第十八話 家族
そこからどうしたのかは、はっきりとは覚えていない。
ただ、魔石を換金して得た金貨を居間の机に投げ捨て、家を飛び出したのは覚えている。
この村ではまず見ることの無い金貨を目の前にして、両親はぽかんとした顔をしていた気がする。
俺は気づけば村の外、森の中に立っていた。
ここまで走って来たのだったか、息は上がり身体は雨に濡れていた。
家族への旅の土産に買っておいた、家内安泰を願う木彫りの人形は森を走る中でどこかへ落としてしまったらしい、懐から無くなっていた。
叩きつけるように降る雨粒をどこか他人事のように見る。
夏が終わり秋が訪れようかという時期の雨は冷たかったが、身体は異様な熱を帯びていた。
「………っ、……!」
突如刺すような痛みが走り、思わず胸の辺りを手で抑えた。
ばくばくと、心臓の音がする。
頭が割れるように痛い。
がしゃりと音がした。
思わず辺りを見渡しても、雨の降る森は答えを返してくれなかった。突然頭にここではない景色のイメージが焼き付くように流れ込む。瓦礫の搭。片腕の取れた人形。
「…………っ!?」
何だこれ。俺はこんな場所知らない。
聖女、勇者。あいつらどうしてるかな。悲痛な叫び。倒れる仲間。
存在しない記憶が頭に入ってくる。気持ち悪い。
堪えきれず地面に蹲りながら、一つの可能性に思い当たり、歯噛みする。
加護の浸食。
どうして今ここで、と思いかけて今だからこそかと気がつく。
剣神の加護の引継ぎ手が見つからないことに加え、ドラゴンの問題、そして家族を失くしたこと。かつてなく精神が揺さぶられた状態ではあるだろうと、冷静に分析したつもりで、そこからの打開策が何も浮かばない。
俺が本来剣神の加護に目覚める筈だった十六歳に近づいていることも、関係しているのか。
痛みに苦しんでいると、急に頭がクリアになる。
ぱっくりと頭が割れそうだと錯覚してしまうほど酷かった頭痛も、嘘のように引いた。
どうして家族に人として見られていなかった程度で、ショックを受けていたのか分からない。
もっと大事なことがあるのに。
「……斬りてぇ」
そうだ。
俺は斬る為に生まれた。
それ以外のことはどうでもいいのだ。
右手に抜き身の剣を持ち、立ったまま雨に打たれていた。
赤く染まった視界に、やがて魔物の群れが映る。
彼らは最初、様子を見るようにじりじりと距離を詰めていたが、こちらが何の動きも見せないと分かると、一斉に飛び掛かって来る。
「……ぁ」
見える。描くべき全ての軌道が見える。それをなぞる。魔物の首が飛んだ。またなぞる。首が飛んだ。なぞる。飛ぶ。なぞる。飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。斬る斬る斬る斬る斬る。
「………は、はは」
斬る。いつの間にか魔物の群れは全て死体となり周囲に転がっていた。
「……はははは!」
森をあてもなく歩く。
時折魔物が突っかかってくるのを、適当に斬る。
狼の魔物を斬り、熊の魔物を刻み。ワイバーンの群れを撫で斬りにして。
ごうごうと雨が吹き荒れ、視界は更に悪くなっていく。
水滴を含んだ風が横殴りに吹き付けるが、そんなの力の逃がし方さえ知っていればどうってことはない。
流石に濡れるのはどうしようもないけど。
ぬかるんだ地面からぴちゃりと泥が跳ねて頬にかかる。
「うぜぇなぁ…………」
どれだけ歩いたか。凍えてしまいそうなほど冷え切った手足を動かして、気づけば俺はこの嵐の中心へとたどり着いていたようだ。
目の前には視界を覆うほどの巨体。赤い鱗は間近で見れば素手で触れると傷がつきそうなほど尖っていた。
超大型魔獣、ドラゴンは静かにそこにいた。
悠然と佇むその姿は、この森の主と呼ばれ数百年に渡って支配してきた貫禄を感じさせる……のか。知らんけど。
流石にこれが超大型魔獣。その辺の魔獣とは訳が違うわけだ。両翼を一度羽ばたかせただけで辺りには突風が吹き荒れる。
一瞬きの間に、竜は空にいた。そして豆粒のように小さな俺を敵と認識すると、羽ばたきをやめてこちらに急降下。
「ははっはははははは!!」
ああいいね。やる気があるならやろうや。
死ねよ、ほら死ね。
斬る、斬る斬る斬る斬る。
鉄のように固い鱗なんて、切ろうと思えば切れるもんさ。
ただ旅先の鍛冶屋で適当に見繕っただけのなまくらは、ついていけなかったらしい。
幾度か切りつけるうちに切っ先が欠けた。
