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第十一話 シスターの名前はネーレと言うらしい


 ネーレ=アニュテーゼは、困惑していた。


 王都の喧騒からは程遠い、周りには険しい山しかない辺境の村でシスターをしている彼女は、最近自分が二人の子供に肩入れし過ぎていることを自覚していた。


 畑を耕す親が構ってあげられない分、村の子供たちの面倒を見るのもシスターの務めだと思っていたし、生意気盛りであったとしても子供の相手をするのは腹の内の読めない大人を相手にするよりも幾分心安らぐものだったから、教会での仕事の隙間を縫っては時間を割いていたのだが。気づけば、当たり前のように二人の子供と一日の時間の多くを過ごすようになっていた。


 二人の子供は、自分によく似ていると思っていた。早熟で、幼い頃から大人びた口調で話し、けれど時折年相応の無邪気さを見せる彼らを、もしかして弟や妹が傍に居たらこんな感じなのだろうか、と思いながら可愛がっていた。


 そんな彼らはある時から稽古だと言って、どこからか持って来た木刀を使ってチャンバラごっこを始めた。教会の裏を貸して欲しいと頼まれ、了承した。万が一怪我でもした時に、すぐに治療できる自分が傍にいるのがいいと思った。


 先日、魔物の襲撃があった。途中行方の分からなくなった彼らを探していると、集会所の前で二人座り込んでいるのを見つけて、思わず泣いてしまった。


 そして今日。

 村の外に連れていってくれないかと真面目な顔でお願いされ、断れず来てしまったが。


 今、目の前には巨大な魔物がいた。


 こんな魔物が、どうしてまだ森に入ってすぐのところに現れるのか。

 喉から出かかった悲鳴を、口元に手を当てて必死に堪えた。


 ――まだ注意を引かなければ、助かるかもしれない。

 だがそんな祈りもむなしく魔物は口元に生えた凶悪な牙をこちらに向けた。

 逃げられない。恐怖に崩れ落ちそうになる膝を必死に堪える。

 

「ヤバい、マジでヤバい。どうせこいつも、ただの猪に見えて人の肉大好きなんだろ」


「魔物はそういう存在でしょ。いい加減慣れたら」


「慣れる訳ねぇだろ!」

 

 すぐ隣で、呑気に何かを喋っている子供たち。

 そうだ、この二人がいる。

 自分が逃げる訳にはいかないのだ。

 神に仕える身でありながら本当は神など大して信じていなかったが、今この時だけは二人を逃がすことが、自分に与えられた使命なのだと思った。

 覚悟を決めた。

 命を捨てる覚悟を。


「二人に防御の魔法だけ掛けるから、合図したら走って」


 唐突で早口でも、聡い彼らなら恐らく分かってくれるだろう。


 そして自分のこれまでの人生で最速で魔法を編み、子供たちに掛けた時。

 ずん、と大地を揺らすような音を立てて魔物がこちらに向けて一歩を踏み出し、二人のうちの一人、ヴァンが何かをした。

 見えなかった。

 ただ、彼がいつの間にか抜いていた腰の木刀を再びしまうのと、魔物の首が落ちるのはほとんど同時だった。


 ゆらり、とその頭を失った巨体が揺れ、足を挫いたかのように斃れる。

 何をした? いや、想像はつく。状況から、目の前の結果から推測すれば。

 ただ、信じられないだけだった。

 この少年がただの一太刀で魔物を斬ったなど。


「あー、怖かった。……こうして見ると、ただの猪と殆ど変わんないな」


「額の角位でしょうね。まぁ、かなりの巨体ではあるけれど」


「……なぁ、一つ思いついたんだが、いいか?」


「何」


「魔物の肉って、食えないのかな?」


「…………え。食べるの? 魔物を?」


「やっぱおかしい?」


「おかしいわよ。魔物って、邪悪な存在だし」


「うーん。でも、最近腹減って仕方ないんだよ……。家で出て来る俺の飯少なすぎ問題……。なんか、いけそうな気がするんだよな。持って帰って食べてみね?」


「絶対やだ」


「……じゃ、一人で食べるかぁ」


 二人で何かを話終えると、ヴァンが魔物の方へと歩いて行く。

 ごめんなさい、ともう一人の子供、アリアは呆然としている私を振り返った。


「先に言わなくて、すみません。でも、実際に見て貰わないと、信じてくれないかと思って」



---

 


「これ、ベテラン冒険者がパーティ組んで倒す魔物なんだけど」


 森からの帰路、俺は解体した猪の魔物を担いで歩いていた。

 道を先導しているアリアに索敵を任せ、隣で未だ信じらんない、と口を抑えているネーレの反応を伺う。


「冒険者、詳しいんですか?」


「ううん、そんなに。でも、前に聞いたことがあったから。……冒険者で言うなら、私、君たちに何か報酬をあげた方が良いのかな? 命の恩人のような気もするけど」


「いや、いいっすよ。俺達が連れて来たんですから」


 今日は、彼女に俺達のことを理解してもらおうと思って、壁の外について来てもらっていたのだ。


「……この前の時も、君たちが魔物を倒したってことだよね?」


「まぁ、はい」


「そっか。私、一応保護者のつもりだったんだけどな」


 身の丈ほどの杖を両手で抱えた彼女は、やや俯くようにして、呟いていた。


「や、その認識は間違ってないっすけどね。いつも世話になってるのは本当だし」


 稽古の場所を貸してくれる以外にも、彼女は何かと、俺達の面倒を見てくれていた。


「……君は、ヴァン君、なんだよね?」


「え、そうすけど」


「そうだよね。……ごめんね、ちょっと、情報の整理が追いつかないって言うか」


「……まぁ、おかしいっすよね。俺達。自覚はありますよ」


「っ! あぁもう! そんなことないよ! だからそんな寂しそうな顔しないで!」


 俺がネーレに頭を撫でられていると、


「少し急いだ方がいいかもしれない。暗くなるわ」


 前を歩いていたアリアが振り返る。確かに、日が沈みかけていた。今のペースであれば村に戻るまでに日が暮れてしまうかもしれない。 

 俺が応、と返事を返す前に、傍らの修道女が小声で何かを呟き、杖の先に光を灯した。

 それほど強い光ではなかったが、歩く時の光源としては十分だ。


「一応、まだ暗くなってはないけど」


「ありがとうございます。……凄いっすね」


「いや、まぁ、君たちに比べたら全然大したことないけどね」


 俺が杖の先にふわふわと漂う、幻想的に輝く光球を見ながら言うと、ネーレは苦笑しながら答えた。

 俺としては、素直な賞賛のつもりだったが。

 三人でこの森に来る時。

 正面から門を通って出て来たのに、門番のおっちゃんに止められなかった。おっちゃんは俺達のことを知らないのだから、それはつまり彼女は子供を連れていても、外の森から帰ってこれると判断されているということだ。


 魔法使いは希少な存在だ。

 村で使えるのは多分ネーレだけだし、本で読む限り国全体で見ても魔法を扱える人間は恐らくごく少数に限られる。

 理を無視した力を扱える彼らは、常に国の歴史に名を残してきた。勇者の旅にも、賢者として魔法使いが同行することが多い。

 

「私は、君たちが外に出るのを止めたりはしない。でも、危ないと思ったら逃げるんだよ。何かあってからじゃ遅いんだから。それだけは、お姉ちゃんとの約束!」


 そんな才能を持った少女は、ただ今は、純粋な心配の感情の籠もった声で、そう言った。




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