第二十六話 スタンピード
教会に居た。
ネーレさんが騎士団長の手当てをしている。
大した怪我ではないはずだけど、戦闘の跡が残っていても不自然なのは確かだ。
「……助かる。部下に見られても面倒なことになるのでな」
やはり先ほどの手合わせは独断だったらしい。
騎士団長はネーレさんに頭を下げていた。
「それで、これからどうするの」
敬語は取った。いきなり襲ってくるような相手に、今更建前の敬意をもって接しろというのも無理な話だ。
騎士団長も分かっているのかそれについては何も言わず、
「君にはこれから王都に来てもらう。現在、既に聖女と賢者が確保され、勇者も合流しようとしている。四人が揃ったあとは、魔王討伐に向かって動いてもらう」
おおよそ、伝承の通りだ。
「ただ、懸念点がある。元々、我々がこの地に来た目的の半分は君を王都に連れて帰ることだった」
「半分?」
では、残りの半分は、と問いかけて。
「申し上げます! 彼方に、魔物の群れの存在を確認! その数、百以上と推定!」
村長と共に入ってきた若い騎士の声に、場の空気が張り詰めた。
「スタンピード、か。……どうやら、目的は全て果たされることになりそうだ」
騎士団長の動きは迅速だった。すぐに横のシスターに指示を出す。
「住民の避難を頼む。最低限の物だけ持って我々の馬車に乗り込むよう指示してくれ。安全な街まで彼らを送り届けることを約束する」
「ちょ、ちょっと待って!? スタンピードって……暴走した魔物がこの村に来るってことですか!?」
「その通りだ。よく知っているな。滅多に起きることではないのだが」
スタンピード。
普段、魔物は人間を見ると襲ってくるが完全な見境なしという訳では無い。動物と同程度のリスク意識は持っている。
しかし極稀に、突如として魔物の集団が暴走することがある。原因は不明だが、その症状に陥った魔物達は己の命を顧みず、周囲の生物を殺し尽くすまで、あるいは己の命が果てるまで殺戮の限りを尽くす。
私の読んだ資料には、スタンピードの通り過ぎた後の村について記載があった。
――――まさしく、この世の地獄であったと。
「この地域には以前からスタンピードの予測があった。我々のもう一つの任務は、スタンピードの兆候があれば、村の住民全員を逃がすこと。そしてその後に、スタンピードを殲滅すること」
「万全を期すが、村の破壊は避けられないだろう。当然、国から当面の住居及び支援金が出る。詳しくは私の部下から話を聞いてくれ」
余りに唐突な展開に、場には沈黙が降りた。
特に村長とネーレさんはずっと暮らして来た村が、今から魔物の大群に破壊されるなどと聞いて、呆然としていた。
「君は余り動じていないな、肝が据わっている。流石剣聖と言うべきか」
横目で騎士団長が私を見て来る。
旅をして、魔物によって滅んだ村も幾つも見て来た。
自分の村だけがそうならないなんて、どうして思えるだろうか。
「逃げることは負けじゃない。生き延びる選択が悪であるはずが無い」
「それに理性的だ。惜しいな。あと十年早く出会っていれば求婚していた所だ」
「死ねロリコン。……魔物はどんなのがいるの?」
「何でも。報告されているだけでも、肉食動物をモチーフにした奴から、そいつらを運ぶ飛行型、地中を移動する昆虫型まで。各地で報告されたこれまでのスタンピードと比べても、どうやら今回のは相当ハードな任務になりそうだ」
「……そう」
旅の間に大抵の魔物とは遭遇したから、魔物相手の心配はそれほどない。
気になるのは彼の発言の後半部分、今回のものが異常であるという点。
"たまたま"スタンピードが剣聖の村を襲い、そのスタンピードが"たまたま"他と異なっているなど。全てを偶然の一言で片付けて呑気にお茶を飲んでいられるような人生を、私は送ってこなかった。
