第十七話 俺は家を追い出された
ネーレは羊皮紙を丁寧な手つきで、机の引き出しに仕舞った。
「ところで、最近アリアちゃんとはどうなの?」
「何すか、急に……。まぁ、俺としては上手くやれてる方だと思ってますけど」
「そうじゃなくて、恋愛的に。ほら、アリアちゃん、モテるじゃん?」
「あぁ、そういう話すか……」
ややぬるくなった紅茶に口をつける。この世界では大概の男女は結婚して子供を作る。俺はまだ十五歳だが、既に周りでは誰それが結婚しただのという話は時折耳にしていた。
「ヴァンくんとしてはどうなの、気になったりしないの」
机に両肘をつきその上に頭を乗せて、緑色の瞳をキラキラさせながら聞いてくるネーレに、俺は苦笑する。
「いや、特にないっすね」
「えー、あんなに可愛いのに何で? 君、男の子でしょ?」
さっきの意趣返しのつもりか、そんなことを言われる。
けれど、傍から見ればその反応も当然のものかもしれない。
数年前からその兆候はあったが、今アリアは村一番の美少女の名をほしいままにしている。
でも。
「一応、俺が師匠ってことになってるんで。弟子に言い寄る師匠って、控えめに言って死んだ方が良くないっすか?」
彼女が村を出るときの為に、この世界で生き抜く力をつけるという約束をした。
その立場を盾に彼女に何かを強要するような真似は、絶対にしちゃいけない。
それくらいは、俺にも分かる。
「……考えすぎな気もするけどね。もう、君たちの関係は単なる上下関係なんて段階、とっくに超えてるように見えるけど」
「……それでも、駄目です。俺達は確かに昔から一緒に居るけど、でもそれを恋愛に結びつけるのは違うんです。そんなの、幼い頃からの刷り込みじゃないっすか」
「それって、幼馴染で結婚してる人とかも全部駄目ってこと?」
「いや、俺の場合は……ちょっと事情が違うっていうか」
なんせ、片方が転生者だ。お互いに物心ついていなければ、たまたま幼い頃から一緒にいたことによって育まれる愛情というのは許容出来る。むしろ、微笑ましいものだ。けれど、俺は生まれた時から物心はとうについていた訳で。
それはだめだろう、と思う。
もし仮に、別の奴が俺と同じ立場に居て、そいつが今になってアリアに言い寄っていたら、俺は多分そいつをぶっ殺している。
一線を引かなければならないのだ。俺とアリアは幼馴染だけれど、それが呪いとして機能してしまわないように。
ネーレは両手で紅茶の入ったカップを包んで、ほうとため息を吐く。
「.........綺麗な綺麗な愛しか認められないんだね。でも、世界は多分そんなに綺麗じゃないよ」
「分かってますよ。分かってるつもりです」
本人の意思に関わらず親が勝手に決めた結婚なんて、この世界じゃ当たり前過ぎてむしろ喜ばれるべき類のものだし、あるいは半ば無理矢理手籠めにするなんてものも、貴族制度が存在する時点で、この世界でまかり通っていても今更驚きはしない。
打算も策略もなしの、完全に純粋な恋愛なんて、前世の世界でもあったか怪しい。
「でも、アリアは特別なんですよ。……アリアに、風神の加護が宿ったこと、知ってますよね?」
十六歳になった時、数百人に一人の割合で神の加護を持った人間が現れる。
アリアには剣神の加護には及ばずとも、希少な加護が発現した。
それもかなり強力な部類の。
風神の加護。
数代前の剣聖も風神の加護を持っていたらしい。
加護により元々身軽だった彼女の動きは、今や俺ですら時折見失うほどになった。
「……ね、十六歳になってからアリアちゃんに、何か変わったところはなかった?」
強力な加護であるほど、その加護に蝕まれることがあるという。
ネーレはそのことを心配しているのだと思う。
例えば生来臆病で控え目な性格だった人が、剛神の加護を得た途端人が変ったように苛烈な性格になったという記録が残っている。さらに時折ぶつぶつと知る筈の無い数百年前の出来事について呟いていたらしい。
精神を加護に侵される、とでも言おうか。
剣神の加護についても同様の事象がかつて報告されていたため、更に継承者探しが難航する一因になったのだけれど……。
「アリアに変化はなかったです」
ネーレは俺の目をじっと見ていたが、ほっと息を吐く。
「ずっと一緒に居た君が言うなら、そうなんだろうね。良かった」
「ええ、問題なかったです。……何も」
本当に、彼女は何一つ変わらなかった。
そしてすぐに自分の手足のように、加護を使いこなしていた。
才能。
天才は、天才のまま年を重ねた。
物語の主人公に相応しい、特別な少女。
「あの子は、俺がどうにかするような人間じゃない。恋愛だなんて……ああいや勿論、彼女が自らの意志で恋愛をするのは構わない。彼女が自ら特別であることを止めようとするのなら、それでもいい。ただ、俺が、彼女を汚してしまうことだけは、俺が絶対に許せない」
ネーレは難しい顔をした。
「……じゃあ、どうするの? アリアちゃん、村の誰かに取られちゃってもいいの?」
「あの子、もう暫くしたら町に出るんすよ」
成人したらアリアはすぐにでも村を出て行くかと思っていたが、彼女は未だ村にいる。俺と旅をしている時間が長かったから、未だ村を出る準備が出来ていないのかもしれない。
「じゃあ、町で結婚するの? 君以外の人と?」
「……結婚なんてしなくてもいいすけどね。普通にあの子、めちゃ優秀っすよ、知ってるでしょ? しかるべき場所でしかるべき仕事につければ、一人でも多分余裕で生きていける」
