第十二話 美味しい美味しい魔物飯
教会の炊事場に漂う肉の焼ける香り、じゅうじゅうと焼ける音。久々の豪勢な食事の予感に俺の腹の虫が興奮して泣き叫んでいる。
「……うん! こんなもんじゃないかな!」
肉を焼いていたネーレの声が、炊事場に隣接する居間にいる俺とアリアの耳に届く。
その声を聞いて俺達は少し年季の入った、でも暖かみを感じる木製の食卓にいそいそと食器を並べ、また厨房から料理を運ぶのを手伝った。
「アリア、そういえば食べてくることについて、おじさんとかおばさんは何て言ってた?」
「楽しんでおいでって。妹は不満がってたけど」
相変わらず、妹とは仲がいいようだ。
「ヴァンの方は?」
「教会の飯とかマジ? って感じだった。タカろうとしてくるよりずっといいけど」
教会の食事と言えば、普段は質素なものを想像するだろう。家族もそうだったのか、変わったものを見る目で見られた。けれど実際には特にそんな教義はないらしい。
「まぁ、美味しい物食べてます! って顔しても良いことないからあんまり言わないけどね。今夜のことはお姉さんとの秘密だぞ?」
修道女というのも中々大変そうだ。
そんなこんなで料理を運び終える。四人掛けの食卓にはパン、スープ、サラダ、そして厚切りの魔物のステーキが並んでいた。
「うんまそぉー!」
待ち切れず素早く席に着いた俺は思わず声を上げた。
家で出て来る食事は、本当に生きるのに最低限のものしか出て来ない。
兄弟もいるし、しょうがないのかもしれないが……親や兄たちの食事や、他の村人の様子を見る限り、この村がそれほど貧困と言う訳ではないようだから、三男という立場を恨むしかない。
「魔物の肉以外にも、ちゃんとさっきついでに狩った普通の動物の肉もありますので、ご安心くださーい」
ネーレの言葉に、席に着いたアリアは明らかにほっとしたような顔をした。やはり魔物を食べることに抵抗があるらしい。まぁ、俺ら一回殺されかけてるしな。
「よーし、じゃあ、食べようか」
そして食事が始まる。早速俺はフォークで魔物の肉の塊を突き刺し、かぶりついた。
「…………こ、これはッ!!??」
一口齧るごとに出てくる肉汁。赤味の部分は弾力があり、霜降りの部分は柔らかくとろけるようだ。家で猪の肉を食ったこともあるが、その時よりも旨味が深い気がする。
端的に言って、美味い。
「ん~~、おいひ~~」
切ったステーキをフォークで口に運び、頬を抑えて感嘆の言葉を零すネーレ。
「このサラダも、とっても美味しいです」
しゃくしゃく、と一人だけサラダを頬張ったアリアだったが、ネーレは特に気にした様子はなかった。
「でしょー!? これは私が長年の月日を経てたどり着いた秘蔵のドレッシングでねぇ……」
ネーレはワインを空けていた。普段は飲まないそうだが、今日は特別だそうだ。彼女にとって、今日がどう特別な日になったのかは分からないが、グラスを傾けて少しだけ顔を赤らめたネーレの機嫌はそれほど悪くなさそうに見えた。
「いやー、久しぶりのお客さんだなー! たーんとお食べ!」
にこにこと笑うネーレ。
年若くして、神官として一人で村の教会を維持している少女を見て、思う。
この人は俺達に、どうしてここまでしてくれるのだろう。
「まだ小さくて何にも分からないはずの年のうちに、既に皆の輪から外れた子供がいたら。その子たちが心配になるのはそれほどおかしな気持ちじゃないと思うけど?」
ネーレの答えに、アリアはしかめっ面をしていた。多分俺も、似たような表情をしている。
そんな俺達を見てネーレはくすくすと笑った。
「まぁ、今は心配してないけどさ。二人共、しっかりしてるし。変わってるから、見てて面白いし」
なんでかなぁ、とワインの入った容器をくゆらせながら呟く。
「昔、王都に住んでた頃、私にも妹が居てねぇ。生まれたばっかりだったんだけど、行方不明になっちゃって。生きてたら、君達と同じくらいの歳なんだよね。だから君達のことが気になるのかも」
「……え」
「あ、気にしなくていいよ。もう私の中では整理のついた話だから」
……時折この世界は、信じられないくらい残酷な一面を見せる。
優しさの塊のようなこの少女でさえ、過酷な過去を背負っていたことを知り、思わずナイフを握る手に力が籠る。
