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第二十八話 


 崩れた外壁の傍、倒壊した建物の破片の散らばる路上に火花が舞っている。


 剣戟は激しさを増していた。

 男が時折見せる神掛かりめいた一刀を、アリアは驚異的な反射神経と直感のみで捌き切る。


「いいぞ、いいぞいいぞいいぞいいぞッ! 凄くいいぞお前ッ!」


「……はっ、はっ、はっ、」


 最早返事を返す余裕など無い。

 目の前の鬼のほんの僅かな挙動さえも見逃さないように黄金の瞳は常に限界まで開かれ、そこから一瞬先の未来を読む為に、焼きつきそうなそうなほど頭を回す。

 僅かでも集中を途切れさせ、一手対処を誤れば即座に己の首が飛ぶこの状況は、アリアの精神を凄まじい勢いで削っていく。


「見えたァァアアア!!」


「っ!?」


 来る、と頭で直感するのと同時に我武者羅に横に跳ぶ。

 

 鬼が何かを"見た"と言って繰り出す一撃に、アリアはあの人に近いものを見出していた。それすなわち、彼女にとって鬼の剣が剣の頂きに届きうる刃であることを意味している。

 彼が本気で自分の命を取りに来るなら、きっとこんな太刀筋だろうと、そう思えるような剣を鬼は振るっていた。


 以前なら捌けなかっただろう剣筋を反射で捌き、迫る蹴りに呼吸を合わせその足に跳び乗り、曲芸のような動きで回避する。

 明らかな格上であるこの鬼との戦いの中で、アリアは自分の力が急速に引き上げられていくのを感じていた。 


「は! はは! フハハハハハ!!」


 再び間合いが離れ、愉快極まりない様子の鬼が高笑いをして、アリアは汗を吸って貼りついた邪魔な前髪を払う。

 

 ――彼女の僅かに周囲へと散った視線が、あるものを捉えた。



---



 犬の魔物、というのがいる。

 鋭い牙を持ち俊敏な動きで獲物を仕留めるが、脅威の度合いで言えばスタンピードの中でも下の部類だろう。

 実際、それらの多くは脅威足り得ず、騎士の中でも経験の浅い部類の者が始末に当たっていた。


 その犬の魔物と切り結んでいた騎士の一人が、持っていた剣を牙に弾かれるのが視界の端に見えたのだ。


 若い騎士の隠しきれない恐怖に歪んだ顔は私と同年代に見えて、それがずっと傍に居て今は離れてしまった、きっともう二度と会うことの無いあの人の、最後に見た時の顔と重なって。


「ッ!!」


 気付けば私はその騎士と魔物の間に割り込んでいた。

 騎士を突き飛ばし、代わりに魔物の牙を剣で弾いた。

 犬の魔物は唸り声を上げ、距離を取った。


「あ、ありがとうございます……」


 倒れた騎士が呟く。


「……っ、」


 ふらついた身体を意志の力で押さえつける。

 普通なら、まず間に合うはずのないタイミングだった。

 風神の加護と体術を組み合わせた高速移動で、無理矢理に間に合わせた。

 視線を動かし、鬼の位置を確かめる。


「おい、そんな雑魚など放っておけ。俺との戦いに集中しろ。……ん、待て、あいつは」


 佇んでいた鬼が、何かに気付いたようにした。

 嫌な予感がして、周囲の様子を見渡した。



 ――犬の魔物が視界から消えていることに気付く。



 ドン、と何かがぶつかる衝撃と共に、身体が不自然に軽くなる。

 耐えられる程度の衝撃だったはずだが、私の身体はどうしてかバランスを崩し、膝を突いていた。


「あ。ぃ、」

 

 激痛を脳が理解する一瞬前に、咄嗟に舌を嚙まないように袖口の布を口元に噛ませた。多分その処置を施さなければ私は死んでいた可能性が高い。


「~~~~~!!」


 右腕を喰われた。

 

 その事実を認識した瞬間、信じられない程の痛みが襲う。

 傷の断面が空気に触れているだけで地獄のような痛みが絶え間なく脳に送られる。

 悲鳴と共に涎がだらだらと布を通じて地面へ滴る。

 

 犬の魔物は喰い千切った私の右腕を、ぺっと地面へ放り捨てた。

 あの鬼がこのスタンピードの最大の脅威なのだと勝手に誤解していた。

 違う、この群れのリーダーは、こいつだ。


 痛みに発狂しそうな脳の気を逸らすように、必死に考える。


 騎士の兜は何故外れていた? 

