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7.柘榴色(le Rouge)【出題後編7】

 堂林探偵が電波検出器のアンテナをゆっくりと持ち上げて西野さんの顔へ近づける。再び、検出器が反応を示したので、堂林は注意深く西野さんの頭の周りでアンテナをこまめに動かした。やがて、西野さんがかぶっているバケットハットを取り上げると、その瞬間、西野さんの長い黒髪がはらりとたなびいた。

 堂林がバケットハットを注意深く調べていると、何かに気付いたみたいで、注意深くそれを指先でつまみ上げて、布地から引き剥がした。堂林は取り出した物体を床の間の上へそっと置いた。それは、パチンコ玉のような小さな固まりであった。堂林は、ポケットからメモを取り出すと、それにさらさらと書き殴った。


――こいつが盗聴器だ。どうする、ただで壊しちゃ、つまらんよな?


 再度、堂林は用紙に文字を書き足した。


――マヤ、俺に口裏を合わせろ。ちょっとした余興だ。


 床の間に置いた盗聴器を前にして、堂林が西野さんを招き寄せた。

「さっきの建物に仕込まれた隠し穴の調査結果だけどなあ、機密事項とはいえほかでもない、お前と俺の中だ。なんなら、教えてやってもいいんだぜ。まあ、ただでというわけにはいかんがなあ」

 堂林が西野さんになにかしゃべるようゼスチャーで合図した。

「ただじゃないのなら、いったい何が欲しいのですか?」

 西野さんがアドリブで返した。互いに台本はないみたいだが……。

「美男と美女が二人切りで密室にいるとなれば、やることは一つしかないだろう。なにぶんお前とは、むかしは毎日やり合っていた仲だからなあ」

「あの時と今は別です。でも、機密事項を教えてもらうためには、どうやら選択の余地はなさそうですね」

「分かっているじゃないか。じゃあ、服を脱げよ……」

「誰かが入ってくるかもしれません。ドアには鍵を掛けて、窓も閉めてください」

「ふん、まあよかろう」

 いったい何を始めようというのか。少なくとも、僕が声を発してはいけないシチュエーションのようだ。わざとらしく間をおいて、堂林が口を開いた。

「相変わらず、きれいな裸をしているじゃないか。摩耶……」

「お願いですから、素早く終わらせてください」

 二人は架空の会話を交わしている。もちろん、西野さんは服をまとったままである。

「まだ触れてもいないのに、こんなびしょびしょに濡らしやがって。前から思っていたけど、お前って可愛い顔をしているくせに、とことん淫乱なやつだな」

「淫乱だなんて恥ずかしいこと、言わないでください」

「昨日のパーティーでは、聖女のごとく振舞っていたお前の本性が、まさかのセックス依存症だなんて、さすがの麒麟丸一族の奴らにも想像がつかないだろうな。わははっ」

「そうですよ。もはや私はあなたの身体なしには生きていけない淫乱な娘です……」

 次の瞬間、堂林が床の間の上に置いてあった盗聴器を、金槌で叩き潰した。

「はあ……、いったいどこまでやらせるつもりだったのですか」

 西野さんが心底疲れた感じでため息をついた。

「はははっ、真面目一辺倒のお前さんがこれほどの名演技ができるとは、想定外だったぜ。

 だがこれで、盗聴している黒幕には、お前さんは清楚なお嬢さまではなくて、超が付くほどの淫乱女と認識されたわけだ」

「ふふっ、今後の反応が楽しみですね」

 西野さんと堂林は顔を突き合わせながら笑っていた。

「ところで、例の機密事項ですが、全部とは言いませんけど、せめて玄関の扉くらいは教えてくれませんか。扉に隠し穴が開いていなかったかどうかを。

 お願いします、神さま、ほとけさま、堂林名探偵さま!」

 西野さんが急に下手に出たのに、堂林はご満悦の様子だった。

「仕方がないなあ。穴をあける前に俺が調べた玄関扉の情報だが、超音波発信器も使って調べてみたところ、隠し穴はどこにも見つからなかった。直径5ミリ程度の穴でも開いていれば、そこから金属棒を通して、サムターンを回すことができないこともないのだがな。

