7.柘榴色(le Rouge)【出題後編4】
「これが問題のポストですね。さっそく中身を確認してみましょう」
遺言状の指示にあった、密室の謎を解くための重要な鍵が入っているはずのポストは、裏側に小さな扉があって、中身が取り出せるようになっていた。その扉も、何の細工も施されてはおらず、あっさりと開いた。僕が手を伸ばすと、ポストの中には、白い封書と、ハサミが入っていた。封書の封をハサミで切り取ると、中から一枚の手紙と、ストラップが付いた鍵が一個出てきた。手紙の文章に目を通すと、それは鳳仁氏の記したものであった。
親愛なる雀四郎よ。この鍵を持って、そなたの眼前にある赤の屋敷へ向かえ。そして、屋敷に仕組まれてある『二重の密室』の謎を解明せよ。すなわち、この鍵がどのようなやり取りを経て、このポストの中に投函されたのかを合理的に説明するのだ。
密室と言うと推理小説の殺人事件を想像させるが、たとえ殺人がなくても、犯人が建物から出入りすることが不可能とみなされる状況が創作されていれば、それは紛れもなく密室であると断定できよう。殺人なき密室――、なかなか趣深いものではあるまいか。
さて、ここで一つ、大切な情報を加えよう。この屋敷は、我が注文に従って、専門職人たちが建てたものであるが、彼らがなした仕事はあくまでもそれだけである。何が言いたいかと言えば、その後の『二重の密室』を構成するさいごの作業は、すべて小生、麒麟丸鳳仁がたった一人で行った、ということを、肝に銘じておいて欲しい。さらに、もう一つ有意義な情報を付け足しておこう。それぞれの建物にはさまざまな鍵が存在するが、どの一つの鍵も、合い鍵はいっさい存在せず、その鍵にしか開けられぬものがあることを、小生がここに責任も持って保障をしておこう。
それでは、優秀なる我が息子、雀四郎よ。そなたの幸運を祈る。
そなたの偉大なる父、麒麟丸鳳仁より。
「親父はこのちっぽけな屋敷に、二重の密室を施したと主張しているけど、いったい何が密室なんだろうね」
雀四郎が含み笑いをした。
「それを解明するのが僕たちの役目さ」
そう言って、僕は問題の鍵を手に、建物の正面玄関の扉の前へ立った。鍵を扉の鍵穴へ差し込んでみたが、つっかえて差し込むことはできなかった。
「どうやら、このストラップが付いた鍵は、この玄関の鍵ではなさそうですね」
僕は後ろを振り向いた。
「そもそもその扉に鍵は掛かっているのですか」
西野さんが問いかけに、僕は扉の取っ手を回してみたが、鍵が掛かっており、扉を開けることはできなかった。
「さすがに密室となっているみたいですね」
この後、雀四郎と西野さんも正面玄関の扉を開けようと取っ手を回してみたが、鍵が掛かっていることが確認されただけだった。
「とりあえず、建物の周りを回ってみましょう」
西野さんの提案で、僕たちは建物の周りを調べることにした。
正午の太陽は南にあるはずだ。だとすれば、この屋敷の玄関はちょうど真南を向いていることになる。僕たちは屋敷の周りをぐるりと回ってみたが、東側の壁面は、窓もなく何もなかったが、建物から少し離れたところにスチール製の物置きがポツンと設置されてあった。次に、北側へ回ってみたが、ここの壁面も同じく、配電盤があるだけで、何も目新しいものはなかった。ところが、西側の壁面まで行くと、なにやらあやしげな窓が取り付けられてある。
近づいてみると、その窓は結構高い位置にあって、身長が178センチの僕がつま先立ちをすれば、どうにか中の様子が確認できるくらいの高さとなっていた。言い換えれば、身長が170センチに満たない雀四郎や、女性にしては背丈があるものの、せいぜい165センチくらいの西野さんでは、いくら背伸びをしたところで、中をのぞくことはできない高さであった。
しかも、その窓にはご丁寧に、鉄格子が四本、はめ込まれていた。僕は鉄格子に力を込めて動かそうと試みたが、まったく動くことはなかった。鉄格子の間隔は、顔が小さい西野さんでもくぐり抜けることはまずできそうもなかった。
鉄格子の向こうにはガラス窓がはめられていた。ガラス窓は閉じていたので、僕はどうせ無理だろうと思いつつも、窓を開けようと力を込めてみた。すると、なんということだろう。鉄格子の向こうにあるガラス窓には、鍵は掛けられていなくて、窓ガラスがスッと開いたのだ。
