7.柘榴色(le Rouge)【解決後編1】
「西野さんはどうしたのかな?」
謎解きの刻限を正午に控えた二日目の朝、赤い建物の調査をしていたのは、僕と雀四郎の二人だけだった。ここへ来る前に、朝食に姿を見せなかった西野さんの個室のドアを、外からノックしたのだが、中から聞こえてきたのは、西野さんの弱々しい声だった。
「それが、今朝になって女の子の日が来てしまったらしいんだ。朝であることも伴って生理痛がひどく、何も手が付けられないみたいだよ」
僕が麒麟丸に事情の説明をした。
「まさかそんな……。正午には密室の謎が解き明かされていなければならない大事な日なのに」
麒麟丸が明らかな動揺を示した。
「そうは言っても、こればっかりはねえ。まあ、僕たちだけでも、ささやかなる抵抗を企ててみようじゃないか」
「それでは平野君。きみには何かアイディアがあるとでも言うのかい」
「いや、別に。そうだ、配電盤からふすまが閉められる遠隔操作で、なにか密室が構成できないかな」
苦し紛れに、僕はその瞬間の思い付きを口にした。
「あの遠隔操作は、閉ざされた部屋の中で使用可能なトリックだ。建物の密室をつくるのに役に立ちそうな道具だとは、とても思えないね」
麒麟丸が否定的に意見した。
「じゃあ、きみの親父さんは、密室をつくることになんの役にも立たない大掛かりな機械仕掛けを、わざわざ準備したってことかい」
あれだけの装置なのだから、設置するのにもそれなりに多額の資金を要しただろう。何の役にも立たない無用の長物をわざと設置して、果たして鳳仁翁になんの得があるというのか。
「親父のゲームが大衆から絶賛された最大の理由は、物語のシナリオの裏に敷き詰められた巧妙な伏線だった。中には、真相へ誘導をうながしている伏線もあるけど、偽の手掛かりもたくさん仕込まれていたんだ。数多くの手掛かりの中から、真の手掛かりだけを抽出して、コンプリートへ向かっていく。それはまさしく謎めいた迷宮を彷徨う興奮と感動を与えてくれるのさ」
麒麟丸が笑いながら説明をした。
「ということは、ふすまの遠隔操作のトリックは、親父さんが意図的に仕込んだレッドへリングだと?」
「ああ、たぶんそうだろうね」
たしかに、指摘されてみれば、ふすまのトリックで玄関の鍵が掛けられるとは、とうてい想像ができない。
「むしろ気がかりなのは、固定された金庫の方なんだ。なぜ、親父は金庫を動かせないように壁に埋め込んだのだろう」
今度は、麒麟丸があらたな疑問を提示した。
「親父さんが意図的に埋め込んだ?」
「おそらくね。だって、考えても見ろよ。この金庫に限って言えば、所詮は、床の間の上にでも置いておけば、それで役割は十分に果たせているじゃないか。二重の密室は、鉄格子の窓から十分に離れた場所に金庫が置かれていればそれで成立するわけだし、それは床の間の上だって条件は満たされている。おかげで、窓から金庫の中へ鍵を投げ入れた、なんてミラクルな芸当が排除されるのさ。もっとも、金庫には鍵まで掛けられていたのだから、投げ入れられたところで、謎はいっこうに解明されてはいないのだけどね」
「特に理由などなく、なんとなく勢いで、壁に埋め込んでしまっただけじゃないのかな」
鳳仁翁が金庫を壁に埋めなくてはならない理由など、僕には何ひとつ思い付かなかった。
「いや、そうではないと思う。床の間に置いておけばよさそうな金庫を、わざわざ壁に埋め込むという面倒くさい選択を、親父はあえて取ったんだ。それは親父にとって、なんらかの得があったからなのだろうけど、だとすれば、その本意はなんだろう?」
妙なところにこだわるな、と僕はこのとき感じた。
「平野君は、ほかに気になることはないのかい」
考えるのに疲れたのか、麒麟丸が話しかけてきた。
「そうだね、僕が気になるのは、鉄格子の下に落ちていた黒い砂だよ」
「なんだい、それは?」
「ああ、昨日虎次郎の建物へ行く前に、西野さんが教えてくれたんだ。そしたら、鉄格子の窓枠の下に黒い砂が大量に落ちていたんだよ」