 扉と壁枠とのあいだのすき間だが、上面と側面については閉じた時に壁枠がピタリとはまる構造となっていて、物が通せるようなすき間は皆無だ。だが、下面と床面とのあいだならわずかなすき間ができていた。すき間と言っても、せいぜいひもが通せる程度に過ぎず、さすがに金属棒となると通すことは無理だったな」


「おかえりなさい。なにか手掛かりが見つかりましたか」

 僕たちが赤い建物へ戻ると、中から麒麟丸雀四郎が出てきた。

「いや、なにも……。麒麟丸君の方は?」

「こっちもからっきしだよ」

 麒麟丸があっさりと弁解した。

「西野さんは、何か収穫はありましたか」

 麒麟丸が、今度は西野さんに訊ねた。

「虫が取れただけですね。ただ、今日一日ということでしたら、いろんなことが分かりましたよ。でも、もう遅いですし、とりあえず別荘へ戻りましょうか」

 きょとんとする麒麟丸をよそに、西野さんは来た道を引き返した。


 別荘の本館へ入ると、夕食の美味しそうな匂いが漂ってきた。僕たちは客人扱いだから、ひとりひとりに夕食が用意されるはずだ。

「今は五時ですね。夕食は七時に二階の大食堂で用意されるみたいですから、それまでに風呂を済ませておきましょう。ここは、温泉も湧くんですよ」

 フロントで確認を取ってきた麒麟丸が軽く説明を加えた。それによれば、驚いたことに、別荘なのに大浴場が男女別で用意されているらしかった。このあと、僕は雀四郎と一緒に男湯へ入った。さすがに、ホテルのような浴室ではなかったが、湯船には四人くらいは十分に入れそうだし、お湯はかけ流しで、さらさらとしていてとても心地よかった。

 風呂から上がって、僕の部屋で麒麟丸と二人で話をしていると、しばらくしてから、西野さんが入ってきた。別荘で提供された浴衣をはおっているのだが、長身の西野さんにはすそが少し短かったみたいで、ふくらはぎの白い肌が露出していて、いつもよりいっそうなまめかしい姿であった。

「とても素敵なお湯でした」

 満足げに西野さんが答えた。

「ここは美人の湯ですよ。弱アルカリ性のお湯で肌にも優しいんです」

 麒麟丸が説明をした。

「手にしているのは秘密箱ですね」

 箱根湯本の商店街で買ったというからくり箱を西野さんが持っていたので、僕が声をかけた。西野さんがうれしそうに箱を振ると、中からカタカタと物が壁に当たる音がした。

「今日の調査で分かったことを全部メモに書き記して、そのメモをこの『箱根丸はこねまる』の中へしまいました」

「箱根丸?」

「私が付けたこの秘密箱の名前です。ねえ、箱根丸」

 まるで子供をあやすように、西野さんが箱に向かって話しかけた。

「大切なメモをそんな箱の中に入れておいて、大丈夫ですか?」

 僕は心配になって訊ねた。

「別に、たいしたメモでもありませんし、こうしてしまっておけばなんか機密文書って感じられて面白いじゃないですか。もっとも、その気になれば箱根丸は誰にでも簡単に開けられますから、セキュリティ面では単なる気休めに過ぎませんけどね」

「少なくとも、僕にとっては難攻不落の堅固けんごたる金庫ですけどね」

「じゃあ、食堂でまた……」

 そう告げて、西野さんは自分の部屋へ戻っていった。例の鼻歌を口ずさみながら……。


 七時の大食堂にはここに宿泊している人間が一堂に会した。すなわち、長男の龍太郎と部下の黒服三人衆。次男の虎次郎とその彼女に、それとは少し離れたテーブルに一人で座っているお雇い探偵の堂林凛三郎氏。三男の亀三郎は窓に近い見晴らしの利く特等テーブルに一人でゆったりと座っていた。雀四郎は、僕と一緒に入り口から一番手前にあるテーブルに着席をしていたけど、時間ギリギリになって駆け付けてきた西野さんが、雀四郎のテーブルに慌てながら腰を下ろした。

 それぞれのテーブルにフルコースが提供され、味は実に申し分ないものであった。こうして落ち着いて見ると、麒麟丸四兄弟は遺影にあった父親に似て、背丈こそ低めだが、全員が甘いマスクの持ち主だった。

