第三十二話 炎
――――時は戻る。
村を守ろうと倒れた私の前に、魔族が二人。
悪魔の目が細まり、鬼は嗤った。
鬼が、上段に剣を掲げて。
――ギロチンのように、刃が堕ちる。
その、瞬間。
ひゅん、と空気を引き裂く音と共に、超高速で何かが身体のすぐ傍を通過した。
それと同時、目の前に立っていた鬼の姿が消える。
何が起こったのか、私がそれを理解する暇もなく。
直後、轟音。
巨大な質量を持った物体同士が衝突する、激しい音が村に響いた。
「!? 何ですっ……!?」
先ほどまで余裕ぶった笑みを浮かべていた悪魔が、今は戸惑ったように辺りを見渡していた。……つまりこの状況は、彼らにとっても予想外の事態であるらしい。
鬼は姿を消し、悪魔は既に私から目を離した。
辺りでは未だに騎士達と魔物が交戦を続けている。
今この瞬間、私に対する警戒は緩んでいた。……既に片腕を失った、死に掛けの人間を警戒する道理もないか。
実際、僅かに身体をずらし、状況を確認するので精一杯な訳だし。
最早まともに動かない身体を意志の力のみで無理矢理に移動させる。
傍から見れば、別の方向に倒れただけのように見えただろう。
でもそれで十分だった。
最初の位置からでは見えなかった、今の状況を変えた原因を知った。
もうもうと立ち込めていた土煙が徐々に晴れ、倒壊した建物の破片の散らばる先、村を囲う外壁にヒビが生じているのが分かった。
記録に残る限り、どんな自然災害にも魔物の襲撃にも耐えて来た壁なのに。
そのひび割れの中心地にいるのは、鬼。
剣聖の私がわずかな時間凌ぐのがやっとだった、破壊の化身。
その鬼が、壁に衝突し、うずくまっていた。
俯いたその姿からは明らかな消耗が見て取れた。
更に目を疑うような光景が視界に飛び込んでくる。
その胴に突き刺さっているのは、一振りの剣。
剣は、燃えていた。
黒い鬼の皮膚の上で、白く躍る炎を纏っていた。
それなりに世界を見て来たけれど、こんな剣は見たことが無かった。
けれど、直感的に私はそれを、綺麗だと思った。
夜の闇の中、地上に堕ちた星のように思えた。――――彼と、あの日見上げた星のようだと。
どうしてかそんな記憶を思い出してしまった自分に違和感を覚える。
だって、ここに彼はいないのに。
「……っ……」
剣が何処から飛んできたのか、一体何だったのかは分からない。しかし、私たちに有利に働いたそのイレギュラーは、戦況を一変させるには至らなかった。
鬼は深手を負っているがまだ生きている。悪魔も徐々に冷静さを取り戻し、周囲への警戒を始めている。好転したかに思えた状況は、再び最悪へと転げ始めていた。
「……ヴァ、ン」
名前を、口にした私は何を考えているのだろうか。
最期に口にするのは彼の名前が良いだなんて、そんな感傷に浸るタイプでも、呼べば助けに来てくれるかもしれないと思うような、夢見がちなタイプでもなかったはずだ。
世界はそんなに都合のいい物じゃないと、知っているのに。
「――――おう、ここにいるぜ、アリア」
だから、どこからか返事が聞こえた時、私は頭がおかしくなったのかと思った。
「え、なん、で。そんなはず、ないのに」
「ここは異世界、英雄の物語だからさ。都合が良くてもいいじゃないか。お前が名前を呼んでくれたから間に合ったんだって、俺はそう信じてる」
信じられない声が、けれど確かに私の言葉に答えを返して。
――――一人の人物が姿を現した。
予想外の乱入者に、敵味方共に刹那の間静止する。
私は、一目見ただけで、目が離せなくなった。
