第十三話 力と代償
教会の裏。空き地となったそこにひゅるりと吹く風に、アリアの後ろで纏められた蒼い髪が揺れる。
それに一瞬目を奪われた刹那、フッと木刀を構えた彼女の姿が突如として視界から消え失せ、目の前に残されたのはひらひらと舞う若葉だけ。
突然のことに俺は動揺を……しない。感覚を研ぎ澄ませ、背後から襲い来る鋭い突きを冷静に捌く。
打ち合わされた木刀がカンと高らかな音を立てる。アリアは猫のようにしなやかに跳躍し距離を取った。
魔物の肉を食べたことによる副作用から回復した俺とアリアは、稽古を再開していた。
狼の魔物との衝突から、彼女は更に腕を上げていた。恐らく大抵の魔物ならもう問題なく倒せるはずだ。
優秀な弟子は油断なく次の攻撃に移るタイミングを見計らっている。
そろそろ次の段階に移ってもいいなと考えながら俺も木刀を握り直して、
「体調。もう大丈夫?」
ぼそりと聞こえてたアリアの呟きに意識を戻す。
「おう。問題ない」
「本当に? 少し、前より反応が遅い気がするけど」
涼しい顔で問いかけてくる彼女。
…………ふむ。
「あーあ、ちょっと前まではあんなにしおらしかったのになぁ?」
「!?」
その言葉に、アリアの顔色がサッと変わる。俺はニヤリと笑った。
「『ねぇ、いつも迷惑かけてごめん。今だけ、お願い聞いてよ。……私が良いって言うまで絶対、手握ってて』なんて言って」
「はーい、死にまーす。貴方を殺して私も死にまーす」
「早まるなッ」
寝込んでいるアリア、素直で可愛かったなぁ……。
比較的早く回復した俺が彼女のお見舞いに言った時の感想を述べると、目から光が消えた彼女は、にっこり笑顔で木剣を掲げ無理心中を強行する。
アリアと取っ組み合いその木刀を取り上げようとしていると、教会の裏口の扉がぎぃと音を立てて開き、修道服に身を包んだ少女が姿を現す。
「おはよーう、二人とも」
ネーレは、少し痩せた気がする。
いつものように、その辺に転がっていた木箱を拾い、パッパッと埃を払って、そこに腰を下ろした彼女は、疲れた吐息を漏らした。
「ふぅ……それにしても、君達が良くなってよかったよ。ご家族にも心配かけちゃったし」
ネーレは自分も体調を崩していたが、俺達の家に変なものを食べさせたことを謝りに行っていた。看病にも来てくれたし、俺達も今はこうして快調しているのだから、それほど気にすることじゃないと思うが。
「お酒入ってたとは言え、魔物の肉を食べるなんて我ながらどうかしてた……ああ、もしかして、それも罠だったのかな? 一口食べた時、あるいは、匂いを嗅いだ時? どうしてあれが美味しそうだなんて思ったんだろう」
彼女は、ぼやきながら、人差し指を空に向かって突き出す。
その先の空中に現れる無数の光の環。
物理法則を無視し、ふわふわと漂うのは、理の外の力……魔法の証だ。
ネーレははぁ、とため息を吐くと指を下ろした。
浮遊していた魔法はすっと薄まり、消えた。
「今まで杖無しでこんな魔法、成功した試しなかったのに……魔物の肉って、怖いねぇ」
あれから書庫の文献を調べたネーレによると、魔物の肉には魔物の体内に蓄積された魔力が含まれているらしい。
そのためその肉を口にした人間は、身体能力が上昇したり、あるいは魔法が強化されたりするとのこと。
それだけ聞けば良いことばかりのような気もするが。
ネーレは物憂げな表情を崩さなかった。
「――――人の身が取り込める力は決まっている、ってコトらしいんだよ」
まず、初めて口にした日は必ず拒絶反応が出る。腹を下し、熱を出す。その後は、個人差はあるが多くの場合はもう食べることが出来ないらしい。限界を超えて食べてしまうと、逆に体を蝕む呪いとなるんだとか。