 途中で、龍太郎の部下である黒服の三人が席を立って食堂から姿を消す時間があったが、誰もそれを気には留めなかった。黒服たちはしばらくすると戻ってきて、中の一人が龍太郎になにやら耳打ちをすると、龍太郎が満足そうに口を緩めた。

 そして胃袋も十分に満足になった頃、突然、龍太郎が席を立って、つかつかと中央へ歩み出た。

「おおい、みんな。提案があるんだ。聞いてくれ」


「まだ、デザートも運ばれていないのに、そんなに慌てていったいどうしたんですか」

 亀三郎がからかうように龍太郎に声をかけた。

「親父の遺言によれば、謎解き終了の刻限は明後日十八日の正午となっている。しかしながら、なにぶん俺は忙しい身だ。お前たちだって暇なやからばかりではあるまい」

「だから、何がいいたいんだ?」

 虎次郎がどなった。あまり兄貴に好意を抱いているような感じはしなかった。

「謎解きの期日を明日の正午としたい。明日の正午に全員がここへ集まって、それぞれの解答を一つだけ提出するのだ」

「そんな面倒なことをしなくても、何か答が見つかれば、早い者勝ちで勝呂さんにそれを伝えればいいのではなかったですか」

 亀三郎があくびをした。

「だから品がないというのだ。それでは、いくら間違えても何度も言い直せるのだから、言ったもの勝ちということではないか。俺の提案は、四兄弟のそれぞれにチャンスは一回にだけして、それを間違えてしまえば遺産相続はあきらめてもらう。そう言った、真剣勝負がしたいのさ」

 龍太郎が提案した。

「そいつは受け入れられませんね。もし一回のチャンスで全員が間違えてしまえば、遺産はどうなるのですか」

 堂林が手を挙げて発言した。

「全員が不正解の時には、遺言に従って、九億の財産すべてをアルバトロス社基金へ送り、長男であるこの私がアルバトロス社の取り締まり代表に任命されることになるな。四人の優秀な頭脳が集まって、全員が不正解となるなんてことは、まさか起こるまい……」

 龍太郎がせせら笑った。

「ふん、その提案では兄貴に有利にしか作用しない。まさに思うつぼじゃないか」

 虎次郎が不満を漏らした。

「お前らだって、遺産は欲しいけど、アルバトロス社を引き継ぐつもりなんてどうせないのだろう。だとすれば、結局のところ、九億の遺産を受け取ることもできないわけだ」

 龍太郎が説得をした。

「俺は会社を引き継ぐつもりはあるよ」

 虎次郎が答えると、龍太郎が顔をしかめた。

「その結末がもっともうれうべきものなのだ。お前が会社の取締役になれば、アルバトロス社は一年と持つことはなかろう」

 龍太郎がはっきりと断言した。

「そんなことは、やってみなけりゃ、分かんないじゃないか」

 虎次郎が怒りをあらわにした。実に単純な男である。

「僕は龍太郎兄さんの意見に賛成です。でも、その唯一の機会に複数の人が同じ解答を提出した場合には、どうするのですか」

 冷静な面持ちで、雀四郎が訊ねた。

「そうですよ。あとから答えた人が、私も○○さんと同じ意見だった、と言ってしまい、それでことが済むのなら、明らかにあとから答える人が有利になってしまいます」

 西野さんも、横からさりげなく、雀四郎をフォローした。

「黙れ、あばずれ!」

 龍太郎が一喝した。それを聞いた西野さんの顔がみるみるうちに真っ赤になった。普段、他人からちやほやと扱われることに慣れている西野さんにとって、想定外の屈辱の応対だったのだろう。

「あばずれですってーー。こっちが下手したてに出ていれば、勝手な提案ばかりしてきて、だいたい、あんた、さっきから、●△★□――」

 興奮している西野さんを、なかば強引に椅子へ座らせて、なだめすかすと、僕は周りにぺこぺこと頭を下げた。

「そういうことなら私に一つ提案がある。明日の正午には、四兄弟のそれぞれが一つずつの答えを用意する。そして、あらかじめくじで順番を決めておいて、その順番に従って、めいめいが答えを発表するのだが、ここにルールを設ける。それは、あとから発言する者は、それまでに発言された者と同じ解答を提案することはできない、という特殊ルールだ。そして、正解を言い当てた者が遺産相続の権利を有することにする。これなら一獲千金を得るのが確実に一人に絞られるし、公平性も保たれているだろう」