ゆっくりと歩いてくる少年。
ぼろぼろだ。
ぼさぼさの白髪に、衣服は汚れ、端は焼き焦げている。
全身に煤を付け、頬に乾いた血がこびりついている。
「よう」
「……何しに、来たの」
「ちょっと、忘れ物をしてさ」
まるで、昔みたいに気の抜けた声に彼に、身体から力が抜けてしまう。
「っ! おい、大丈夫か!?」
慌てたような声が聞こえたかと思うと、遠くから聞こえていたはずの彼の声が、急激に近づいた。
一瞬力が抜けて閉じてしまっていた瞼を開けば、目の前に彼の顔が見えた。
「…………」
頬に手を伸ばし、その感触から彼が本当にそこにいることを確かめた。
ヴァン。
剣の師匠。
一番大切な人。
頼まれれば命を捧げる覚悟さえ、出来てしまう人。
「おいッ! それ以上近づくなッ! さもなくばその首を掻き切るぞ!」
激昂した様子の悪魔が、その長く鋭利な爪を構え彼を睨んだが、
「―――――退け」
彼が言うと、悪魔はまるで言葉を失ってしまったように、ぱくぱくと口を開閉させるに留まった。
そんな悪魔の様子にもはや一瞥もくれることなく、彼は片膝をつき、私の状態を確かめるようにした。
「大丈夫か? あと少しだけ、堪えられるか?」
「どう、して」
「悪い。喋んなくていい。くそ、パニクるな、俺……あの時とは違うだろ……」
彼は自らの白い髪をくしゃくしゃと乱雑にかきあげた。
その仕草さえ、もう二度と見ることは出来ないと思っていた。
「ぉい……転移は成功した……。僕をもっと褒めろ……」
その時、彼の来た方向から、更に別の人物の声が聞こえる。
男女の声。
「流石ね!!」
「姫様、ありがとうございます……でも、今僕がもっとも感謝して欲しいのはあの男です。……おい、聞こえてんのか剣聖もどき。三日間寝ずの行軍、並の魔法使いならぶっ倒れてるところだぞ……」
眼鏡を掛けた少年を肩に担いで現れたのは、一年前に町で出会った勇者を名乗っていた少女。
「感謝してる。それより……ああ、こいつを、頼む」
「はい」
そして最後に現れた、杖を持った金髪の修道女。
清廉な印象の中にどこか神々しさを含んだ少女。
彼女はすぐにこちらに駆け寄ると、彼の腕の中にいた私を確認し、そして何か小声で文言を唱えた。
瞬間、全身の痛みが和らぐと同時、暖かいものが身体に流れ込んでくるような感覚があった。
傷口が閉じていく、時間の流れが逆転しているかのようなこの奇跡は、身に覚えが在った。
回復魔法。
ネーレさんが使っていたそれを思い出していた私は、しかし今自分が受けているものは、全くの別物だと知ることになった。
「…………え?」
噛みちぎられた筈の左腕が、再生しつつあった。
欠損した四肢の再生。
公式の記録には残されていない、神話の時代のお伽噺。
それを為し得る存在に、一人しか心当たりは無かった。――聖女。
「……ありがとう。でも騎士たちを優先して」
言葉を口にして、痛みなく喋れていることに、普段通りなことに違和感すら覚える。
それだけの奇跡を為した彼女は、しかし全く偉ぶる様子もなく楚々とした声で答えた。
「貴方が一番重症でしたよ。これだけの数の凶悪な魔物を相手に、よくぞ一人の死者も出さずに。流石、剣聖と言うべきでしょうか」
辺りの倒れた魔物の姿を見渡した彼女は、感嘆の声を漏らし、
「もう大丈夫です。私達が……彼が、来ましたから」
そう言った彼女の見つめる先には。
「…………」
白髪の少年は立ち上がり、破壊された村を見渡した。
そして、その先に居る、破壊の元凶と相対する。
24時にもう一つ投稿します。




