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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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17



「──きれいな花」


 (ラン)飛雨(ひう)の間に、ひょっこりとアレンが顔を出す。


「いいね、ラン。買ってもらったの?」


 一見、ただの美しい人だ。その佇まいを見て、多くの人が長身の女性であると勘違いをする。きれいな額を惜しげ無なく出すように掻き上げている髪も、仕草も、妖艶さが漂っているからだ。

 彼の首にしっかりと喉仏が出ていなければ、誰もわからない。

 低い声はどこか無邪気だ。

 嵐は驚くことなく頷いた。


「うん」

「どこに飾る?」


 そう聞いてくる桃色の瞳は瞬いてはいない。しかし、純粋な好奇心がしっかりと現れていた。

 

「ベッドのそば」

「よく眠れそうだね。いい子いい子」


 何故か褒められ、何故か頭を撫でられる。

 アレンが撫でているのは飛雨もだが、当然のようにすぐに避けられた。


「アレン。あの大量の蜜漬け果実、お前だろう」

「オレだね」

「マロー粉まで買ってたな?」

「甘いおやつたべたくて」

「嵩張るものを買うなと言っているだろう」


 睨まれたアレンは、素直にこくんと頷くと──ダッシュで逃げた。

 

「アレン! 買ったなら自分で食料庫に運べ!」


 飛雨が逃げるのを許さないように大股で追いかけるのを見ていた嵐は、ふと顔を上げる。


 閉じられた格納庫の屋根。

 それを突き抜けた向こう。遠く。雲の近くまで意識が伸ばされる。


 その瞬間、ぞわりと肌が粟立った。

 髪が逆立つような感覚──落ちてくる重量のある球体。

 ──来た。 


「ラン!」


 リストが走ってくるのを見た嵐は、欄干から身を乗り出し、カルラを見た。

 男に素早く指示を出し、梯子を手にするカルラが頷く。



「天恵──!!」

「!」


 アレンと飛雨が足を止め、シュナも荷物を持って操舵室へ駆け込む。

 


「こんなときに出ていらっしゃるとは──さすが遠雷(えんらい)ですね。派手な(かた)だ。行けますか? リスト」


 船に上がったカルラが聞くと、リストは小さく笑う。


「遠雷、ね。わかった。やる」

「ランと一緒に行ってください。ただ、このエトライの真上なので……」

「真上?」

「そうです。厄介ですが、ここに落ちないように海に吹き飛ばしますので」

「道具屋あたり? 自業自得だね」

「リスト」


 カルラが困ったように名前を呼ぶと、明らかに本気の声で「冗談だよ」と返す。

 道具屋──天恵の力から作られた、天恵を落とすための汚い武器が並ぶ通りのことだ。

 あの忌々しい六角形の瓶も、天恵の皮も、羽も、尾も、瞳も──高値で並べられているという。


 嵐も「自業自得」と頷くと、カルラは「じゃあ、放っておきます?」と呆れたように言うが、そんなことをしないことは嵐もリストも重々承知している。


 アダマスの船はなりふり構わず天恵を返す集団として認識されているが、多くはそれを見たことがない。

 見せられない。

 道具に頼らずに天恵に対処する者など、今は気象空挺団くらいしかいないのだ。


 二人が事態を飲み込んだのを見届けたカルラは、船をゆっくりと浮かせ始めた。

 屋根が羽のように開くをのを見上げた嵐は、天から降ってくるそれに集中する。



 透明な球体。

 異様な重さを感じるその中には、もこもことせめぎ合うように膨らむ雲がある。小さな氷の粒がぶつかり合い、離れ、双方の間にピリッと光が走る。その瞬間に熱せられた空気が膨張し、また球体が一回り大きくなる。


「随分ご機嫌斜めだね」

「……大きい?」


 リストが同じく空を見て言う。


「うん。結構大きい。いつもの二倍使って大丈夫だと思うよ」

「ランは」

「大丈夫」


 リストは「そうじゃない」と言わんばかりに顔をしかめたが、嵐がいつものように頼み込むことをするという意志は汲み取ってくれたらしい。


 リストが空を見る。

 いつもは落ち着いた聡明な目に、ほんの少しの緊張が滲む。


「リスト」

「大丈夫だよ、ラン」

「知ってる」

「……知ってるんだ?」

「だってリストは誰よりも優しいから」


 リストが自分の緊張(弱さ)を受けいれていくのを見つめた嵐は、そっと手を差し出した。

 リストは落ち着いた笑みで手を重ねる。


 昔よりも大きくなった手だった。








 初めてリストの手を掴んだのは、嵐が九つのときだ。

 カルラと二人で向かった、リシマの地。

 カルラによって一度燃やされたその島に、六つのリストは置き去りにされていた。


 布で塞がれた口。血の滲んだ手首。生気のない目が、驚きに見開かれる。カルラが足の縄を切るその横で、嵐は手を掴んだ。

 リストの手を。

 冷たく、ガサガサになっていたその手を掴んだ瞬間に白緑(びゃくろく)色の目には瞬くような涙が溢れる。

 深い絶望と安堵と、身を朽ちさせるような罪悪感。

 嵐は小さな身体で、自分よりも小さな身体を抱きしめた。


 あの時から、恨むなどという感情は嵐の中にはない。


 彼は生きている。






 嵐は慈しむように、リストの手を握った。


 この手は、これからも大きくなっていくのだ。




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