「……それにしても、魔物の肉って美味しいね」
しかし、ネーレはこれ以上その話題に触れることを拒否するように話を変えた。
こういう時、どう対応するのが正解なのか分からない。
「あ、ああ、そうですね。美味いっす」
結局、俺はまた彼女の優しさに甘えてしまう。
俺は目の前の皿を見下ろした。
魔物の肉が普通の動物の肉と違うのは、ピリリとした辛味だ。
それは決して不快なものでなく、むしろアクセントとなってもう一段階上の食体験へと俺達を導いてくれていて……。
「これは、病みつきになる奴っすね」
「ね、病みつきなる奴だよね。くぅ、独特の舌の痺れが堪らないねぇ」
「…………」
俺達が二人で盛り上がっていると、頑なに魔物の肉を食べようとしなかったアリアも、興味を示すように、魔物の肉をじっと見つめた。その後、恐る恐るきゅっと固く目を瞑って、ぱくりと魔物の肉を口にした。
俺達が反応を見守る中、一口味わった彼女は驚きに目を開けた。
「……おいしい」
そうして、三人で魔物の肉を食べながら、夜は更けていった。
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「……おやすみなさい。ごちそうさま、でした」
「ありがとねー、また食べに来てねー! おやすみー!」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げたアリアに、ネーレはブンブンと手を振って見送った。
夜の村は、静かだ。住居の並ぶ区画の外れにある教会の入り口では、虫の声だけがあたりに響ていた。
「じゃあ、俺もここで」
「……ねぇ、ちょっとお話してこうよ」
教会の入り口へ続く階段に腰掛けたネーレは、ぽんぽんと隣を叩いた。
「君は、全然誇らないよね。さっきの魔物、村を襲ってたら大騒ぎになってたよ。誰かが死んでたかもしれない。……それに、この前の襲撃から村を護ったのも、君なんでしょ」
俺は、彼女の隣に座った。
「……誇ったって、別に意味ないでしょ。それに今回のもこの前のも、アリアが言い出したことです。俺一人だったら逃げ出してましたよ」
言葉にして、改めて自分の矮小さが嫌になる。
同時に、アリアの眩しさに目が潰れそうになる。
賞賛は全て、アリアに送られるべきだ。
「でも、君は逃げなかったよね」
静かな星空の下。
呟いたネーレは、
「ちょ」
隣にいた俺の頭を抱き込み、膝に乗せた。
「君は、自分を否定する。それで、苦しんでいる。だから私が褒めてあげる。よーし、偉かったねぇ。君は、とっても凄くて、偉い」
「………」
「……今なら、誰も見てないよ」
この世界の夜は真っ暗だ。人も出歩かない。誰にも、見えない。
涙さえ。
「…………っ…………こわかった」
決壊するのは、一瞬だった。
「うん」
「死ぬ、かと思った……俺だって、頑張ってんのに……」
ぼろぼろと、心に秘めて誰にも言うまいとした決意が剥がれて、弱い弱い己が顔を出す。
「……うん」
「アリアは、凄い奴だ。剣の才能があって、頭も回って、判断力もある。何より、勇気がある」
「うん」
「そんなあいつは、俺に自分と同じものを期待する。絶対に俺を見限らない。彼女が俺に感謝しているのは知ってる。でも、それが重たいんだ。俺は大した人間じゃないのに」
ああもう、クソ。
褒められなくて良いと思っていた。むしろ、褒められることを望むことは悪だと思った。
幾ら加護を持っていたようと、俺は勇気ある少女に引っ付いたおまけでしかないのだから、一度逃げようとさえした俺に、賞賛される資格はないのだと。
それでも命懸けの恐怖は全くぬぐえないし、戦えば身体は痛むし精神は磨り減るのだ。
「君は、大した人だよ。私が保証する」
シスターの身体は柔らかく、暖かった。
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ところで、この時の俺達の頭の中からは、一つの事実がすっぽりと抜け落ちていた。
魔物という存在はいついかなる時も人類の敵であり……その血肉でさえ、害を及ぼし得るということだ。
人体への害――――病みつき。
翌日、三人とも猛烈な腹痛と熱を出した。




