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第13話

 バンビちゃんの気持ちが今このとき、私に全力で向いているとは思えない。けれど、あんなにバンビちゃんの前で変態風を吹かせているというのに、私を気になりだしたのは間違いではなさそうだ。

 一人、眠れない夜を過ごした。

 バンビちゃんは掛け値なしに可愛い。目に入れても痛くないほどに可愛い。思い切り抱きしめて、キスをして、隙あらばベッドに押し倒してしまいたいと思うほどに好きだ。

 だが、その想いのままにつっきれない私がいた。

「いっそ、ハウエルと付き合っちゃおうかなぁ」

 そうすればバンビちゃんだって、私のことなど気にも留めなくなるだろう。バンビちゃんには、身分相応の婚約者がいるのだから、その子と幸せな結婚をするのだから。

 一番の問題は、私がハウエルとそういう関係になってしまったなら、がっつりと食われてしまうということだ。ひとたび頭を縦に振れば、そうでなくても遠慮なくかかってくるハウエルのことだ、容赦はしないだろう。魂が抜けるほどに愛され、食い尽くされてしまいそうだ。

 でも、それもいいのかもしれない。そこまで目の前で仲睦まじい姿を見せつけられたら、手を引かずにいれるものはいない。

「ハウエルが恋人? なんか、恋人通り越してすぐに嫁にされそうだなぁ」

 ハウエルと結婚? それはそれでなんとなく面白そうな気もするな。なんだかんだ言って、私とハウエルは気が合うと思う。趣味も好みも似通っている。恐らく私を一番に理解できるのはハウエルであり、ハウエルを一番に理解できるのもやっぱり私なのだ。

「悩んでいるのなら、私に身を委ねてみるのも宜しいかと」

 突然の声に飛び起きると、不穏物資が寝室の扉の前でにんやりと笑みを浮かべて立っていた。今にも襲いかかられる数秒前なのではないかと、背筋がひやりとする。

 それでも、そんな内心の焦りなど見せもしないでニコリと微笑んだ。

「あら、ハウエル。乙女の寝室に無断にはいるなんて、紳士のすることじゃないわよ?」

「それは失礼しました。てっきりあなたが私をお待ちになっているのではないかと思ったものですから」

「私があなたを? とんだ自意識過剰が出たものだ。でも、そうね。待っていたのかもしれないわね」

 このまま、ハウエルの腕の中にいた方がいいのかもしれないと、本気で思った。そうすることが、誰のためにもいいのだと。

「認めるんですか? 私のものになってくださるんですか?」

「そうね。それもいいかもしれない。だって、あなたは私を不幸にはしないでしょう?」

「勿論。そのつもりです」

 ハウエルが私を見つめたまま一歩一歩歩みを進める。私はそれを、ぼんやりと眺めていた。私の心の中に焦りはない。

 日本にいた頃、誰にも触れられたくないと思ったものだが、ハウエルにはそうされても良いと思った。私はきっと素直に人を好きにはなれない人間なのだ。多少なりともハウエルに対して好意というものを持っている。それで十分ではないか。

「私はあなたと同じだけの想いを返せない。それでもいいと言うの?」

「構いません。傍にいてくださるのなら」

「バカねぇ。私みたいな変態を好きになるなんて。私は変わらずバンビちゃん至上主義よ?」

「構いません。あなたに触れる権利が私だけに与えられるなら」

「本当にバカな男。……いいわよ。その権利をあなたにあげる」

 ハウエルが笑んだ。ご褒美を与えられた小さな子供のように。その笑顔を可愛いと思った。それだけで十分だと思った。

 私は、この男に身を投げよう。

 私をことさらに優しく抱きしめるこの男に……。



 翌朝目覚めるとハウエルの姿はなかった。ベッドの中に残る体温もないところを見ると、随分前に出て行ったようだ。

 後悔はない。……と、思いたい。

 何だかんだと大事に守り通した初めてを捧げるには、十分な男だったと認識している。自分が最上の女だと錯覚するほどに、大事に丁寧に抱かれたのだ。

 チンピラ風情に抱かれるよりは、何百万倍も良いのだろう。

「私の初めてなんてどうでもいいけどね」

 恐らく私は、初めてにしては極上の時間を与えられたに違いない。元々の私の素質か、それともハウエルの腕のなせる技か、痛みはほとんどなかった。

「結月様。おはようございます」

 おずおずとリリが寝室に顔を覗かせた。

 ああ、失念していた。彼女はハウエルが好きだったではないか。

「ごめん、リリ。私……」

「あのっ、結月様。それ以上は言われなくても解っております。ハウエル様が結月様を連れていらした時からあの方の気持ちは十分承知していましたから。こうなる覚悟は随分前から出来ていたんです。結月様。私、正直思っていたほどショックではないんです」

「そうなの?」

「はい。憧れお慕いしていたハウエル様と私の大好きでお仕えしている結月様が恋人同士になられたんです。嬉しいんですよ。二人が同時に幸せになられるんですから。でも……、結月様は陛下を」

 そこまで口にしてリリは慌てて口をつぐんだ。

「バンビちゃんは可愛いよねぇ。大好きで大好きで、抱き潰してしまいたいくらい。ずっと傍にいて、頭を撫でてあげて、キスしてあげて、一緒に添い寝してあげて……。リリ、この気持ちって恋愛感情じゃないんだよ。ペットに対する気持ちと同じなのよ」

 ペットなんて飼ったことないけど、きっと私は飼い主としてはだらしないくらい甘やかせてしつこいくらいに愛して、ペットをダメにしてしまうような気がする。

 バンビちゃんを立派な魔王様にするための指導係なのに、全くバンビちゃんを成長させていない私は指導係として落第点だろう。

 バンビちゃんと一線を引こう。バンビちゃんには解らないくらい細い細い一線を。

 バンビちゃんを立派な魔王様にするために。誰が見ても畏怖する存在感を感じさせる偉大な魔王様に。そのために私はここにいる。

 決してバンビちゃんをダメにするためにいるわけじゃない。

 指導係になって、初めて強い決心を抱いた。 

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