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アダマスの船旗  作者: 藤谷とう
嵐の子
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「……常闇の、瞳、ですか?」


 カルラが声を潜めて返してくるのを、見つめ返す。


「聞いたことない?」

「ありません」

「そっか」

「あなたはそれをどこで?」


 (ラン)は言葉を探すように曖昧に頷いたあとで、少しだけ笑った。


「隠そうとしてるわけじゃないよ」

「はあ」

飛雨(ひう)が知らないことだから」

「〝(またた)きの瞳〟を持つ者だけにできること、ですか?」


 察しが良くて助かる。

 嵐の無言の肯定を、カルラは腕を組んで納得したように脱力した。ショールの縁飾りがゆらんと揺れる。


「なるほど……天恵と話ができるんですね」

「すごい」

「何がです?」

「少しで全部わかっちゃうから」

「器用なんです」


 嵐が穏やかに目を細めると、カルラは居心地悪そうに視線をそらし、話を戻した。


「複雑なんですね。瞳を持つ、持たない、ということは」

「そうだね。わたしもよくわからないけど」

「……理解する必要はない、と?」

「したければ、自分が納得できる答えを探しに行けばいいだけだから」

「ふ」


 強烈な皮肉ですね、とカルラが笑う。

 皮肉だろうか。

 嵐は船の上で楽しそうに荷解きをしている気配を感じながら、カルラの言葉を噛み砕く。

 

 十年前の出来事を、嵐は今も理解しようとは思えない。

 

 自分の身に起きたことを理解しようとした途端に、都合のいい言葉を亡霊のように求め続けることになると知っているからだ。

 その先には何も残らない。探しても探しても出てこない。理解なんて一生できない。してはいけない。

 ただそのままを受け入れ続けることでしか耐えられないことだって、あるのだ。

 

 この船の全員がそうであるように。



「ラン」

「なに?」

「そのことはもう誰も知らない、ということで合っていますか?」

「うん」


 シトリアが声なき〝(またた)きの瞳〟の独占に成功している今、天恵の幻影と話ができることなど、誰も知らないはずだ。

 国に協力したはずのリストの母やリシマの子孫である者たちは、武器のように使われたあと二年の厚遇を経て、用済みとばかりに殺された。

 間に合ったのは当時六歳のリストだけだ。



 嵐が船を見上げると、船首で足を投げ出して座っていたリストがアレンに呼ばれて振り返ったところだった。

 聡明な彼の目が、少しだけ年相応に煌めく。



「あなた一人がいるだけで、研究者たちの謎は一気に解明できそうですね」

「わたしが嘘をつかなければね。そもそも、捕まらないけど」

「何があっても守りますよ」

「船長の使命だから?」


 からかうように言えば、カルラは見えない眼鏡の奥で鮮やかに笑った。

 覚悟を決めた者の、美しい笑みだった。



「ええ。この船で逃げると決めた、私の使命です」



 表情をいつものものへと戻したカルラが、ぽん、と嵐の肩を叩く。


「ですからあなたは、あなたが望むように生きてください。その花束を大切に」

「シュナに飾ってもらおうかな」

「それは……やめてあげなさい」

「どうして?」

「うーん」


 何故か頭を抱えてしまったカルラを嵐は不思議そうに見ているが、結局は「なんでもないです」と頷かれて終わった。

 嵐は船に戻ろうと、梯子に手を伸ばす。

 それを止めるように、カルラが長い足を一歩踏み出し、耳元で囁いた。

 

「常闇の瞳の話ですが」

「うん」

「誰にも言わないように。私の方で調べて何かわかったら、絶対に教えますから」


 念押しされ、嵐が素直に「わかった」と返事をすると、カルラはにこっと笑った。


「──〝神渡(かみわた)し〟」


 ふっと身体が風を包む。

 嵐が「過保護だよ」と言いたげに見下ろすと、カルラが笑みのままひらりと手を振った。

 ふわりと着地した嵐が、カルラが整備を終えた男と話し込むのを見ていると、ぐいっと腕を引かれる。


「飛雨」

「……」

「? どうしたの?」

「いや」


 飛雨の黒い目をじっと見つめる嵐は、一歩距離を詰める。

 黒い。

 昔よりもずっと深く黒い、光一つ浮かんでこないその吸い込まれそうな美しい瞳は、まさに黒瑪瑙のようだった。

 その左目の下についている切り傷が、少しだけ悲しい。

 〝(またた)きの瞳〟ではないからと、彼はナイフで取り出そうとした。決して嵐と交換できないと知っていてもなお、傷つけた。嵐に瞳を渡すのは自分だ、と。


 もしも飛雨の瞳に名前があるのなら──あの言葉を使ったとき、瞳はこぼれ落ちるのかもしれない。


 そんなことはさせない。

 誰にもこの瞳を渡したりなんてしない。





「嵐」


 じり、と後ろに下がった飛雨が無表情のまま嵐を(たしな)める。


「顔が近い」


 と、飛雨は背伸びをしていた嵐の頭に手を置き、ぐいっと下へ押した。

 その顔はどこか不機嫌だったが、逸らした視線の先で嵐が大切そうに手にしている花束を見ると、穏やかなものへと変わったのだった。




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