15
「見てたの?」
「ええ──あなたの幸福を、少しだけ。これに関してはすみません」
「他のは謝らないんだ」
「はい。美しいので」
「?」
「あなたを見る天恵たちの瞳は、いつも美しい」
カルラが反芻するように目を閉じると、嵐の右の〝瞬きの瞳〟の視界が霞むのを感じた。
じわりと霞が色づく。
映像だ。
この間の、夜雨とのやり取りが目に薄っすらと浮かびはじめた。
夜の森。
しとしとと降る霧雨。葉を濡らし、土を湿らせ、割れた外殻から溢れ出た紺碧の光を跳ね返すようにぼわりと幻想的に広がっていく。天恵が見ている。夜色の大蛇が、月光の瞳で微笑んでいる。幻影は──見えない。
「ねえ」
「はい?」
嵐が声をかけた途端に、右目の映像は霧散するように消えた。
これが「強く想ったときに繋がる視覚」らしい。カルラは記憶でも繋がることを知らないのか、嵐を不思議そうに見下ろしている。どうやら、カルラと自分では瞳で使える力が少し違うらしい。
「……」
「ラン?」
「卑怯だって言ったけど、意外とカルラは純粋だよ」
「えー……なんですかそれ」
「だって王子様だし」
「もうそんな年齢じゃないですよ。あとやめてください」
「カルラの瞳って、王族に出現するんだよね?」
話題を変えた嵐に戸惑うことなく、カルラはただ珍しそうに頷いた。
「私の前は、三代くらい前ですかねえ」
「その瞳は誰に貸されたものなの?」
「……太陽の恋人である雲だそうです」
「恋人?」
「ええ。太陽神は慈悲深く、この地をとても愛してくださっていますが……その昔強く照らしすぎてしまって地を枯れ果てさせてしまいそうになった、と。そこに雲は現れて〝あなたの光を遮り、あなたの愛する大地に恵みを降らせてあげましょう〟って言ったそうなんですね。どれほど愛してもいいように、自分が盾になる、と。そして二人は恋人に」
「なにそれ」
嵐の言葉に、カルラはくっと笑い出した。
「わかりません。説明しておきながら意味不明です」
「天恵なのかな」
「だと思いますよ。ロマンチックに改変した話なんでしょうが、きっと私の祖先はリシマの民のどなたかなのでしょう。リシマを離れると瞳は出現しませんが、天恵はその血には応えてくださる。瞳は瞬きませんが……隔世遺伝としてこうして時折色だけ強く出てくるのかもしれませんね」
天恵。
空から落ちてくる、恵み。
ただ民を愛し、民に祈りを捧げられる、空よりもっと遠くに棲む美しい存在。
それが、嵐の知る天恵だ。
実態を伴って落ちてくるなど、少なくともリシマが滅ぼされるまではそんなことは起きなかった。
この十年で変わったのだ。
彼らと対話することができる〝瞬きの瞳〟を持つ者の祈りが減り、代わりに大勢の恨みが届くようになってしまった。
その恨みがまた、天恵の怒りを生む。
「雲の天恵のこと、ご存知ですか?」
聞かれた嵐は首を横に振る。
「知らない。でも、雨も雪も風も嵐も──雲が起こすものだからなにか関係があるんだろうけど、わたしたちが知れる世界なんてたかが知れてるよ」
「それでこそあなたです」
カルラが最後の荷物である大きな麻袋を上へ運ぶ。
「研究者たちは色々と考えているようですよ。なぜリシマという孤島があんなにも天恵に愛されていたのか……〝瞬きの瞳〟を持ってしても、離れてしまえば使える力は小さくなるのはなぜか……ではどうしてリシマで生まれなかった子孫にも応えてくれるのか……どうすればまた〝瞬きの瞳〟を得られるのか──真面目な者は、天恵の怒りを鎮める方法を考えているようですが、無駄です。私たちがどうするべきかなんて、最初からわかっていますしね」
「? どうするの?」
「二百の瞳を、あの言葉通り返すんですよ。リシマの地に。でももう無理です。ですから、天恵が彼らを悼んで落ちてくることも、止められません」
カルラは口元に苦々しい笑みを載せた。
「一度覚えた便利な力はもう、皆手放せませんから」
「そういうものだよね」
「ええ。私もそうです。ヒューのように美しく使えたら、きっと天恵も喜んでくださるんでしょうけどね」
風を呼ぶのをやめたカルラが、感謝を捧げるように黙り込む。
嵐はそれを邪魔せぬように、船の上で荷解きをしている彼らを見上げた。
飛雨。
リシマでただ一人〝瞬きの瞳〟を授けられなかった彼は、しかし雨を呼べる雨の子だった。瞳を持つリシマの民の中でも、飛雨ほど多様な雨を呼べる者はいなかったのを覚えている。
彼はあの頃、異彩を放つ、神聖な気高さを持った少年だった。
「カルラ──〝常闇の瞳〟って、知ってる?」