窓ガラスにはクレセント錠がいちおう取り付いていたが、そのクレセント錠は解放されたままであったわけだ。
「おどろきましたね。窓に鍵は掛かっていませんよ」
僕は窓が簡単に開く事実を仲間に報告した。
「たとえ鍵が掛かっていなくても、鉄格子があるから、いずれにせよ、部屋の中へは入れないんだよね」
雀四郎が弱々しく付け足した。
「中の様子が見えませんか」
西野さんが訊ねたから、僕はそっと中をのぞき込んだ。
部屋は和室になっていて、正面に見えるふすまはピッタリ閉ざされていた。おそらく、ふすまの向こうに廊下があって、そのまま玄関へ連結しているのだろう。部屋の奥に床の間があって、孔雀を思わせる絵が描かれた掛け軸が飾られている。そして、床の間の横には、いかにもあやしげな金庫が置いてあるのが見えた。もちろん、ここから手を伸ばしたところで、届くような距離ではないのだが。
「部屋の中に金庫がありますね。それ以外はありきたりの和室ですけど」
「平野君、お願いだから、僕を肩に担いでくれないか。僕も中をのぞいてみたいんだ」
雀四郎の要望に従い、僕は雀四郎を肩車してやった。雀四郎は一通り部屋の中を見渡していたが、やがて「ありがとう」と一言告げた。雀四郎を肩からおろすと、今度は西野さんがポンポンと僕の肩を叩いた。
「あれ、西野さん。どうかしましたか」
「今度は私をかついでください。私も中の様子を見てみたいのです」
「ええっ、それはつまり、西野さんを肩車しろということですか?」
「そうですよ。もしかして、重たくて嫌ですか」
「いえ、そんなことは滅相もありませんが……」
僕はしばし悩んだ。西野さんを肩車するということは、必然的に、西野さんのお尻が僕の肩の上に接触することとなり、西野さんの白い太ももに僕の顔がはさまれて、西野さんの恥ずかしい股間が、僕の首筋に押し当てられることとなるわけだ。そんな破廉恥なことが果たして許されても良いのだろうか。しかも、この千載一遇のチャンスは、僕からではなく、西野さんからの提案なのだ。
「どうぞ、僕の背中の上に乗ってください」
僕は地面に両手と両ひざをついて四つん這いになった。さすがに、西野さんを肩車するという光栄を甘んじて受けることは、僕にはできなかった。
「えっ、いいんですか。じゃあ、遠慮なく……」
西野さんは靴を脱いで、僕の上に乗り、鉄格子を通して部屋の中をのぞき込んだ。背中から西野さん直足の感触が伝わって来る。体重は50キロくらいで軽量だが、土踏まずがきれいに発達しているから、足の裏の指の付け根とかかとのみが背中にあたり、意外と面積が小さい分だけ、強い圧力が掛かって来る。けれど、西野さんのバランス感覚がいいのか、無駄にふらつく動きがないから、ちょうどよいマッサージを受けているような心地よい感覚だった。肩車をすることはできなかったけど、今日はこれで十分満足だ……、としておこう。
「ありがとうございました。おかげで、中の様子がよく分かりました」
西野さんが満足げに答えた。
「高さは足りましたか」
「ええ、十分でした。ところで、気が付きましたか。鉄格子には風で飛んできた砂がいっぱい付着していましたね」
西野さんが怪しげなことを口にした。
「ええ、格子の表面は多少ざらついていましたね。まあ、鳳仁翁が密室を仕込んでから少なくとも二か月は経過していて、そのあいだ誰も拭き掃除をしていないのですから、汚れているのも無理もありませんよ」
僕はあっさりと答えた。
「ここは鉄格子で塞がれていると……。ほかに出入口はなさそうですね」
「となると、ポストに入っていた鍵は、いったい何の鍵でしょう」
雀四郎が首を傾げた。
「おそらく、部屋の中にあった金庫の鍵ではないかと、推測されます」
西野さんが即答した。
「えっ、じゃあ、金庫の中には何が入っているのですか」
「それを確かめなければなりません。じゃあ、そろそろ建物を壊しますか」
西野さんが突如過激な発言をした。
「建物を壊すんですか?」
