7.柘榴色(le Rouge)【解決後編4】
肘掛け椅子に座っていた西野さんの頭がガックリとうなだれる。と同時に、彼女自慢の長い黒髪がはらりと垂れさがり、彼女の顔を覆い隠した。
「ううっ、無念です。体調が良ければ、もう少しましな反論ができるのにぃ……」
西野さんのぼやき声がむなしく響いてくる。もしかしてと見ると、堂林探偵も顔をしかめている。亀三郎の説明が、いささか無茶なものであることはなんとなく感じ取れるのだが、適当なほころびが見つからず困っているといった様子だ。そんな中、僕にはたった一つだけ理解できないことがあったので、思い切って、亀三郎に問いかけてみることにした。
「すみません、一つ質問よろしいですか」
「なんだい、イケメン君」
僕が手を挙げると、亀三郎が余裕の笑みで応じた。
「亀三郎さんの説明では、玄関ドアの鍵を掛けるトリックで、木製のピンセットを下へ落してから回収をしていますよね」
「いかにも、その通りだが……」
「だとすると、回転させられた後のサムターンの向きは縦向きとなります。でも、ドアの鍵は、たしか、サムターンが横向きになった状態の時に掛かるのではありませんでしたか」
僕が発言を終えた途端に、場がシーンと異様な静まりに包まれた。
「あっ、アドニス君……。それ、とってもナイスです」
西野さんがポンと柏手を打った。麒麟丸亀三郎がさっと両手を上へ向けた。
「はははっ。鷺は立ちての跡を濁さず――。残念ですが、僕の推理は机上の空論に過ぎなかったみたいですね」
そう告げると、亀三郎は悠々と壇上から降りていった。
「次は、雀四郎。お前の番だ」
龍太郎が四男坊へ声をかけた。雀四郎は椅子から立ち上がると、西野さんの手を取って一緒にステージへ上がっていった。檀上に立つと雀四郎は、西野さんを用意した肘掛椅子へ座らせて、それからマイクを片手に、前へ出た。
「僕たちが導き出した推理の全貌ですが、ここにいらっしゃる西野女史に、チームの代表として説明をしていただきます」
雀四郎の紹介が終わると、間髪を入れず、龍太郎がさっと手を挙げた。
「と言うことは、そちらのレディがこれから語られる意見のすべてが、お前の答えだということだな。いいか、雀四郎。あとからの訂正は、いっさい認めぬぞ」
龍太郎が西野さんのことをレディと呼んだ瞬間に、一番よろめいたのは壇上で座っていた西野さん自身だったかもしれない。先ほどのやり取りで、龍太郎が抱いていた西野さんの妖婦疑惑は、すっかり解消されてしまったということか。
「もちろん、そう受け取っていただいても結構です。兄さん。
では、西野さん、ご説明お願いします」
雀四郎がはっきりと言い切った。雀四郎からマイクを受け取った西野さんは、椅子の上でチョコンと小さく頭を下げた。
「ただ今、紹介いただきました、西野です。それでは、チーム雀四郎が用意した解答をこれからご披露させていただきます」
西野さんのあいさつの直後、聴衆の一番うしろの椅子に控えて座っていた亀三郎から、わざとらしく、ゆっくりとしたリズムで叩かれた拍手が送られたが、それに対して、西野さんがベーと舌を出して応じたのには、客席に座っていた僕でさえも、さすがに肝を冷やした。ここに集まっている人たちは、たしかに頭脳は優秀なのかもしれないが、みんな精神年齢に発達障害を抱えているようにしか思えない。
「今日の私は、体調がすぐれず、残念ながら、現地の建物調査へ出向くことができませんでした。ですから、部屋に引きこもって、麒麟丸鳳仁氏がどのような人物だったのかを知るべく、ネットに掲載された彼の著作物でもある数々のゲームに関する評価記事を読んでみましたが、それによれば、鳳仁氏が手掛けたゲームは、絶妙な謎解きと、意外な結末の面白さが、高く評価されているみたいでした。別な言葉で換言すると、麒麟丸鳳仁氏は騙しの天才だったということです。
その鳳仁氏がもっとも得意とした騙しのテクニックが、たくみなレッド・へリングの演出でした。
