7.柘榴色(le Rouge)【解決後編6】
席へ戻る堂林探偵に虎次郎が駆け寄った。
「いやあ、名スピーチだったよ。だけど、本当にこれで大丈夫なんだろうな?」
「心配ご無用、あとは仕上げをゆっくり御覧じろ、ってことだな。親愛なる雇い主さんよ。
まあこれで、あんたが晴れてアルバトロス社の取締役だ。そして、有能な俺さまには四千五百万円の報酬が支給されるという段取りだ」
まるで勝利を確信したかのように、堂林探偵がニヤリと歯を見せた。それから少しの間をおいて、麒麟丸家顧問弁護士の勝呂勝利氏が、ゆっくりと壇上へのぼっていく。
「それでは皆さまの発表が済みましたから、いよいよ、鳳仁さまが記された答えを開封させていただきます」
そう告げると、勝呂氏は例の大きなハサミをアシスタントに持ってこさせ、解答が記されてある書類が入った封筒とともに、壇上へ高く掲げた。
聴衆たちの様子はと目を向けると、虎次郎は、彼女と称する女性と手を取り合いながら、余裕の表情で浮かれており、その後ろでふんぞり返る堂林凛三郎探偵は、カクテルグラスを片手に余裕の表情を見せていた。亀三郎はと言うと、あまり壇上には関心がなさそうに、窓の外の風景をじっと眺めている。雀四郎は、なかばあきらめの表情で呆然とうなだれていた。西野さんはと言うと、ここへ来てミルクティーを注文して、うれしそうにすすっている。この肝心な時に、すでに勝利を放棄してしまったように、僕には見えてならなかった。
龍太郎はと言うと、思わず笑ってしまったが、金庫のトリックがどうか間違いであってくれと、両手を組んで、何度も何度も祈るようにつぶやいていた。
冷静に考えてみて、今回の正解は、疑いなく、堂林探偵が提供した金庫を外から埋め込むトリックであろう。だとしても、一抹の悔しさは残る。このまま、麒麟丸家の莫大な遺産をあの無能な虎次郎が総取りをしてしまうのだろうか。
「それでは、発表をいたします。今はなき麒麟丸鳳仁さまが記された、二重の密室の創作トリックですが……」
堂林探偵が右のこぶしにぐっと力を込める。龍太郎はひたすら念仏を唱えている。雀四郎はガックリと肩を落としてうなだれたままだ。西野さんは美味しそうに紅茶を飲んでいる。そして、いよいよ、勝呂氏の口から解答が告げられる。
「玄関ドアに仕込んだ、開け閉めが48時間行われなかった時にのみ自動で作動するロックシステムで、密室は創られてある、とのことです」
途端に、僕と雀四郎は椅子から立ち上がって、互いに抱き合った。龍太郎は血の気が失せたように呆然と天を仰いでいる。椅子の上でふんぞり返っていた堂林探偵は、勢い余って、椅子の背後へ転がり落ちた。
「西野さん、やりましたよ!」
僕は西野さんのところへ駆け寄った。
「ふぇっ。私の答えが正解だったのですか?」
西野さんはキョトンとしている。明らかに想定外の結末だったみたいだ。
「ちょっと待て。じじい。内容を見せてみろ」
無理もなかろうが、怒りが収まらない堂林探偵が、壇上にいる勝呂氏のもとへ駆け寄った。しかし、勝呂氏から奪い取った書類に目を通した途端、へなへなと力なく床へ崩れてしまった。
すると、食堂の出入り口の扉が、バタンと大きな音をたてて閉められたから、何事かと思って振り返ると、虎次郎に連れ添っていた女性の姿が消えていて、虎次郎の右の頬が、張り手を食らったのか、赤くはれていた。龍太郎が雀四郎に詰め寄った。
「雀四郎。おめでとう。
だが、お前にアルバトロス社を引き継ぐことなど土台無理な話だ。一切の権限をこの私に譲渡せよ。さすれば、悪いようにはせん」
威圧するような龍太郎の言葉に、雀四郎はしばらく無言で考えていたが、やがて、龍太郎をきっとにらみ返した。
「兄さん。たしかに、僕に偉大なるアルバトロス社を引き継ぐ器も能力もありません。そして、アルバトロス社を引き継ぐ最適任者が龍太郎兄さんであることも、僕は前々から確信をしています。
そこで僕からの提案ですが、もし僕の考えに同意いただければ、龍太郎兄さんにアルバトロス社の取締役となっていただいて、会社の全権を委託し、その存続責任を引き受けていただこうと考えています。
ただし、一つだけ条件があります。それは、遺産の九億円ですが、そのすべてを龍太郎兄さんが受け取るのではなく、龍太郎兄さんの配分は六億で我慢をしていただき、あとの三億を、虎次郎兄さん、亀三郎兄さん、そして僕の三人で、一億円ずつ分けて相続をする、という条件です」
「馬鹿な……。アルバトロス社を維持発展させるためにも、金はたくさんなければならない。つまり、九億の遺産は取締役を引き継いだ者にすべて献上するのが筋だろう。
ただ、雀四郎よ。私に遺産を引き渡すのなら、お前には特別に一億円をくれてやろう。どうだ、それで満足だろう。なにも虎次郎や亀三郎にまでわざわざ大金を分けてやる義理はない」
そう言って、龍太郎は雀四郎の肩をポンと叩いた。
すると、横から亀三郎が割り込んできた。
「ちょっと待て、雀四郎。お前は親父の遺言の条件を覚えていないのか?