「一つ、勘違いしているようだから訂正するが。私は"村の住人全員"と言った。その中には当然、君も、含まれている」
「……驚いた。私に戦えと言わないの?」
「当たり前だ。君が剣聖だが、まだ若い。我々騎士には、君を守る義務がある。君の未来を護る義務がね」
……少し、騎士団のことを誤解していたかもしれない。見ればネーレさんの表情からも、やや騎士団長への険が取れつつあった。
「けれどそれなら、その騎士の義務とやらには目を瞑ってもらうしかなさそうね」
「どうしてっ!」
「どうもこの人達、死ぬつもりらしいから」
騎士団長は肯定も否定もしなかった。
「個人的には助かるが。我々が生き残る可能性がかなり上がる。しかし、人類としては剣聖である君を、魔王を倒す前に失う訳にはいかない」
「無理そうならとっとと逃げる。……これでいい?」
「ああ、承知した」
「私は反対です! 彼女が戦わなければならない理由が無い! まだ子供なのに!」
「一年前に成人したわ」
「でもまだ人生は長い! アリアちゃんはまだ知らないことが一杯ある!」
「……どちらにせよ、我々に彼女を止めることは出来ない。騎士団が束になっても敵わない相手をどうやって止める?」
天井を仰ぎ、息を吐く騎士団長に対し、ネーレさんは必死に反論を思いかべたが、上手くいかなかったようだ。
「……なら、私もここに残ります。回復魔法が使えます。何かの役には立つでしょう」
「レディ、我々騎士団にも回復魔法を使える者が居る。君のような麗しい淑女を危険な目に遭わせては、騎士の名折れだ」
「ふざけないでッ、子供を見殺しにして、自分だけ逃げるだなんて、そんなこと出来るわけない」
激昂したネーレさんの隣で、今まで黙っていた村長が声を上げる。
「儂も残るぞ」
「要らないわ」
「盾にでもなんでも、好きに使ってくれて構わない。そもそも、儂ももう年じゃ。今更この土地を離れてどこかに移住しようなどとは思わん」
「要らないって言ってるでしょ。足手纏いよ」
頑強な大男。彼自身の言う通り、役に立たないと言うのは嘘になるでしょうけど。
「貴方は生きなければならない。村人を導くのが、村長の役割でしょう。他に誰に出来るって言うの」
振り返り、未だこの場を離れようとしないもう一人にも声を掛ける。
「ネーレさんも。貴女は村に必要な人間ですから、こんなところで命を危険にさらす必要はありません」
「……ッ! 自分が、村に必要じゃないみたいな言い方はやめてっ!!」
驚いて見れば、ネーレさんはその身に杖を抱き私を見ていた。
よく見れば僅かに震えている膝。決意の籠もった瞳に、しかし隠しきれない恐怖の色が浮かんでいて。それでも、彼女は私を引き留めてくれた。
優しい人だと思う。本当に。
私は頭を下げた。
「……ありがとうございます。それでも、これが私の生き方ですから」
「ヴァン君はどうするの!? 貴女とずっと一緒にいた彼は、貴方が死んだらっ――――」
彼女がまだ何かを言いかけていた時、地響きがした。遠くから、魔物のいななきが聞こえた気がした。机の一つに腰掛け瞑目していた騎士団長は私達の会話に割り込む。
「悪いが、もう話している暇はないようだ。……本当に良いんだな、剣聖」
「ええ」
「……恩に着る。必ず貴女を生きて返すことを、騎士団の誇りに懸けて誓おう」
私は騎士団長と共に、座ったままの二人に背を向けて、扉へ向けて歩き出す。
彼のことに触れられて想像以上に気が立っていた自分に驚く。
あの優しくて正しい聖職者では踏み込めなかった彼の心の、一番深いところに自分が近づけていたことに、仄暗い優越感を覚えていることを自覚する。
きっと私は、彼との関係だけは、誰にも口出しして欲しくなかったのだ。剣で繋がってきた私達の世界には、私達二人だけで良かったのだ。