思い出してください。鳳仁氏が創り出した舞台となる建物ですが、奇妙なことがいくつかありましたね。窓にはめられた鉄格子、無駄に多くのスイッチがある配電盤、異様に軽い力で動いてしまうふすま、壁に埋め込まれて固定された金庫、などです。これらの手掛かりは、密室の謎を解くための重要な手掛かりであるのかもしれませんが、逆に、それらの全部が、鳳仁氏の十八番である偽手掛かりだったかもしれないのです」
西野さんのカナリアを思わせる透き通った声がとうとうと流れている。龍太郎に至っては、彼女の言動の一つ一つにうんうんとご満悦の面持ちで頷いていた。
「前置きはこのくらいにして、私たちの考えている解答を申し上げましょう。鍵となるのは、鳳仁氏が残した、密室を構成するさいごの作業をたった一人で行った、という謎めいたメッセージです。もしこの言葉までもがレッド・へリングであると言うのなら、もはやこの謎解きは、鳳仁氏が生涯に渡って守り続けてきた騎士道精神にのっとった正々堂々たる知的対決と呼べるしろものではありません。言い換えれば、鳳仁氏はたった一人で四つの建物の密室を創り上げたはずなのです。そして、鳳仁氏は、この作業を行った時にはかなりの重病患者であったことも、同時に忘れてはなりません。
そんな鳳仁氏が行ったさいごの作業ですが、いったい彼にどれほどの試練をなすことができたのでしょうか。まさか、自分の頭よりも高いところにある窓を通り抜けることは、おそらく無理でしょうし、自分の頭よりも高いところにある窓からのぞき込んで、視覚からとざされたところに置いてあるドローンを操って、物を回収することも、相当にきついハードルだったと思われます。そんな鳳仁氏が行った密室トリックですが、私たちは次のように考えました。
まず、鳳仁氏は玄関ドアの鍵を、室内の金庫へしまいます。そして、金庫に鍵を掛けてから、金庫の鍵をポケットへ入れて、窓を閉め、クレセント錠は掛けないままで放置をしておいて、ふすまを閉めると、玄関へ移動します。そのまま、玄関のドアを開けて外へ出ました……」
西野さんがここでわずかに間を取ったので、その隙に、僕はすかさず思考を働かせた。西野さんのここまでの推理は、亀三郎が提供したものとまったく同じであるが、さあ、ここからが西野さんの本領発揮だ。彼女はいかなるエキセントリックな答えを用意しているのだろうか。
「外へ出た鳳仁氏は、ドアを閉めると、ポケットから取り出した金庫の鍵を、目の前にあるポストへ投函してから、その場を静かに立ち去ったのです……」
ここで西野さんの演説が力なく途切れてしまう。
「ちょっと待て。それでは、玄関ドアの鍵が掛かっていないではないか」
ずっと頷いていた龍太郎の顔が、突如、驚愕の表情へと化した。無理もないが、西野さんの説明では、玄関ドア施錠の説明がぽっかりと欠けているのである。
「玄関ドアの錠前はシリンダー錠でした。そしてシリンダーは、ドアの内側に設置されたサムターンを回すか、外の鍵穴から鍵を差し込んで回すことで、動かすことができますが、もう一つ、シリンダーを動かす第三の手段が用意されていたのです!」
「それはいったいなんですか?」
身内の発表であるにもかかわらず、僕は思わず聞き返していた。ふと見ると、会場にいるすべての人物が、固唾を呑んで西野さんの話を聴き入っている。
「それは単純すぎて、かえって盲点となってしまうようなトリックでした……」
西野さんがふっとため息を吐いた。
「あのドアには、自動施錠装置が取り付けられていて、何もせずとも、鍵を掛けることができたのです!」
西野さんの最後の説明は、何かとてつもない大トリックを期待していた僕たちの思惑を、真っ向から裏切るものであった。
「待て、それはあり得ない。私はいろいろドアの閉め方を試してみたが、自動で鍵が掛かるような仕掛けなど、何ひとつ見つからなかったぞ」
龍太郎が真っ先に抗議した。西野さんは、それに対してうろたえる素振りも見せずに、相変わらずの無表情で、応じた。
「それはそうでしょうね。オートロックはすぐには掛からないのです」
「すぐには掛からないだと?」
「ええ。鳳仁氏が用いたトリックは、一定の時差をおいてから作動するオートロックシステムだったのです」