勝者がアルバトロス社を引き継がなかった場合には、九億の遺産はすべてアルバトロス社基金に委託され、その上で、龍兄が取締役に任命される、と言うことだった。
だからいまお前が提案していることは、明らかに親父の意思に反しているぞ」
雀四郎は落ち着いて答えた。
「亀三郎兄さん。勝呂さんが公開した親父の遺言ですが、『勝者がアルバトロス社を引き継ぐ責任を放棄した場合に、九億の遺産を基金へ送る』とありました。そして、『勝者がアルバトロス社の存続責任を全面的に受け入れた場合には、九億の財産は勝者の自由にできる』とのことでした。僕はあの時、勝呂さんの声を録音しておきましたから、それに間違いはありません。
この内容なら、『勝者がアルバトロス社の取締役にならなければならない』という取り決めはありません。『アルバトロス社を引き継ぐ責任を放棄しなければ良い』のです。
ですから、龍太郎兄さんが、僕の提案を受け入れて、六億の遺産で我慢してもらった上で、アルバトロス社の取締役となり、存続の責任を果たしていただければ、アルバトロス社を引き継ぐ責任を果たしたことにならないでしょうか?
それに龍太郎兄さん、あなたの能力を持ってすれば、六億の資金でもアルバトロス社を十分に発展させることができることでしょう」
それを聞いた龍太郎が、説得するように答えた。
「しかしだな、雀四郎。私がお前の提案を拒む可能性もあるのだぞ。
お前の提案に従えば、私の手元には六億円しか入らぬが、拒んでも、私はアルバトロス社の取締役となるのだし、九億円が基金へ送られるということは、事実上私の手元に九億円が渡ることとなる。
どう考えても、後者の方が私にとって得だとは思わないのか。一方で、私がお前の提案を拒めば、お前には一円の金も残らないのだぞ」
雀四郎がにっこりと笑った。
「龍太郎兄さんは、きっと僕の提案を受け入れるはずです。
三億円のお金は僕たち三人へ流れてしまいますが、その代わりに、自由にできる六億の遺産を兄さんは手にすることができます。自由にできない九億の遺産よりもよっぽど価値があるのではありませんか?」
龍太郎がふっと笑った。
「負けたよ。雀四郎。お前の意見に従おう」
亀三郎が突然笑い出した。
「はははっ、こいつは傑作だ。雀四郎にまんまと一本取られてしまったな。そんな逃げ道があったとはね」
「どういうことですか」
雀四郎が聞き返すと、亀三郎が答えた。
「いやね。僕は、自分が勝ってしまったら、アルバトロス社を引き継がなければならないか、遺産がもらえないか、の二択しかないと思ってしまったんだよ。勝っておいてから、条件を付けて龍兄と交渉する、という発想が浮かばなかったおのれの陳腐な脳みそが実になさけないね」
「もしかして、亀三郎兄さんは謎解きの答えを知っていたとでも?」
「まあね。少なくとも、壁から金庫を取り出してみたり、玄関ドアの錠パネルを外して、中に時差式オートロックシステム装置が仕込まれてあることまでは確認しておいた。ただ、そのどちらの手段を親父が選択したのかまでは、決めきれなかったがね」
「さすがは、兄弟の中で一番の秀才たる亀三郎兄さんです」
「いや、そんな言い方はよせ。頭が良いか悪いかは、物事を冷静に判断できるだけで決まるものではない。お前のように、人の心を読んで柔軟に行動ができる才能のほうが、僕にはうらやましいよ。
それにしても、お前、やけに大盤振る舞いをしてくれたな。お前だけが三億を請求しても、おそらく龍兄はOKを出しただろう。まさか、僕たちにまでお裾分けを配るなんてな」
