第19話
バンビちゃんの話し方矯正の実験台になったのは、幸か不幸かキディちゃんだった。
勿論、私とハウエルとで決めたことなんだけどね。バンビちゃんの頼りない姿を見てしまったキディちゃんに今更取り繕っても仕方ないし、キディちゃんもあんまりに頼りのないバンビちゃんに落胆している姿が見受けられるので、頑張っている姿を見せて好感度を上げて、二人の距離が縮められればいいのではと考えたからなのだ。
「おはようございます、陛下。ハウエル様も結月様もおはようございます」
教育の行き届いているキディちゃんは、朝から優雅に微笑んで見せた。私がキディちゃんくらいの歳の頃には、まだまだ開ききってない目を薄らと開けただらしない表情で先生や友人に挨拶していたものだ。それを考えると、キディちゃんは素晴らしいと感心せざるを得ない。
昨日は、バンビちゃんの話しを聞いた後そのまま眠りについてしまったのは覚えているのだが、その後の記憶はない。今朝目覚めた時には、バンビちゃんのベッドで二人で横になっていた。
ハウエルが私たちを運んでくれたのだろうか。朝、顔を合わせた時は何も言っていなかった。聞いてみようかとも考えたが、今日のハウエルは何故か聞きづらい雰囲気を醸し出していた。
一通りの挨拶が済んだあと、バンビちゃんとキディちゃんには自由に会話して貰うことにした。私とハウエルがじっとりとその様子を眺めているのはあまりに話しづらいだろうことを配慮して、少し離れたところで気付かないように観察する。
「ねぇ、ハウエル。怒ってるの?」
「いいえ」
「私が昨日、バンビちゃんを独り占めしてしまったから?」
「いいえ」
「じゃあ、私がいなくて寂しかったから?」
「……」
「そっかぁ。ハウエルも夜一人は寂しいタイプなんだね。気付かなくってごめんね。今日は一緒に寝よう」
寂しそうな表情を一瞬だけ浮かべた後、にっこりと微笑んだ。
ハウエルに寂しそうな表情をさせているのは私だ。それを知っていてもなお、私はバンビちゃんを放ってはおけないのだ。
「結月様。無理はしていませんか?」
「どうしたのぉ? 無理なんかしてないよ。弱気になったハウエルなんて珍しいね。ちょっと可愛いぞ」
そんなに昨日は寂しかったのか。気を抜けばすぐに寂しそうな表情が出てきてしまうハウエルを見ていると、何だか可愛らしく見えてきてしまった。
私がハウエルに幸せにしてもらうのは勿論だけど、付き合っているのなら私もハウエルを幸せにしてあげなければ。
ハウエルの頭を撫でると、ほんのりと彼の頬が染まった。
ハウエルがそんな反応を見せるのは珍しいことだ。いつでもどこか飄々としている男なのに。
「そんなに私が好きになっちゃったの?」
「はい。私は結月様が好きです。愛しています」
上目使いでこちらを見ながらそう答えた。私はほんの冗談のつもりで言ったのだが、こうもはっきりと断言されると怯む。でも、ほんのり染まった頬とその瞳の熱を感じて胸が温かくなったような気がした。
「ありがとう、ハウエル。私は幸せ者だねぇ、こんなに大事に想われて」
本当に幸せだと思う。こんな風に想いをぶつけられるのは初めてだ。邪な感情がハウエルの中にないわけじゃない。でもそれは、好きな女を喜ばせたいという気持ちから来ていることが解る。そういう行為だけを望んでいる男たちとは違う。
ああ、私は愛されているのかもしれない。
ほんの興味本位で付き合うことを提示しているのだと考えていたが、その考えは間違いだったのだ。ハウエルにぺろりと食べられて、嫁にさせられそうだと危惧していたが、いよいよそれも真実味を帯びてきていた。
ここまで本気で愛してくれているのなら、それもいいのかもしれない。
「ハウエル。いつか、結婚しようか?」
「えっ」
「私と結婚するのはおイヤでしたか?」
呆けた表情のハウエルに笑みを湛えて、からかうようにそう言った。
「いいえっ、はい、はいっ。結婚しましょうっ。今すぐにでもっ」
慌てたように立ち上がって、ハウエルらしからぬ興奮したような姿を見て、私は思わず吹き出していた。
「バカだねぇ。今すぐにはしないよ。そうだなぁ、バンビちゃんがキディちゃんと結婚してからかな。バンビちゃんが幸せになる姿を見届けたいからね」
「待てませんっ。今すぐにいたしましょう」
「だから、落ち着きなよハウエル。いつも落ち着き払ったハウエルはどうしちゃったの? 感情剥き出しじゃないの」
「自分でもおかしいと思います。あなたの前だと、冷静ではいられないのです。あなただけが私を狂わせる。なので、責任取ってくださいね」
最後の一言でいつもの不敵な笑みを付け加えた。
笑ったり、怒ったり、慌てたり、しょんぼりしたり。今のハウエルはとても人間らしい。鬼畜で傲慢、変態なハウエルも決して嫌いなわけではないが、今のハウエルも悪くない。
「責任は取るよ。私があんたを貰ってあげる。だけど、結婚はもう少し先。今日からは恋人じゃなくて婚約者。それじゃダメ?」
「出来るなら早くあなたを妻として、私の手中に収めたいですが……。解りました。今日からはあなたは私の婚約者ですね」
少しいつものハウエルに戻ってきたかもしれないが、私との婚約がそんなに嬉しいのか、口元が緩んでだらしない顔になっている。
可愛い、ヤツめ。
「結月さんっ」
「ああ、バンビちゃん。キディちゃんに対して、丁寧な態度もいいけれど、もう少しぞんざいな物言いでも大丈夫だと思うよ。それから、俺って言えてない。どうしても僕って出てきちゃうから、そこはとにかく気を付けなくちゃね。それから声の大きさ。もっとお腹から声を出さないと、至近距離にいるキディちゃんが何度も聞き返しているようじゃダメだからね。解った?」
「はい。……そうじゃないですっ。結月さん、ハウエルと結婚してしまうんですか?」
「まだ結婚はしないよ。婚約をしただけ。バンビちゃん、祝福してくれるでしょ?」
無意識なのだろうが、バンビちゃんは拳をきりきりと握りしめていた。何かを堪えるかのように。