「黒い砂だって?」
「ああ、僕の曖昧な記憶では、少なくとも最初に鉄格子から部屋の中をのぞき込んだ時には、そのような黒い砂はひとつぶも落ちてはいなかった……」
「僕も気づかなかったな。なあ、今もあるのかい。その黒い砂は」
「たぶんね、行ってみようか」
僕たちは建物から外へ出て、鉄格子窓の下へ行き、窓枠を確認してみた。すると、やはり黒い砂が落ちていた。
「たしかに砂が落ちているね。でも、普通の砂にしか見えないけど」
肩車からおろされた麒麟丸が言った。
「だろう? だとすれば、だれが、いつここに砂をまいたんだ?」
「僕たちが昨日、部屋の中を調べている間に、何者かがやって来て、黒い砂をばらまいていったのかな」
麒麟丸が自信なさそうに答えた。
「まさか、昨日は暑かったから、窓は開けっぱなしだった。不審者が来れば、僕たち三人のうち誰かが気付くだろう」
僕は不審者がしたという説には納得ができなかった。
「いや、僕たちの隙を突いて、何者かがやって来た可能性は完全には否定できないな。
むろん、僕がまいたのでもない。そいつは神に誓って断言するよ」
麒麟丸は自分の仕業ではないことを強調した。
「仮に誰かがやって来て砂をまいていったとして、いったいそいつになんの得があるというのだい」
僕は首を傾げた。
「それは僕にも分からないな。もしかして、西野さんがまいたとか」
「何のために?」
「それもそうだね……」
結局、黒い砂の一件も気の利いた解決策は生まれず、僕たちは相変わらず五里霧中の状態であった。
何の成果も出せないまま、僕と雀四郎はすごすごと食堂へ戻ってきた。時刻も正午まであと十五分しかなかった。麒麟丸家の面々もほとんどが顔を出している。すると、西野さんがよたよたと食堂へ入ってきた。勝呂氏のアシスタントを務めていた女性が横に寄り添っていっしょに歩いている。西野さんはテーブルへは着席をせず、特別に用意された肘掛け椅子に腰を下ろした。僕たちは西野さんのそばに駆け寄った。
「西野さん、体調は大丈夫ですか」
「ええ、どうにか。ところで、調査に進展はありましたか」
「いえ、申し訳ありません。残念ながら何も新しいことは見つかりませんでした」
「そうですか。お疲れ様です」
僕たちのていたらくな調査結果を報告すると、西野さんは作り笑いを浮かべた。
頃合いを見計らって龍太郎が中央へ進み出た。奥の壁にはスクリーンが立てられて、プロジェクターも用意されている。
「刻限もやって来たようだし、昨日のくじの順番で、親父が作成した二重の密室の答えを各チームで発表していくこととしよう。順番は、私が一番で、次が亀三郎、それから雀四郎で、最後は虎次郎だ。用意した答が重なった場合には、はじめに発表したチームが正解となるという取り決めだったな。発表は4チームがひととおり行って、そのあとで、勝呂さんに正解を発表してもらい、勝者の判定をしてもらう。今、勝呂さんは親父の遺言状の後半部となる、正解が記された文章を手にされている」
そう言って、龍太郎が入り口の前で経っている勝呂勝利氏に目を配ると、タキシード姿の勝呂氏が白手袋の中でしたためている未開封の封書を高々と天に掲げた。
「なんと、親父は正解をきちんと書き残していたのか……」
テーブル席の虎次郎が目を丸くした。
「そう言うことだ。だから、親父の記した密書に書かれたトリックこそが、今回の謎の正解なのだ。たとえ、密室構成に関して筋が通った解答を提示しても、それが親父の記したトリックでなければ、有無を言わさず不正解となってしまうことを、ここであらかじめ同意しておいてもらいたい。異論はないな」
龍太郎が間をおいて周りを見回した。異論を唱える者は誰もいなかった。
「それでは、九億の遺産が掛かった世紀の謎を解明する神聖にして興味深き発表会の開催を、ここに高らかに宣言する!」
そう言って、自らに気合を入れるかのように、龍太郎は手にしていたソルティドッグのグラスをグイっと飲み干した。