「ここに来るまでの僕は、龍太郎兄さんのいいなりでした。でも、平野君と西野さんが僕のために一生懸命戦ってくれているのを見ているうちに、自分が恥ずかしくなり、いつまでも弱いままではいけないと考え直したんです」
「まあ、僕としては今後の学費や研究費が確保できたのは大きいよ。あらためて、ありがとう」
亀三郎が雀四郎の肩をポンと叩いた。
「亀三郎兄さんだったら、アルバトロス社を引き継いでも、十分にやっていけるのではないですか」
「もちろんそんな単純な事ならいつでもやってのける自信はあるけど、僕はもっと自由気ままで壮大なことにチャレンジしたいのさ」
「なるほど、いかにも兄さんらしいですね」
発表会が終わり、本館の広間に降りてくると、西野さんが先に来ていて、長椅子に座っていた。雀四郎はそこには姿を見せてはいなかった。僕はさりげなく西野さんに近づいていき、空いているとなりのスペースへ腰かけた。
「それじゃあ、西野さんは、金庫のトリックには気付いていたけれど、わざとオートロックのトリックを発表したというのですか」
「ええ、そうですよ」
「どうして? 僕だったら、金庫のトリックこそが本命の正解のように思えましたけど」
「ええ、私もそちらが正解だと思っていました」
「じゃあ、なんで金庫のトリックのほうを報告しなかったのですか」
「だって私、正解を言うつもりが毛頭なかったからです」
西野さんの思いがけぬ返答に、僕は拍子抜けした。
「ええっ、どうしてですか?」
「復讐のためです。箱根丸を壊された復讐です」
目を丸くしている僕を尻目に、西野さんはきっぱりと断言した。
僕は西野さんの主張が理解できず、しばし混乱を来した。
「アドニス君は、箱根丸を壊した犯人が誰なのかは、分かっていますよね」
「いえ、いったい誰が、箱根丸を壊したのですか」
「それはもちろん、龍太郎の手下の黒服三人組に決まっています。
彼らは私が隠した秘密のメモが欲しかったのでしょうね。実際、龍太郎が発表した鉄格子のトリックは、私がそこに書いておいたものをそのまま読んでいたに過ぎませんから」
「でも、その事実と、プレゼンで西野さんが正解をわざと言わなかったこととが、どう関連するのですか。よく分かりませんけど」
「箱根丸の中に入っていた電磁石トリックが書かれたメモを見つけた龍太郎は、それが鳳仁氏の用意した答えだと誤認してしまい、即座に翌日のプレゼンテーション会の開催を思い付いたのだと思います。答が分かってしまえば、ここで長居する必要はありませんしね」
「だったら、龍太郎は答えを見つけた瞬間に、勝呂さんの下へ駆け込んで、答えを告げれば良かったのではないでしょうか。当初のルールでは、提案が早い者が勝つ決まりでしたし」
「そうするのは簡単でしたが、私がアイディアを盗まれたと、あとからごねられることを危惧したのでしょうね。だから龍太郎は、翌日のプレゼンテーション会を提案したのです。そして、一見、公平と思われるルールも設けました。四人の兄弟に平等に機会が与えられた場で自分が正々堂々と正解を言い当てれば、誰からも文句を言われる筋合いはないということでしょうね」
「しかし、龍太郎が提案したルールでは、先に正解を別な兄弟から言い当てられてしまった場合には、遺産が奪われてしまいますね」
「ふふふっ、アドニス君は本当に分かっていないのですね。じゃあ、逆に質問をします。