剣のことは言うまでもないが、手先も器用で読み書きも今や完全に習得して、教会の書庫により教養も十分。礼儀作法も本を見て二人で練習したから、振る舞いが町で浮くこともないだろう。
「……あー、そうなっちゃうのかー」
ネーレは腕組みをして唸った。
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ネーレと話をして数日。
朝から村の近くの森で魔物を数匹狩った帰り道、ふと見上げると、視界にはまだ高い位置にある太陽と青空が広がっていたが、やや遠方に大きな雨雲も見えた。
今日は午後から天気が崩れるかもしれない。
村の中に入ると、出歩いている人の少なさが目につく。
無論畑を耕している人はいるがその姿にはどこか力が無く、遊び回る子供たちの声も普段よりも小さい気がする。
「…………」
ドラゴンの影響はすぐに現れた。
元々この村の生活は、収穫した作物を近くの町や行商人と売買することで成り立っていた。
だが現在街道がほとんど封鎖されたため、交易は断絶されたと言って良い。
幸い村長が村人たちに食料などを多く備蓄させていたため、まだ深刻な事態には陥っていないが、時間の問題だ。
村の大人たちは夜な夜な集まって会議をしているようだが、ドラゴンが動かない限り根本の問題は解決しない。
「うっ……そのうちアリアが、ドラゴンを倒すとか言い出すのが目に見える……」
本当に勘弁してくれと願いながら、村長にあれだけ警告されても、アリアは次期に動き出してしまうかもしれないと予想する。
村の危機に、大切な人が危険に晒されている時に、彼女がじっとしているとは思えなかった。
そう、この五年間の多くを占めた旅の日々が囁くのだ。
「くそっ……それどころじゃねぇのに」
がりがりと、十年前から色の戻る気配の無い髪を搔きむしる。
世界中を見て回ってなお、肝心の剣神の加護を受け取ってくれる人も未だ見つかっていない。
正直、滅茶苦茶焦っている。あと一年ほどで、俺は十六歳の誕生日を迎えることになる。
そうしたら、俺は剣聖として連れていかれてしまうだろう。
こういうふとした時にそのことを思い出しては、気が狂いそうなほどのストレスを感じる。
今焦ってもしょうがない、と無理矢理に心を落ち着け、村の通りを歩く。
家に着くと、居間には父親と母親が待っていた。
普段なら二人共まだ外で働いている時間だから、二人の姿があったことに驚く。
「何?」
「……話がある」
何だろう。
最近余り村に戻っていなかったから、久しぶりに顔を見た気がする。
三男とは言えこの世界の人は若くして子供を産むから、二人共未だ老いを感じさせるような年ではない。
気になるのは母親の方はどことなく申し訳なさげに目を伏せている一方、父親はいつも通りに自信に満ちた表情をしていること。
「お前はこれから、家の手伝いをしろ」
「…………え」
父親は、腕を組んで言った。
「兄貴二人には話を通してある。近日、ドラゴンの影響で交易が制限されることは知っているな。昨日の会議で、村長が今後は交易を規制していくと宣言した。各家に割り当てられた分だけ、交易を認めると……従うつもりでいたが、流石に我慢の限界だ。あれっぽっちの取り分で、俺の畑を腐らせろとでも言うのか。あのじいさんも、とうとうボケたって訳だ」
母親はやや咎めるような視線を向けたが、父親は気にした様子を見せなかった。
「村一番の農家である俺達は、独自で交易を行う」
「お前、魔物を追い払う仕事をしてるんだろ? だったら、荷馬車の護衛をしろ。狩人なんて、胡散臭い仕事だと思ってたが、こんな形で家の役に立てるなんてな」
狩人のことは以前に村長から親に伝えて貰っていた。子供の俺が何かを言っても、生んだ時から俺を兄貴たちの下で家の畑を耕させるつもりだったこの男は、納得しないと分かっていたからだ。
父親は、笑う。
「俺もな、若い頃は無茶やったもんだ。だからお前も成人するまでは大目に見てやるつもりだったが、今はこんな状況なんだ。家族を思いやると思って、な?」
俺が狩人となって旅をすることをこの男に咎められなかったのは、男が自分の若い頃に俺を重ね合わせていたからだと知る。怖気がした。
「何だその不服そうなツラは? まさか、断る気じゃないよな? お前を育てるのに、俺達がどれだけ金と手間暇をかけたと思っている?」
俺の言葉を聞かず、全て自分の都合の良いように操るつもりのこの男は、都合の良い時だけ父親ヅラをする。
俺は理解した。理解したくはなかったが、理解せざるを得なかった。
幼少の頃から大人と同じ分の作業を毎日押し付けて、忘れれば飯を抜くと脅して畑作業を強制し、それでいて父親らしいことは何一つせずにいた父親は、それでも俺を息子として見てくれていたと信じていたが、違ったらしい。
俺のことはただ純粋に、自分の奴隷としか思っていない。
「……断る」
「は?」
「俺は村長の決定に従う。父さんも、どうか考え直してくれないか」
「…………そうか」
少しして父親は、分かった、と言った。
もしかして分かってくれたのかと、一縷の望みを懸けて顔を上げた。
その顔から表情を消した父親は告げた。
「もうお前は、俺の息子じゃない。二度とこの家の敷居を跨ぐな」
外に雷が落ちたのだろう。
辺りがピシャリと光ったかと思うと、外でバキバキと木の倒れる音がした。
外で降り始めていた雨の勢いが、次第に激しくなっていた。
昨日は投稿を失念しておりました。