「人外の力を使おうとする訳だから、無理もないけど。南方の一部の民族は、かつて食べた魔物の肉の量で村の英雄を決めていたらしいよ。もっとも、無理に食べて身体を壊す人が多かったらしく、今はもう行われていないそうだけど」
君たちは大丈夫? と尋ねられ俺とアリアは乱闘を止めて顔を見合わせる。
「身体の調子はいいよ、良すぎるくらい」
アリア自身も言う通り、今日の彼女の剣のキレは異常だった。
勿論彼女が成長していることは疑いようがないが、そこには魔物の肉を食べた効果も含まれているのかもしれない。
「ヴァンの方はよく分からない」
アリアは首を傾げているが、俺自身は効果を感じていた。普段から加護の出力を絞る目的で意識して力を調整している関係上、彼女が気づかないのも無理のない話だ。
「身体が悪くないんだったら、良かった。体調が回復したってことは、限界までは食べてなかったってことだろうから。……とはいえ、限界に至っていなくても、身体を壊しやすくなるっていう事例はあったらしいから、異常を感じたらすぐに私に言って」
取り敢えずこれからは絶対に食べないようにね、とネーレが締めくくり、そこでこの話は終わりになった。
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深夜。
村の夜は早い。皆日が暮れると家に帰り、翌朝の日の出の頃には活動を始める。
だから、前世でも深夜と呼ばれた時間帯に起きている人はほとんどいない。
隣で寝ている兄貴たちを起こさないようそっと家を抜けだした俺は、こそこそ壁を超えて村の外に出た。
街道を外れ、森へと足を踏み入れる。
夜の森は別世界のようだ。
視界は闇に覆われ見通しは悪く、通い慣れた道さえ得体の知れない地面へと変わる。
その森を奥へ奥へと進むと、小さく水の流れの音が聞こえてくる。
俺は音のする方へ向かって歩き、やがて川辺に出た。
「……あった」
川辺に生えた木々の一つ、その裏側に、今日アリアと狩りをした魔物の死骸を隠しておいた。
魔物の死骸は、魔物の心臓部とも呼ばれる魔石を取り出すと、幾らか時間を掛けてゆっくりと消滅する。ただし、魔石を取り出さずにおくと、その死体は通常の動物と同じように残り続ける。
俺はアリアには無断で、狩った魔物の魔石を抜かずに置いた。
何故か。
道中で拾った幾つかの乾燥した木の枝を使い、河原で火を熾す。煙が村から見えないように気をつけながらどうにか火を安定させて、解体処理を終えた魔物の肉を火にくべる。
全てを飲み込むような静けさに包まれた川辺に、パチパチと火の粉の爆ぜる音が落ちていく。
炎をぼんやりと見つめた。
五年前、魔物に受けた痛みと恐怖。
あの体験は、強くならなければならないという強迫観念を俺に植え付けた。
教会の書庫にあった魔物関連の書物にはすべて目を通したが、その中に五年前のあの魔物に関する記述は存在しなかった。
言語を解し、人間によく似ているが翼の生えた、悪魔のような魔物。
あれは、一体何だったのか。
未だ答えは見つかっていなかった。
最初は過剰なほどに怯えながら、徐々に感覚を麻痺させながら森に通ううち、あの遭遇が恐らくイレギュラーなものだったということは分かっていた。
普段の森に、あの魔物のような脅威は存在しない。
ただ、そのことに俺は安堵することは出来なかった。
魔物が出現した原因も正体も何もかもが不明なのだ。
分かったことは唯一つ。
たとえ勇者の旅に出なくとも、この世界では強くなければ、死ぬだけだということ。
やがてじゅうじゅうと、油が火に落ちる音がしてきて、考えるのを中断した俺は火から外し、焼き上がった肉を頬張る。
「……まぁまぁだな」
限界まで魔物の肉を食べた人間は、それ以上食べようとすると、この世のものとは思えないほど不味く感じるらしい。
だから、まだ大丈夫だ。