その一、龍太郎は、遺言公開の場にどうしてギリギリになってから現れたのでしょう。
その二、龍太郎は、プレゼンの順番決めにどうしてくじを選んだのでしょう。
その三、龍太郎は、どうやって私のバケットハットに盗聴器を仕掛けたのでしょう。
そして最後に、龍太郎は、どうして箱根丸の中に私の秘密メモが隠されていたことを知ったのでしょう」
「くじ引きはとっさに思いついたみたいでしたけど。そうか、あらかじめ一番の番号が書かれたくじにだけ、こっそりと印を付けておいた可能性がありますね」
「でも、あのくじを最初に引いたのは、雀四郎君でした。龍太郎はたしか二番目に引きましたよ」
西野さんが楽しそうに質問をしてきた。
「そうですね。でも、雀四郎が一番くじを引いてしまう確率は、たかが四分の一ですから」
言い訳をするように、僕は答えておいた。
「そうやって、龍太郎はくじ引きの公平さを演出したのです。仮に自分が一番にくじを引いて、それが一番くじであったら、即座に虎次郎あたりが文句を唱えていたでしょうからね」
「でも、雀四郎がその四分の一を引き当ててしまったら、ちょっと厄介でしたね。なにしろ、西野さんは電磁石のトリックを知っているわけですし」
「きっと龍太郎には、雀四郎君が一番くじを引かない絶対的な確信があったのですよ」
「えっ、どうしてそんなことが確信できたのですか」
「質問を代えましょう。龍太郎はどうやって私のバケットハットに盗聴器を仕掛けたのでしょうか」
「分かりません。西野さんとすれ違った時に、こっそり仕掛けたのでしょうかね」
「龍太郎は、遺言公開の場に時間ギリギリになってからやって来ましたけど、そのあとで、私に接近したことは一度もありませんでした」
「すると、どうやって?」
「そもそも、私のバケットハットに盗聴器を仕掛けるチャンスがあった人物は、いったい誰だったのでしょう。よくよく考えれば、私の帽子に盗聴器が仕掛けられた人物は、たったの三人しかいません。
一人目は弁護士の勝呂勝利氏です。箱根山帝国ホテルの展望室でのパーティー時に、私は勝呂氏にバケットハットを手渡しています。その時に盗聴器を取り付けることができたでしょう。ただ、勝呂氏は、今回の一件では一貫して四兄弟に平等に接し続けましたから、勝呂氏は盗聴器を仕掛けていないと、私は判断しました。
すると考えられるのが、ここへやって来る電車の中で、私をはさんで座っていたアドニス君と雀四郎君のいずれかが、私が寝入った隙を見計らって、こっそりとバケットハットに盗聴器を取り付けた、という可能性です」
「ちょっと待ってください。僕たちは西野さんの味方ですよ。盗聴器なんか仕掛けるわけがないじゃないですか。
そうだ。きっと、亀三郎ですよ。あいつ、西野さんとの初対面の時に、西野さんの身体をあおむけに担ぎあげたじゃないですか。あの瞬間に手際よく盗聴器を取り付けたのですよ」
「いいえ、違います。なぜなら、あの時の私はバケットハットをかぶっていませんでした」
西野さんはあっさりと否定した。
「つまりは、盗聴器を付けられた人物は、アドニス君か亀三郎君のどちらかとなってしまいます。
ただ、盗聴器を堂林氏が見つけた時に、その場に同席していたアドニス君は、顔色ひとつ変えませんでした。それを見た私は、アドニス君が盗聴器を仕掛けた可能性は薄いと感じました。
不可能を取り除いてゆけば、最後に残ったものが真実である、と言う法則に従えば、私に盗聴器を仕掛けた人物は、雀四郎君であることになります!
