第4話
あの日の出来事が、バンビちゃんの中で大きく響いてくれたのだろう。それから少しずつバンビちゃんの殻が剥がされていくのが目に見えて解った。
「そうですか。それは良い変化ですね」
朝目覚めて未だはっきりとしない私と引き換え、リュリュは朝から元気いっぱいだ。それもこれも年齢のせいだろうか。リュリュとバンビちゃんは恐らく同じくらいの年代だろうと思われる。
5歳の差って結構大きいわよね。
特に10代と20代じゃ、年齢以上の差を感じられる。二人から見て、私も二人も大した差は感じられないのかもしれないが、私から見たら二人などまだまだお子ちゃまに見えてしまう。体だけ大人と一緒だけれどね。
バンビちゃんもあと数年すれば、立派な青年になっているのだろう。その姿を妄想するのは楽しいことだったが、それはもはやバンビとは言い難いものであった。
バンビちゃんには一生バンビちゃんでいてほしいのになぁ。
「どうしてバンビちゃんはあんなに可愛いのかなぁ」
「可愛い……ですか。私には可愛いと言うよりも頼りなく写りますが……」
「リュリュはさ、私の予想が確かなら、ハウエルみたいなのが好きなんでしょう?」
鏡の前で髪を梳いてもらっている最中、リュリュは図星だったのか櫛が私の頭に刺さった。短く悲鳴を上げればあたふたとする。
「申し訳ありません。私としたことがっ。どうしようっ」
「イヤイヤ、そんな大したことないから。少し落ち着いてごらんなさいよ。私が少しのミスでリュリュにお仕置きしたことがあった? 私はこんなことでは怒らないから大丈夫よ」
リュリュは失敗に対して過敏な反応を示す。それこそ、ほんの少しのミスで主に殺されるんじゃないかという勢いだ。前の主がもしかしたらそういう兆候の人物だったのかもしれない。それについては、彼女の傷を抉ることになるかもしれないので追及するつもりはない。少しずつ私流を学んでもらえればいいことだ。
鏡越しにリュリュを見つめ、にっこりと微笑めば彼女は漸く肩の力をフッと抜いた。
「ありがとうございます、結月様」
「様はいらないの。で、その動揺ぶりで逃げ切ろうとしても無駄なのよ。私を誤魔化そうったってそうはいくもんですか。ね、ハウエルのことが好きなのね?」
ハウエルというのは、宰相のことで、私をこの王城に招き入れ指導係になることを打診した張本人である。そして、私がバンビちゃんと共にないときには必ずハウエルが彼の傍らに行く。バンビちゃんには思いっきり恐れられてる。
あいつ、顔怖いからなぁ。
ハウエルが笑ったところはあまり見たことがない。けれど、たまに微笑んだそれは猛獣や魔獣さえも一撃で倒してしまえるほどに不気味なものなのだ。
私に怯えるバンビちゃんは生唾ものだけど、他の奴に怯えてる姿を見るのは何だか気に食わないのよね。あら、これってもしかしてジャラシィってやつかしら?
なんとなく解るのだ。あいつには私と同じ匂いがする。あいつもきっと私と同じ性癖を持っているに違いない。あんな変態に私の可愛いバンビちゃんを渡してたまるものですか。
「実はそうなんです」
まあ、なんて可愛らしい生き物がこんな近くにいた。
頬染めて手をもじもじしているリュリュは、バンビちゃんの次に愛らしい。思わず呼吸が荒くなってしまうほどに……。
「あの、結月様?」
「大丈夫、問題ないわ。あまりの愛らしさに発作が起きそうになっただけ。私の心配はいいのよ。リュリュ、あなた早くハウエルのハートをゲットしてしまいなさい」
そうすればバンビちゃんの危険はひとまず回避できるのだから。ハウエルの魔の手がバンビちゃんを汚す前に、片づけてしまうに限るってもんよ。
「頑張ります」
蚊の鳴くような声で頼りなくはあったが、私のようなあんまりガツガツしたタイプはハウエルは好みじゃないだろうから大丈夫であろう。
「ねぇ、ハウエル。ちょっとお話しない?」
「ただ今、仕事中につき後にしていただければ嬉しいのですが」
「あんたの場合、仕事中でも仕事外でも対して変わんないでしょう? どんな仕事してるときだってちゃんと人の話聞ける人だって知ってるんだから」
「お褒めに預かり光栄にございます」
褒めてねぇよ。
「ハウエルって婚約者いる?」
「残念ながらそのような存在はおりません。ん? まさか私に好意を持ったとは言いますまいな」
嫌そうに顔を歪めて私を見据えるハウエルに、私は殴りかかりそうになる腕を必死で止めた。イヤ、もう別に止めなくてもいいと思うんだけどね。
「喜ばしいことに、あんたに好意の欠片も感じないよ。寧ろ敵とみなしている」
「奇遇ですね。私もあなたを敵と断定しております」
「バンビちゃんを苛めていいのは私だけなんだからね」
「そのような取り決めはなされておりませんが? あなただけが陛下を独り占めするのは不公平とは思いませんか?」
「このむっつりめっ。あんたがバンビちゃんをイヤらしい眼で見ているのは解ってるんだ。そのイヤらしい眼を潰してやろうかっ」
私が怒鳴りつけたところで、ハウエルはせせら笑うだけで動じる気配もない。
「潰せるなら潰して御覧なさい。私もあなたの目を潰して差し上げましょう」
「えぇ、それはイヤだな。目が潰れたらバンビちゃんの怯えた姿は見えなくなるわけでしょう? あのうるうると潤んだ目で見上げられたらそれだけで感じちゃう私がだよ、それを一生見られないってなったら不感症になっちゃうじゃないかよ」
「そうですね。私も陛下の怯えた瞳を見るとついうずうずしてしまって、冷たい言葉を掛けたくなってしまう。あれが見られないと思うと死活問題です」
「だよねぇ、ってなんであんたと話し合っちゃってんじゃい」
不本意ながら同じ性癖であるがために、話があってしまうこのにっくきハウエルを実は私は嫌いではないのだ。変態仲間、みたいな。イヤイヤ、私は決して変態じゃありませんから。私のはれっきとした愛ですから。
「私のも愛ですが、何か」
「あんたはただの変態ですぅ」
不毛な言い争いはしばらく続き、宰相ハウエルが声を荒げる姿を一目見ようと場内から見物人が現れたというのはまた別の話。




