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第21話

最終話です。

 薄い靄が立ち込める人影のない場所で、私はハウエルを待った。

 まだ、日ものぞかない早い時間。人の気配はない。衛兵の気配もここまではとどかないのだから。

 私の手には何もない。

 何かを持っていこうとは思わなかった。

 何もいらない。バンビちゃんを思い出すものなど何もいらない。

 私の持ち物には必ずバンビちゃんとの思い出が刻み込まれていた。衣服もアクセサリーも小物も全部、それを手にすればバンビちゃんとの日々が思い出せてしまう。

 だから、おろし立ての衣服を身に纏い何も持たずにここへきた。


「ハウエル、お願い。私をここから連れ去って」


 宰相であるハウエルには、決して容易いことではなかったはずだ。ハウエルにはその責任がある。けれど、ハウエルの答えはあまりに早かった。

 全てを捨てて私を連れ出す、と迷いも見せずに応えてくれた。

 私の気持ちの全てを理解していてなお、私を愛してくれるハウエルの手に甘えたのだ。

「私はあなたさえ傍にいてくれればいいのです。たとえあなたの心が私になくても」

 そう言うハウエルの笑顔はあまりに切なげで、そうさせているのが自分なのだと思うと苦しくて仕方なかった。

 私の全てをあげることはきっと出来ない。傍にいることも、言葉をあげることも出来る。けれど、心の一角、バンビちゃんの場所だけはあげることは出来ないのだ。

 私の唇に短く触れた後、ハウエルは部屋を出て行った。

「明日の準備がありますので、今日はこれで失礼します。本当は今夜はあなたを抱いて眠りたかったのですが、明日からはいつでも抱けると思えば今日は我慢することにします」

 にやりと笑んで。久しぶりに見る悪い笑みに、私の心は締め付けられる思いだった。


 私はハウエルと共に生きる。

 捨てさせてしまった身分や大切な仲間たちの分も、私が補って行こうと思っている。そこまで私の存在が大きいとは思えないが、そうすることしか出来ないのだから仕方ない。

 私に出来る精一杯でハウエルを愛し、子供を宿し、家族三人――かそれ以上になるかもしれないが――でゆったりとまったりと穏やかな人生を歩んでいけたらいい。誰も知らないところで。

 ガサッという草が揺れる音に振り向いた。

「どうして?」

 そこにいたのは待ち人ではなかった。

 もう二度と顔を合わすことはないと思っていたバンビちゃんがそこにいた。

 バンビちゃんってあんな顔で笑ったりするんだ。

 ぼんやりとバンビちゃんがこちらに寄ってくるのを見ていた。バンビちゃんの笑顔は、幸福そうで、けれどどこか寂しげだった。バンビちゃんはまだまだ幼いと思っていただけに、その笑顔は酷く大人に見えた。

「僕が行きます」

「バンビちゃん、どこかに行くの?」

「結月さんと一緒に行くんですよ」

「どうして?」

「ハウエルは来ません。僕が結月さんをこの王城から連れ去ります」

 何故、ハウエルが来ないのだろう。何故、バンビちゃんがここにいるんだろう。何故、バンビちゃんが私を連れ去るなどと言っているのだろう。

 いまいち状況のよめない私は、首を傾げた。

「昨夜、恐らくハウエルが結月さんの部屋を辞した後、僕のところに顔を出しました。そして、これを結月さんへ」

 この世界に来て、手紙など貰ったことはない。そもそもあまり手紙という風習がないようだ。


 結月様へ

 あなたが私に昨夜お願いしたこと、とても嬉しく思いました。嬉しく思えば思うほどに、あなたを想えば想うほどに、あなたの本当の願いを聞き届けなければと思えてきてしまったのです。

 私たちはとても似ているから、解ってしまう。それを嬉しいと思う反面、悲しくもあります。あなたが私を幸せにしてくれようと思ってくれたことは身に余る光栄でした。けれど、私もあなたが幸せであることを願ってしまう。あなたの幸せは、私と共にあることではない。それはもうあなたも解っていることでしょう。

 私のことを思うなら、私の為にどうか幸せになってください。

 魔王が不在になることに関して、心配されることはありません。実はもう一人、陛下と同じだけの力を持つ者がこの城にはおりますから。



「もう一人?」

 便箋から顔を上げて首を傾げた。そんな人物が王城にはいたのか。

「解りませんか? 僕なんかよりもっと魔王らしい人がいるじゃないですか」

「あっ」



 驚いていますか? 本当は解っていたのではありませんか? そう、私です。前魔王様が王の座を退かれた時、初めに矢面に立たされたのは私でした。けれど、魔王なんてそんな面白くもない位につくのは遠慮したく、死に物狂いで探したのですよ。こんな言い方は失礼かもしれませんが、陛下は私の身代わりでした。私が連れてきた陛下を見て、家臣たちは大いに反対しましたが、そこはそれ押し切ってしまいました。

 陛下に無理を強いた償いと言ってはなんですが、これからは私がその位を引き継ぎます。それから、エロイーズ様は私が娶りますので、ご心配は無用です。エロイーズ様も快く私の想いを受け取ってくださいました。

 結月様、あなたはあなたの幸せだけの為に生きていいのです。私のことなど忘れてくれていいのです。だからどうか、その命が尽きる時まで笑顔を絶やさずに。


 ぽつんと落ちた涙が、便箋をぬらした。

「バカだ、あいつ。バカなんだからっ。格好つけやがって。ハウエルっ。あんたは一つ勘違いしてるよっ。私は、あんたのこともちゃんと好きだったよ。きっと私はあんたとだって幸せになれた。笑顔でいられたよ。……あんたが背中押したんだからね。あとで後悔しても知らないんだからねっ。……ハウエルっ、ありがとう」

 便箋をくしゃりと潰しながら、がなり立てた。私には解る。

 ハウエルがどこかで聞いていること。どこかで私を想ってくれていること。どこかで泣きながら笑っていること。

「バンビちゃん。私はね、狂うくらいにあなたが好き。私を連れ去ってくれる?」

 こぼれ出た涙を乱暴に手の甲で拭うと、バンビちゃんを見つめて私の素直な想いを伝えた。

「僕もあなたに狂ってる。愛してます。……さあ、行きましょう」

 差し出された手を迷いなく取った。

 全く後ろ髪惹かれないと言ったら嘘になる。だが、私は今バンビちゃんを選んだのだ。

 ありがとう、ハウエル。

 声を出さずに口だけを動かした。きっとハウエルには、これで通じる。

 バンビちゃんの背中を見た。あんなに頼りなさそうだった背中が、頼もしく写った。こんな時なのに抱き付きたくて仕方ない。

「バンビちゃん。キスしたい」

「えっ」

 驚き振り返ったバンビちゃんに、すかさず唇を押し当てた。頼もしかったバンビちゃんが途端に動揺し、真っ赤になっていくさまを見てやっぱり思うのだ。

 バンビちゃんは世界で一番かわいい、と。








~~~終わり~~~

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

もっともっと長く続けることも出来ましたが、突然、「あっもう終わろう」と思ってしまったので、終わらせてしまいました。

番外編を書くかどうかは思案中でございます。結月とバンビちゃんのラブラブ私生活を載せたい気もしますが、それってR18なんじゃ……。その後のハウエルもちょっと書いてみたい。

どうするかは未定ですが、そのうちひょっこりと番外編を載せているかもしれません。

今後の予定は全くたっていません。

暫らくは短編くらいでしょうか。

ありがとうございました。また、お会いしましょう。

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