私はこの信じがたき結論を確かめるために、私は不本意ながらも堂林氏の言うとおりに愛人の演技をして、雀四郎君の反応を見極めようとしました。でも、堂林と別れてから赤い建物へ戻った時に、雀四郎君にうろたえる様子はみじんも見られませんでした。私はちょっと狐につままれたような気分でしたけど、その場をそ知らぬ素振りでやり過ごしました。
でも夕食時に、龍太郎が私のことをあばずれと呼び捨てた一瞬に、すべてが分かりました。一連の盗聴行為の黒幕は龍太郎であり、雀四郎君は彼の手下として言いなりになっている事実を!」
普段は奥手でおとなしい西野さんだが、今はいつになく鬼気迫る迫力があった。
「龍太郎と雀四郎君がグルであるとしてしまえば、すべての出来事がスムーズに理解できます。
遺言状公開の場に刻限ギリギリとなって龍太郎が飛び込んできたのは、龍太郎は自力で暗号の謎を解くことができずに途方に暮れていたところを、雀四郎君から箱根山帝国ホテルの展望室が公開の場であることを告げられたのでしょう。ギリギリになってしまったのは、雀四郎君が教えるのをしばしためらったのか、龍太郎が雀四郎君の情報をにわかに信じなかったのか、そのあたりの真相は分かりませんけど、いずれにせよ、龍太郎はそのおかげで、今回の戦いへ参加することができたのです。
プレゼンの順番決めのくじ引きは、あらかじめ一番くじに印を付けておいて、公平さを演出するために、雀四郎君に先にくじを引かせました。指示を受けていた雀四郎君は、印が付いていないくじを引けばよかったのです。
私に盗聴器を仕掛けたのは、雀四郎君です。雀四郎君は受信機を龍太郎に手渡すことで、彼に対する忠誠心を表現したのでしょう。
最後に、箱根丸の中に私のメモが隠されていることを龍太郎に教えたのも、雀四郎君でした。あの時、メモが箱根丸に隠されている事実を知っていたのは、アドニス君と雀四郎君しかいませんでしたからね」
「どうして、雀四郎は龍太郎の言いなりになってしまったのですか」
「おそらく、自分に自信が持てない雀四郎君は、常に誰かの庇護の下で行動をしたがる傾向がありました。遺産は欲しいけれど、アルバトロス社を引き継いでやっていく自信まではない。アルバトロス社は龍太郎が引き継ぐべきであるが、欲深い龍太郎が遺産を勝ち取ってしまえば、自分へ遺産がまわって来なくなる。そこで、最初から龍太郎の手下となってしっぽを振っておき、働き方しだいで遺産のおこぼれがもらえるよう、遺言状公開の以前から、龍太郎と契約を交わしていたのでしょう。
私はこの仮説を検証するために雀四郎君にわなを仕掛けました。電磁石のトリックは、鳳仁氏の体力を考慮すれば、とても正解であるとは思えませんから、それを知られたところでどうということはありません。でも、それを記した秘密のメモが箱根丸の中にしまってあると雀四郎君に告げれば、もし龍太郎の手下であるのなら、彼は必ず行動を起こします。みずから箱根丸を盗んでしまうか、あるいは、龍太郎へ情報を提供するか。
そして、私の予想通り、雀四郎君は龍太郎へ箱根丸のことを伝えました。夕食時に龍太郎配下の黒服三人組が、こっそりと龍太郎に耳打ちしたのを見て、雀四郎君が龍太郎とつるんでいる事実を、私は確信しました。
ただ、手下の知的水準をもっと正確に把握しておくべきでした。私は、手下が箱根丸のからくりを解除して、ふたを開けたのちに、中身を持っていくであろう、と思い込んでいました。まさか、その場で安易に壊してしまうなんて……」
「箱根丸は軽い品物ですから、とりあえず持ち出しておいて、安全な場所でゆっくりと箱を解除することもできましたしね」
僕は西野さんに同意した。
「でしょう、でしょう? それで不要となった箱はどこかへ放置してくれればいいのに、いったいどうして壊しちゃうという発想が生まれるのですか。絶対にあり得ないですー。
このような経緯を経て、私は箱根丸の復讐を誓いました。
ゆえに、龍太郎を勝たせることはできませんし、同時に、雀四郎君も勝ってもらっては困る立場となりました。なぜなら、雀四郎君が勝ってしまえば、彼はアルバトロス社の権利を放棄するでしょうから、必然的に龍太郎がアルバトロス社を引き継ぐこととなり、雀四郎君にはせいぜい雀の涙ほどのおこぼれが下りるだけ。遺産のほとんどを龍太郎が相続してしまうからです」