なまくらは更になまくらになり……まぁ、それくらいなら調整すればなんとかなるんだが、調整の前に一発貰う。
衝撃に吹き飛ばされ空中で受け身を取るも、木の幹に数回衝突。多分、あばらが数本イッてる。まぁ別にどうでもいいんだけど。
立ち上がると一瞬ふらついたが、調整するとすぐに戻った。剣神の加護は便利だなぁ。
口を開けばひひっ、と思わず笑いが漏れた。
「楽しいなぁおい。このまま踊り続けようぜ。どっちかが壊れるまでさぁ」
それで構わないよな? どうせお互い、嫌われもんなんだから。
不適格、要らない存在。
斬る、斬る斬る斬る。斬って突進を身体を捻って避けながら斬って、相手の薙ぎ払いを跳ねて避けて斬って、剣の腹で受けて斬って、受けきれず吹き飛ばされながら斬る。
楽しい。シンプルだ。斬って、斬られて、斬って斬るだけ。
「異世界転生って最高だなァ」
いつしか勝負はついていた。奴は地に墜ちその翼は既に目的を果たせない。傷ついたその身を守っていた鱗も大部分は削ぎ落され、ただその眼だけは未だ欄欄と殺意に滾っていた。
傷つけたはずの喉からなお地が震えるような唸り声を聞いて、嬉しくなる。
「いいねいいねそうだそうじゃなきゃさぁ」
最後まで、最期まで足掻こうとするその姿に口笛を吹いた俺が剣を構えたその時、
「邪魔だなぁ」
小さな複数の影が森の陰から飛び出してくる。そいつらの体躯を覆うのはあの竜同様に固い鱗。でもそれだけだ。こいつはただ固いだけ、あいつと違ってその有効な使い方も自分の他の武器も何一つわかっちゃいないただの雑魚だ。故に切り伏せるのは簡単。彼我の実力差も分からない雑魚が、俺達の戦いを汚す。
弾き飛ばした小さな雑魚共はそれでも、倒れた竜を護るように取り囲んだ。
「……おいおい。嘘だろ」
つまんねぇな。竜が嫌われているのは人間にとっての話で、こいつにはこいつの家族がいたってだけの、至極当然の結論。
「きっしょ、おもんな。白けるわ」
当たり前のこと過ぎて教訓にもなりゃしねぇ。説教なんて前世だけで十分だ。
「あぁー、斬り足りねぇ、斬りてぇ斬りてぇ斬りてぇ斬りてぇ」
衝動のまま、その辺の木を切ってみる。スパンと切れる。手応えも何もありゃしない。遠巻きに見ていた別の熊か狼か知らんけど魔物を斬ってみた。斬れた。はいおしまい。おもんね。
「ねぇ、もうやめたら」
背中から声が掛けられて困惑する。こいつはどうしてここにいる? 嵐で空は暗いが、時間的には未だようやく日が傾き始めたところ。ここ数日は家族で過ごすと行っていた筈だ。
「ぼろぼろじゃない、意味わかんないんだけど。そんな必死になって倒す必要なくない?」
軽口を叩く彼女こそよく分からん。
でもそれも当然か。俺達は違うからさ。分かんねぇよ。家族に愛されたお前には、何にも。家族に捨てられ家から追い出されたやつのことなんて。神から剣神の加護と言う名の呪いを受けた奴のことなんて。
「それ、やばいわよ。壊れかけてる」
彼女は俺の左腕を指差して言った。
その指摘が正しいことにイラつく。
「うるせぇ関係ないだろ」
「関係あるわ。私は貴方の弟子だから」
弟子。
何で俺はこいつを弟子にした? いやそもそも何で俺はこいつとこんなに一緒にいたんだっけ……ああ、なんか考えてたなそういえば。身代わりだっけたしか。
でもそれももういいかもな、何でも。勇者の旅も弟子も加護も譲渡も、もう全部どうでもいいや。
「弟子もういいや。破門で」
まぁでも目の前の竜を殺す間に壊れちゃ困るな。左腕は加護使って適当に繋げとこ。多分あと一太刀振ったらイカれちゃうけど、別にこれからしたいことがあるわけでもないし。
「…………っ!」
軽い衝撃に視界が揺れる。
熱を持った視界に息を荒げ、顔を歪めた彼女が映った。
頬をはたかれたのだ、と理解するのには数瞬の時を要した。
不可解な行動に困惑する。
俺がもし反射で斬ってたらどうしてたんだよ。その対応も出来んのか。いや出来ないよな、風神の加護を得た所で、彼女にゼロ距離で本気の俺の剣を避けることは出来ない。じゃあ彼女はそのことにも気付けないほどの馬鹿だったってことか。普段あんなに賢しらぶってたのに、口だけか。
「覚悟、決めてるって言った」
「………………?」
「斬りたければ斬ればいい」
本格的に訳が分からない。頭によぎるのは、魔物。倒れた仲間。一人剣を構えた俺の姿。? これは誰の記憶だ。俺って、誰だ?