ここで西野さんの口が一瞬止まる。細い眉をしかめる様子から判断すると、決して演出効果を狙ったわけではなくて、どうやら生理痛の痛みから来るやむを得ずの行為だったみたいだ。
「誰かがドアを閉めた瞬間からタイマーが作動をして、そのあと誰もドアの開け閉めをしない状態で定められた時間が経過すると、ようやくオートロックが掛かる仕組みだったのです」
またここで西野さんは一息入れた。相当につらそうだった。
「その時間ですけど、私たちに与えられた調査の猶予期間が二日でしたから、おそらく48時間よりも長いことでしょうね」
ようやく核心部の説明を西野さんは終えることができた。たしかに、西野さんが提唱する論理は、いちおう筋は通っている。でも、なにか物足りなさを感じてしまうのは、僕だけだろうか。僕の心配をよそに、西野さんが演説を再開した。
「あのドアの錠前には、小型タイマーも一緒に取り付けられていました。覚えておいででしょうか。ドアの内側にあったサムターンの周辺には、無駄に大きな真鍮プレートがはめられていたことを。
あのプレートをはずせば、きっと中からは、精巧な小型タイマーとオートロックシステム装置が出て来るはずです」
西野さんがすまし顔で演説を止めると、椅子から足を出してふんぞり返っていた堂林凛三郎探偵が、まるでアニメに登場する次元大介のように足を交互に地面にたたきつけながら、大げさに笑いはじめた。
「はははっ、こいつはお笑いだ。知力がご自慢の鳳仁翁が、生涯の最後に用意した渾身のトリックが、そんな子供だましだったとはな。これじゃあ、鳳仁翁も浮かばれずに、草葉の陰で泣いていることだろうぜ」
西野さんは、堂林をきっとにらみ返すと、静かに答えた。
「アイディアでゲーム業界を制した鳳仁氏ですから、さまざまな脱出トリックを思い付いたことでしょう。でも、病気の進行は、彼の想定をはるかに超えていました。体力的に追い込まれた鳳仁氏は、実行可能な最後の手段であるこの方法しか選択できなかったのでしょうね」
「それで、お前はその機械仕掛けとやらを確認したのか。ドアの真鍮パネルをはずせばそれで済む話だが」
探偵が訊ねた。
「いえ、それを今朝するつもりでしたが、あいにく、このように体調がすぐれませんで、それすらできませんでした」
西野さんが言いわけをした。
「そんなあ。でしたら、僕たちに指示だけでもしてくださればよかったのに」
雀四郎が大声をあげて椅子から立ち上がった。雀四郎がうろたえたのも無理もなく、建物の壁を壊す工具までも用意されていたのだから、ドアにはめ込まれた真鍮パネルをはずして中身を確認する作業などお茶の子さいさいなのだ。
「ごめんなさい。やっぱりそうすればよかったですよね」
西野さんは、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げると、すたすたと壇上から降りていった。それと入れ替わるように、にやついた堂林凛三郎がもったいぶりながらステージへ上がっていった。
「まさか、四番目の俺さまにまで順番が回って来ようとはね。諸君らの愚昧ぶりには心から感謝するぜ」
壇上に立った探偵は、開口一番、聴衆を挑発するようなあざけりの言葉を発した。さっそく、雇い主である虎次郎が、怒りをあらわにしながら、椅子から立ち上がった。
「おい、くそ探偵。主人の俺を差し置いてまっさきに壇上へ上がるとは何事だ」
それを聞いた堂林は、ふてぶてしく含み笑いを返した。
「なんなら、あんたがここへ来て、あんたの脳みそがはじき出した荒唐無稽な推理を、みなさんに公開してもらってもいいんだぜ。その間、俺はずっと黙っていてやる。だがな、親愛なる雇い主さんよ。チーム内でできる発言のチャンスは一回切りだってことを忘れるな。ふふふっ、どうするね」
そう言われた虎次郎は、ぐうの音も出せずに、しぶしぶと引き下がった。
「今日なし得ることを、明日に延ばすなかれ――。どうやら機は熟したみたいだな。それでは、俺さまが用意した解答を、ここでご披露させてもらうとするか」
自信に満ちあふれた堂林凛三郎が、声高らかに演説の開始を宣告した。