「でもよくそんなことが一瞬で判断できましたねえ。さすがは西野さんです。こうなってみると、龍太郎の雑言で西野さんが取り乱したのも、まさに敵をあざむくための迫真の演技だったというわけですね」
僕は感心して西野さんを讃えた。
「一瞬で気付いたと言ったのは嘘です。あの時は、本当にぶち切れていました。
私が龍太郎と雀四郎君の結託に気付いたのは、食事が終わりに近づいて、ちょっと冷静になった時でした」
西野さんがポッと顔を赤らめた。
「今となっては雀四郎もみずからの行為を反省していることでしょう。どうか彼のことを許してやってもらえませんか」
「許すも何も、私は雀四郎君が最後に選択した決断はベストだったと思っていますし、それに、色々楽しかったですからね。今回の旅路は……」
翌朝、朝食を済ませてから、誰が主導するでもなく、今回のイベントの参加者が次々と帰宅を始めていた。身支度を整えて本館の広間へやって来ると、例のバケットハットを小さな頭にすっぽりとかぶった西野さんが、龍太郎一行とにこやかに会話を交わしていた。龍太郎と西野さんと言えば仇敵の間柄であったように思い込んでいた僕にとって、それは目を疑うような光景であった。
「龍太郎さまー。お疲れさまでした。では、お気を付けてお帰りくださーい」
「親愛なる西野嬢、あなたが大学をご卒業されて、万が一にも就職にお困りなことがありましたら、我がアルバトロス社にて、特別待遇でご採用をして、お世話をいたしますよ」
「はーい、その際にはぜひよろしくお願いましまーす」
西野さんお得意の可憐なる笑顔攻撃に、龍太郎は鼻の下を伸ばしっきりであった。龍太郎一行が立ち去った後で、僕はこっそりと西野さんに問いかけてみた。
「どう言う風の吹き回しですか。あれだけ毛嫌いしていた龍太郎氏に、敬称の『さま』まで付けちゃって」
「龍太郎さまを嫌っていたですって。あらら、いったい何のことでしょう?」
西野さんがとぼけた。
「それに、その大きな袋はなんですか」
西野さんが手にしている袋を、僕は指差した。
「あっ、これですか。これは龍太郎さまからのプレゼントですよ。なんでも箱根丸を壊してしまったお詫びだそうです。ほうら、見てください。
じゃーん。箱根丸ジュニア――、です!」
西野さんが袋から取り出したのは、箱根からくり箱だった。前に西野さんが持っていた『箱根丸』よりも、ひとまわり大きくなっている。
「初代箱根丸は、二十一回の行程で開けることができましたけど、今度買ってもらった箱根丸ジュニアは、驚くなかれ、七十二回の行程でようやく開けられるのです。
すごーい、すごーい。ここまでくると、お値段もそれなりに張っちゃって、私のようなビンボー庶民にはとっても手が届かない高価な品物なんですよー」
箱根丸ジュニアと名付けた箱を高く掲げて、西野さんは嬉しそうにぴょんぴょんと跳びはねていた。
「たったのそれだけで、そのお……、因縁の敵であった龍太郎氏を許してしまったわけですね……」
僕はどっと疲れが押し寄せて、ため息を吐いた。その時、エレベーターが一階へ到着したことを告げる音がして、中から堂林探偵が姿をあらわした。それを見た西野さんが、ふふふん、と鼻歌を歌いながら近づいていった。
「あーら、堂林名探偵さま。今回はとっても残念な想定外のご結末になってしまいましたねえ」
よせばいいのに、西野さんが堂林探偵にちょっかいを出した。
「何のことだ?」
「だって、あなたの用意されていた解答は外れてしまい、お雇い主さんはお怒りのあまり、お帰りあそばせたのではありませんでしたっけ?」
「お前、だんだん性格がリーサに似て来たなあ……」
堂林探偵は、いったんあきれ顔を見せると、すぐさまいつもの不敵な笑みを口元に浮かべた。
「ふふふっ。まあその件に関しては、あの四男坊には感謝しても仕切れないな。
俺と虎次郎の契約は、虎次郎が遺産相続で儲けた金額の5パーセントを報酬とするものだった。だから、四男坊の素敵な提案のおかげで、虎次郎は結果として一億円の遺産を得ることとなり、俺には報酬の五百万円が転がり込んだというわけさ」