俺が再び痛み出した頭を両手で掴み堪えているうち、傷ついた竜はその子供と共にゆっくりと羽ばたき、この場を離れていくが、今そちらに気を割く余裕は無かった
「……今の貴方は、いつもの貴方らしくない」
「俺らしさって何? って、まぁ何でも良いんだけどそんなのさ。別にそんなの要らないでしょ。だって俺なんて別にどうなったって、悲しむ人はいないんだから」
森の中で彼女と向き合い、自分の言葉で改めて状況を認識して、心の芯がまた一段階冷え込んだ気がした。
ならば冷えろ冷えろ、もっと冷えろ。凍り付け。何も感じないくらいに。
そして消えていく。吹きすさぶ風、叩きつけるような雨に、指先から感覚が失われる。
唯一つたしかなのはもう二度と幸せになんてなれないと気付く、この感情だけ。
世界でひとりぼっちの俺は、自分が何者であるかそれさえも分からなくなって。
「――――貴方が死んだら、私が悲しむわ」
燃えているのかと思った。
それだけ、熱い体温を感じた。
それは、どくどくと脈打つ命の鼓動だった。
正面から背中に回された手は、雨に打たれてなお、熱を帯びていた。
彼女の触れる感触から、俺は自分という存在の形を思い出す。
「だいじょうぶ。私が、いるから」
彼女の言葉に溶けていく。
少しずつ少しずつ、俺の中の加護の衝動と、自暴自棄になってまで纏った覆いが消えていく。
そして一番脆くて、弱くて小さい部分が顔を出す。
「父さんと母さんはさ、」
その先の言葉を言いたくなくて、でも、我慢できずに溢れてしまう。
「俺は、要らないんだってさ」
視界が歪む。勝手に涙が流れるのを、止める気力もなかった。
ただ回された手に、力が籠ったのを感じた。
「俺はさ、確かに、家は継がないし、二人の期待には応えてないかもしれないけど。どんなに忙しくても家の手伝いはしてきたし、家族のことも大事にしてきたつもりだったんだ」
前世では養護施設で育った俺が、ついぞ得られなかった家族という存在。
周りで他の子どもが親に愛されているのを見るのには慣れていたけど、何も感じないわけではなかった。
欲しかった。ああ、俺も欲しかったさ。
帰る場所、何があっても切れることのない絆で結ばれた人たち。
自分を無条件に愛してくれる人。
けれどその望みは叶わなかった。
前世の価値観を持った俺と、この世界の厳しさの中で培われた彼らでは、家族に求めるものが違ったのだろうと今更気づく。
それに幾ら家の手伝いはしていても、殆どの時間は生き抜くために剣を振っていたし、誰かに加護を渡さなければと焦っていたから、十分な時間が取れていなかったのかもしれない。
なら結局、転生者の俺が剣神の加護に選ばれた時点で、家族とは決別する運命だったのかもしれない。それは受け入れなければならないのかもしれない。
「でもさぁ、贅沢な願いだったかなぁ。……一人でいいからさ、欲しかったんだよ。俺を受け入れてくれる人が。一人でこの世界に来て、どうしようもなく孤独だった。その上、身の丈に合わない使命に圧し潰されそうになって。俺が弱いのが悪いのかもしれない。でも俺だって、必死に頑張ったんだよ。……誰かが、傍にいてくれるだけでいいんだよ。それって、望んじゃいけないことだったのかなぁ?」
ただでさえ支離滅裂で、転生したことも剣神の加護のことも伝えていない彼女にとっては、なおさら意味の分からないことを無様に泣き喚く俺を、
「私が、いるわ」
彼女は、ただ抱き締めてくれた。
涙を流してくれていた。
「いいわ。私が貴方の、家族になってあげる」
引いたはずの一線が、掻き消されていくのを感じた。




