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第18話

シリアス路線です。

 バンビちゃんは、私がコップに入れた冷えたお水を一息に飲み干すと語り始めた。

 それは、こんな話。


 バンビちゃんの両親が誰なのか、生きているのかいないのか、知っている者はいない。バンビちゃんは捨て子だったのだ。両親も孤児院の前に捨てるとか、裕福で優しそうな方々が住んでいる屋敷の前に捨てるなどの温情があっても良かったと思う。勿論、子供を捨てた時点で温情などありようもない。ただ、世の中にはのっぴきならない事情というものが存在する。やむを得ずそうせざるを得なかったのかもしれない。そうであったと思いたいところだ。

 結局のところ、バンビちゃんは朽ちかけた屋敷の隣にぽつりと立っていた小さな倉庫小屋の中で捨てられていたのだ。没落した貴族の屋敷。その近辺では、お化け屋敷だと噂され誰も近づきはしなかった。

 その小さな倉庫はしかし、若者たちの隠れた穴場であったのだ。想像してみれば解るだろう。若者たちが隠れてすることと言ったら一つしかない。

 バンビちゃんを見つけたのは、残念なことに町で評判のごろつきの一人と犬猿されていた男、とその連れだった。その連れと言っても、その日限りの遊びの女だったので、その女はあまり重要ではない。いや、その女がバンビちゃんを連れ帰ってくれたなら、もう少しまともな暮らしもできていたのかもしれない。

 その時、男がバンビちゃんに気付かなければ、男が気まぐれに連れ帰らなければ、もっといい人に巡り合えただろうに。

 その男、面倒なのでここではジャンとでもしておこうではないか。ジャンはいい歳こいて悪ぶっている、所謂バカな男だった。働きもせず、町民から金を巻き上げ、その日を暮していた。金がない日は、女に体を売らせその金で暮らしていた。

 ジャンは、バンビちゃんを毎日変わる女たちに任せ、自分は巻き上げた金で遊んで暮らしていた。バンビちゃんは可愛らしかったから、女たちは大事にお世話をしていたようだ。それだけが救いと言えば救いなのかもしれない。母親が毎日変わることに疑問を抱きながらも、誰もかれも自分を愛してくれていることを感じていたバンビちゃんは素直に育つことが出来たのだ。

 ジャンがバンビちゃんに会うことはない。自分が拾ってきた子供のことなどもうすでに忘れているのだろう。

 だが、バンビちゃんが10歳を越えた頃、ジャンはバンビちゃんの存在を確認してしまった。ジャンに見つからずに済めば、その先のバンビちゃんの人生ももう少し穏やかだったかもしれない。

 バンビちゃんを見つけたジャンは、あまりに愛らしく育った少年を見て、ある計画が浮かんだ。中世的で素直な少年に成長したバンビちゃんは、ある日ジャンに連れられ、ある屋敷へと入った。

 ジャンは、バンビちゃんには何も言わず、気持ちの悪い笑みを漏らして去って行った。バンビちゃんだけを残して。

「ここから二度と出られると思うな。お前を俺の可愛いペットにしてやる」

 これは、バンビちゃんを買った変態エロおやじが放った言葉だったのだ。

 何も知らないバンビちゃんは、その日から地獄の日々を過ごしたのだ。金持ちの変態おやじの愛玩として。

 変態おやじの奇行を語りだしたらきりがないし、気分の良いものではないので、それは割愛する。

 バンビちゃんは、ハウエルが迎えに行くまでそんな地獄の日々を死んだように生きていたのだ。


 すべてを語り終えたバンビちゃんは、力尽きたようにぐったりとしている。

 優しく包むように抱きしめると、その中で体がピクリと動いた。

「私が怖い、バンビちゃん?」

「怖くありません。結月さんは、あの人とは違う。僕が本当に嫌がるようなことは、決してしない」

 確かに私は変態なのかもしれない。けれど、無理矢理可愛い子の体を奪って、泣き叫ぶ姿を眺めて悦に入るような重度の変態ではないつもりでいる。

 バンビちゃんを苛めたいと思うことはあるけれど、それとて、分をわきまえている。

 私が日本にいた頃に襲われかけたおやじたちも、きっとバンビちゃんのおやじと同じ種類のものだった。バンビちゃんは、体を奪われたけれど、私は免れることが出来た。バンビちゃんの方が心にも体にも受けた傷は大きく深いのだろう。

 少なからず私はバンビちゃんの気持ちを理解できるだろう。

「私もね、親に売られたんだ。借金の肩変わりをさせられた。今まで大好きだった両親だったし、信じてたから裏切られた時は絶望したよ。死にたいって何度も思った。いっそ一家心中してくれたら良かったのにって思った。両親を恨んだよ。私を売って、自分たちはのうのうと暮らしているんだと思ったら、殺したいって思った。でもね、見ちゃったんだよね。本当に偶然にね、見ちゃった。全然幸せそうじゃなかった。私と同じような死んだ目をしていた。馬鹿みたい。後悔するなら娘売るなっていうのよ。憎めないよ。そんな顔見せられたら」

 悪人にはなりきれなかった両親は、私を売ったという罪に押しつぶされているようだった。恐らく、二人はそう長くは生きられないような気がした。まるで死が寄り添っているような、闇が二人を覆っていたのだ。

 今はもう、二人はこの世にいないかもしれない。悲しいのか、せいせいしているのか解らない。

 私は悪人にも良い人間にもなりきれなかった。二人を恨み続け死を与えることも、二人を許し言葉をかけることもできなかった。

 あと何年すれば、この想いは昇華されるだろうか。たとえ昇華されようと、その時に二人はいないのだ。許されたことを、彼らは一生知ることはないのだ。

 今では、二人を誰かが救ってくれただろうことを望んでいる。そして、慎ましく暮らしていることを。

「バンビちゃんは、恨んでいるの? バンビちゃんを売った男と買った男を」

「僕を買った男はもういません。僕を迎えにきたハウエルの手によって……。売った男のことはもう覚えていません。そもそも顔を合わせたのは数度しかありませんから。もう、恨むのは疲れました。それに、結月さんがいてくれるからもうそんな暗い感情は抱けません」

 にこりと微笑んだバンビちゃんは、初めて会った時の怯えた彼とはまるで違った。

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