聞かれた気がして、白く淡く光る嵐の意識は、笑って答えた。

 






「天恵を売る店をすべて巻き上げて」


 リストが声に気づいたように、ハッとして肩を掴む。

 が、遅かった。


 遠いエトライの港の上に、細い竜巻がいくつも降りていく。離れた海の上では何が起きているのかは見えないが、その竜巻に細かい何かが巻き上げられていくのは確かに見えた。

 嵐の肩を掴んでいたリストの指が震える。それを、嵐が強く掴み返した。


「!」

「天恵──遠雷、天へお帰りください」


 嵐はぐいっとリストの腕を引き、同じように跪かせる。

 嵐の目に映る幻影は、満足したように目を細めていたのだ。帰ってくれる。今ならば。


 リストは遠雷の表情で気づいたらしく、こくんと頭を下げた。



「……お送りいたします──〝遠雷〟」



 リストの声が、空気を打つ。

 ピンと張った糸のような気高い声が店に向かって呼ぶと、晴れた空から青紫色の光、一瞬駆け降りてきた。

 それを追い越すように、次の雷が走る。

 また次──また、次。


 リストは丁寧に雷を呼んでいるた。

 決して大きいものを落とさぬように、細心の注意を払っているのだろう。


 美しかった。


 青と紫に染めた絹糸が天から降ってくるかのように、細く、しかしはっきりと迸っていく。それは光の芸術のように繊細で、海へ通りてくる様子を見ていると、言葉を忘れるようだった。

 誰もがそれに魅入られる。

 嵐も、操舵室にいるカルラも、アレンも、シュナも、飛雨も──幻影も。



『悲しい雷だ』


 天恵、遠雷がつぶらな目に涙を浮かべる。


『なぜこうもこの者は自分を恐れておる?』

「……」

『この子の名は』

「リスト」


 嵐が自分を呼んだと思ったのか、リストが嵐の手をそっと握った。



『リスト……天に愛されし子、リスト。美しい道をありがとう』



 幻影はそう言って、皺だらけの手でリストの心臓あたりをそっと撫でた。姿を淡くほどく前に、嵐を見る。



『忌むべき(あらし)の子よ。感謝する』




 美しい氈鹿が、雷を足場にするように──天へ駆け上がっていく。





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