するとそこへ、横縞Tシャツの上にサマージャケットを羽織って、おしゃれな着こなしに包まれた麒麟丸亀三郎が、すたすたと階段から降りてきた。
「やあ、美しいお嬢さん。これからお帰りですか。とても名残惜しいです」
「わっ、近寄らないでください。べーっだ」
とっさに西野さんが反応して、僕のうしろへ回り込んで避難した。
「美しいお嬢さん。初対面時は可憐な野菊のようなあなたの麗しさに見とれてしまい、思わず取ってしまった軽率なる行為を、今となっては多いに悔やんでおります。それに、これでいとおしいあなたとの今生の別れとなってしまうかと思うと、我が胸は張り裂けそうで、どうかお願いです。せめて、握手だけでもしてはいただけないでしょうか」
そう言って、亀三郎は、左手を胸に当てながら、西野さんの前で片ひざを付いて、丁重に右手を差し出した。それを見た西野さんは、ちょっと可哀そうに思ったのか、握手くらいならと手を差し伸べる。
すると、亀三郎は、西野さんの右手を握って、さっと引き寄せた。反動で、西野さんの身体はくるりと半回転して、亀三郎にお尻を向けながら倒れ込んだ。それを抱きかかえた亀三郎は、腰に左手を添えて西野さんの身体を固定すると、背後から忍び寄って、西野さんの右の頬にキスをした。まるで、アルゼンチンタンゴを彷彿させる、華麗なるステップであった。
「美しいお嬢さん、またお会いしましょう。それでは、シー・ユー・アゲイン!」
亀三郎は、西野さんにウインクすると、さっそうと広間から出ていった。
「やれやれ、まさに唯我独尊の申し子のようなやつだな」
脇で様子を見ていた堂林探偵があきれていた。
「ぐやぢい。またしても、まんまとひっかかってしまいまぢたー」
西野さんが本気で悔しがっている。
「そう言えばあいつ、また会いましょう、とか、ふざけたことを抜かしていたぜ」
堂林探偵が、西野さんをからかった。
「ぜーったいに、それはあり得ませーん。今後、私の半径100メートル以内に接近したら、速攻で私は警察へ通報しますから……」
「はははっ、それにしても、あいつくらいに鉄面皮なおちゃらけ野郎を、俺はもうひとり知っているけどな……」
「それは、もしかして、如月恭助と言う男の子ではありませんか?」
「なんだ、知っているのか……。
如月恭助と麒麟丸亀三郎。ともに手ごわい究極のエゴイストだ」
「奇しくも、どっちのイニシャルもKKですよね。ああ、きもっ」
西野さんがはしたなく舌をベーっと出した。
「今後、我々の前に立ち塞がる、実に厄介な存在となりそうだな」
そう言って、堂林探偵が西野さんの肩にそっと手を掛けた。それを軽く振り払うと、西野さんはにっこりと笑顔だけを振舞った。
「別にあなたとコンビを組むつもりはありませんから、どうぞ勘違いなさらないでくださいませ」
堂林探偵は含み笑いをすると、すたすたと外へ出て行った。
「さあ、そろそろいい時間ですね。雀四郎君、いつまでもそんなところに隠れていないで、出ていらっしゃい。一緒に帰りましょう」
西野さんは、遠慮をしてじっと物陰に隠れていた雀四郎に、ずっと前から気付いていたみたいだ。雀四郎が顔を赤らめながら姿をあらわした。
「西野さん、この度のことは許してもらえるのでしょうか」
「許すも何も、とても楽しい旅を提供してくれて、むしろ私はあなたへ感謝をしていますよ」
「そう言っていただけると、光栄です」
ようやく麒麟丸雀四郎に、笑顔が戻ってきた。
「そうそう、アドニス君。帰りですけど、鎌倉へ立ち寄ってくださいね。なんでも、万福寺と言うお寺があって、人形供養のサービスをしているそうですよ。そこで、初代箱根丸の供養をしてもらわなくっちゃ……」
今回の『柘榴色』の物語は全部で18章にもわたる大作となってしまいました。取り留めもない話でしたけど、いかがだったでしょうか。人見知りの激しかった摩耶ちゃんも、今回の旅を通して、しだいに仲間となじんできているように感じます。ご意見ご感想がありましたら、ぜひお願いいたします。
それではまた。 iris Gabe