 咳払いをした龍太郎が、静かに答えた。

「それで、もしその時までに解答が見つけられなかったら、どうするんだ」

 虎次郎が心配そうに訊ねた。

「そのような能無しには、そもそも遺産をもらう資格などないということですよ。僕は早く帰りたいから、龍兄の意見におおむね賛成です。それに、チャンスを一回に限定するというアイディアにも好感が持てますしね」

 ワイングラスを片手に。亀三郎がいかにも自信家らしく平然と答えた。

「じゃあ、皆の総意は決まったみたいだな」

 そう言って、龍太郎は部下の一人に耳打ちした。そいつはいったん食堂から出ていくと、しばらくして戻ってきた。手には竹筒を持っていた。

「善は急げという。さっそくくじを用意したから、明日の解答権の順番を今ここで確定をさせておこう」

 龍太郎が周りを見回した。黒服の部下が、入り口に一番近いテーブルにいる雀四郎へ近づいて、竹筒を差し出した。なかには四本の竹串が入っている。雀四郎がそのうちの一つを取り出すと、筒で隠れていた竹串のさきに三本の横線がマジックで書かれていた。

「僕の順番は三番目ということですね」

 そう言って、雀四郎は椅子に腰を下ろした。黒服はとなりのテーブルに座っている龍太郎へ近づいていった。間を置かず龍太郎がくじを引くと、満足げに笑みを浮かべた。

「ほう、どうやら私が一番となってしまったようだ。こいつは申し訳なかったな」

 龍太郎が頭上にかざした竹串には、一本の横線が書かれていた。

 次に黒服は向かい合ったテーブルにいる虎次郎へ近づいていった。虎次郎は素っ気なくくじを引くと、すぐさま頭を抱え込んでテーブルへうつぶせた。

「畜生、ラスを引いちまったぜ」

 虎次郎が手にする串には四本の横線が引かれていた。

「ということは、僕が二番ということですね。ふふふっ、龍兄には一本取られましたね」

 窓際のテーブルに座っている亀三郎が、近づこうとしていた黒服を片手で制して、代わりに謎めいた言葉を付け足した。


 こうして夕食は終わり、僕たちは個室へ戻った。西野さんはまだプンプンと怒りが収まらない様子だった。

「あら、鍵を掛け忘れたのかしら……」

 不思議そうに首をかしげて、西野さんが個室の中へ消えていった。

 僕も自分の部屋へ入ろうとすると、西野さんの部屋から、突然、悲鳴が聞こえてきた。

「は、はこねまるううう……!」

 僕と麒麟丸が西野さんの部屋へ飛び込むと、西野さんが、箱根丸と名付けた例の秘密箱を抱きかかえながら、むせび泣いていた。箱根丸は天蓋てんぶたが破壊されて、見るも無残な姿と化していた。

「西野さん、いったいどうしたんですか」

 僕が訊ねると、西野さんは嗚咽おえつをもらしながら答えた。

「どうしたも、こうしたも、見てください。箱根丸が壊されてしまいました……」

「えっ、ということは、大切なメモもなくなってしまったのですか」

 西野さんの話ではたしか、秘密箱の中には今日分かったことの全貌を記したメモがしまわれていたはずだ。

「絶対に許せません。メモが欲しいのなら、ちょっと時間を掛けて箱根丸を開ければよかったのです。まさか壊してしまうなんて……。

 このかたきは、私がきっと討ってみせます!」

 これにて、柘榴色の章の出題後編が完結です。出題後編は7章にもわたり、もはや短編とは言えなくなってしまいましたが、その分、壮大な謎解きが展開されています。巨額の遺産相続が掛かった不可解なる密室の謎。あなたには、もうその答えがお分かりでしょうか。


 ここで、『読者への挑戦状』を出させていただきます。亡き麒麟丸鳳仁氏が創作した密室の謎を、ずばり解き明かしてください。


 それでは解決後編で、またお会いしましょう。


   iris Gabe


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