 ……こいつが私を誘導したんだ。

 敢えてなぶり、私に見せつける為に。

 そのことに気付き思わずぞくりと背筋が震えた。

 

 なんて狡猾な奴。

 犬の魔物は醜悪な笑みを浮かべた。


「らえぎがうぇさねじゃ」

 

 理解不能。


「えわじががうぇあ」


 意味不明。

 これと同じような


「おい、それは俺の獲物だぞ」


「えあぐえわなふぇあ……こちらの言葉で話しますか。貴方、遊ぶのは結構ですがもう少し警戒した方がいい。この女は剣聖。近い将来、魔王様の脅威となる可能性があったのですよ」


「遊ぶなって人に言っておいてお前こそ、下級の魔物の擬態なんてしやがって」


「これは策の一環ですよ。相手を油断させるためのね」


 視界から犬の魔物が消え去り、悪夢のような光景が目の前に出現する。


 つるりとした黒色の外皮。

 村長のような大男よりも更に二回りは大きな体躯。天に楯突くように伸びた角。

 そして背中に生えた翼。


 見覚えがあった、なんてものじゃない。

 

 忘れない。忘れるものか。

 十年前に殺されかけた獣。悪魔、とあの人が呼んでいた存在がそこにいた。


「…………っ!」


「……? その反応、どこかで会ったことがありましたかね? 人間は見かけたら殺しているはずですけど」


 蹴られた、と理解した次の瞬間には、住居の壁に叩きつけられていた。

 衝撃に頭が朦朧とする中、ずるり、と立ち上がろうとした足は再び崩れ落ちた。


「さぁ、命乞いをしなさい。人類の希望である剣聖が、無様に泣き喚く姿を見せなさい」

 

 恐らく私のこともなぶるつもりなのだろう。

 私が、恐怖に怯え泣き顔を晒すのを楽しみにしているかのように、そいつは醜悪な笑みを隠そうともしない。


「…………だれ、が」


 こいつを喜ばせるようなことは決してしない、と心に決めてきつく瞼を閉じた。

 それでも、

 

 ゴッ! ゴッ! ゴッ!


「……ッ! ……うっ……がッ」


 幾度も私の腹を殴り、壁に執拗に叩きつける。

 こいつはその気になれば私をいつでも殺せるはずだ。

 それでも私の意識がなおも途切れていないのは、手加減しているからだ。

 これまでの経験で痛みには慣れていたとしても、生理的に自分の口から呻き声が零れいてるのが分かった。


「げひゃっ! げひゃひゃひゃひゃひゃ」


 決意が揺らぐことはなくとも、心の何処かから去来する、底のない黒い感情は次第に大きくなっていた。きっとそこに沈み込めば二度と這い上がることの出来ない、この暗く重い感情を、人は絶望というのだろう。かつて十年前に感じたものと同じ、死神の気配を再び感じていた。


 私はここで死ぬのだろう。

 なぶられ、じわじわと身体を壊されて、虫のように死ぬのだろう。


「…………っ」


 ガクリ、と。

 己の意思と無関係に視界が沈む。朦朧とした視界の中、遂に限界を迎えたのだと知った。


「ようやくですか。信じられない生命力ですね」


「とっとと終わらせろ。苦痛を長引かせるのは趣味じゃねぇ」


 心は未だ燃えていた。ただ、肉体はそれについて行かなかった。


 睨み殺せたならいいのに。

 眼前の、鬼と悪魔は壁を背に座り込んだ私に向かい呟いた。


「野蛮な目をしていますね。怖い怖い」

「最期まで強がるか。本当に、いい戦士だった」


 悪魔の目が細まり、鬼は嗤った。

 そして鬼が、上段に剣を掲げた。


 …………。

 最早痛みは感じなくなっていた。

 騎士団長か誰かが何かを叫んでいる声が聞こえた気がした。

 危なくなったら逃げる約束は、守れなかったな。

 しょうがないから人類の未来は、他の誰かに任せることにしよう。

 

 首は動かなかったので、目だけで頭上を見た。

 見上げた空には星が輝いていた。


 でも、私は、ちゃんとやったよ。剣聖として。


 だからいつか天国で会ったら、褒めてくれるかな。


 謝ってきたら、一度怒っている振りをして、それで慌てる彼を見て、許そう。

 そしてまた一緒に暮らそう。天国にはきっと、魔王も剣聖もいないから。今度はもう離れないように。ずっと。

 

 ――ギロチンのように、刃が堕ちる。



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