「このままじゃ、埒があきません。建物が密室の状態である以上、建物を壊さなければ、私たちは建物の中へさえも入ることができないからです。幸いにも建物を壊す道具は、外にある倉庫の中にあるみたいですよ」
僕たちは建物の東側に少し離れた場所にポツンと置いてある物置きへ近づいていった。それは普通にホームセンターで売られているような小さなスチール製の物置きだったが、ここにも鍵は掛けられておらず、扉はスッと開けられた。物置きの中には、コンクリートの建物の壁を切り刻むための電動回転式の丸刃ののこぎりと、持ち運びが可能なバッテリー、それに粉塵の対策用のマスクと手袋、作業服とヘルメットまでご丁寧に用意してあった。ほかにも要所要所で役に立ちそうな工具がきちんと整理されて置かれていた。
「それでは、アドニスくん。力仕事、よろしくお願いいたします」
西野さんがにっこりと笑った。
「建物のどこを壊しましょうか」
「そうですね。北側の壁をちょっとだけ壊しましょう。そこなら何にもなさそうですしね」
西野さんの提案で、僕たちは建物の北側の壁を壊すことにした。丸刃ののこぎりは切れ味がとても鋭く、割と苦もなく、僕は壁にきれいに穴を開けることに成功した。壁の切り口の厚さは10センチほどで、断熱材も仕込まれておらず、いかにもその場しのぎの建物であることは明白であったが、かといって、壊す以外に壁をすり抜ける方法など、僕の脳みそでは思い浮かばなかった。何はともあれ、こうして僕たち三人は、謎の建物の内部に侵入することができた。
「電灯がありますね。外の壁に配電盤もありましたし、来る途中で電線も張り巡らせてありましたから、おそらくスイッチを入れれば、電気が付くと思われます」
「ここにスイッチがありましたよ」
西野さんの指示の下、雀四郎が部屋の壁のスイッチを押すと、予想通り、部屋の中が電灯で明るく照らされた。あらためて、和室の中を見回してみたのだが、畳が敷いてあるだけで、テーブルをはじめとする家具や調度品は、床の間に掛け軸があるくらいで、ほかに何もなかった。
「まずは玄関から調べてみましょう」
西野さんの提案で、僕たちはまず玄関を調査することにした。閉まっているふすまに手を掛けると、ふすまはさっと開いたのだが、その抵抗感のなさに、僕はむしろ驚いた。
「このふすま、とても軽いですよ」
僕の声に、西野さんもふすまに手を掛けて、左右に動かした。
「なるほど、このふすまには、下に台車が取り付けられてあるのかもしれませんね」
たしかに、異様なほどの軽さでふすまはスムーズに動かすことができた。
ふすまの向こうは木板の廊下となっていて、玄関との間には15センチほどの段差が出来ていた。建物の内側から見た玄関扉は、取っ手のすぐ下に金色の真鍮で作られたパネルが取り付けられていて、そのパネルの中央に、鍵を掛けるための楕円の形状をしたサムターンが付いていた。
「回してみましょう」
西野さんの提案で、僕は楕円形のサムターンをひねって縦にすると、カチャリと音がした。取っ手を下げて押してみると、玄関扉はギイっと怪しげな音をたてて、難なく開いた。
「この建物の玄関の扉は、内部からなら簡単に錠をおろすことができるというわけですね」
西野さんが満足げな顔で断言した。
「このあとは何をしたら?」
「まだ、もう一つ調べるべきことがあります。それは部屋の中にある金庫です」
「なるほど」
僕たちは金庫の前へ集合した。西野さんが金庫の扉のレバーを動かしてみたが、扉には鍵が掛かっており、金庫の扉は開かなかった。
「アドニスくん、例の鍵を……」
西野さんの指令で、僕はポストの中で見つけたストラップ付きの鍵を取り出した。金庫の鍵穴に差し込んでみると、すんなりと収まり、回すとカシャっと鍵の開く音がした。
「開けますよ……」
僕は扉を開けて中をのぞき込むと、金庫の中にはポストにあったのとは別の鍵がおさめられてあった。鍵には今にも天に向かって飛び立たんとする鳥をかたどった精巧な金属細工のキーホルダーが付いており、いかにも大切な鍵であることがありありと呈示されてあった。
「おそらく、これが正面玄関の扉を開け閉めする鍵でしょう」
西野さんが断言した。
「それにしても、この金庫、壁にしっかりとはめ込まれていますね」
金庫はまるで居場所を動かされたくないかのごとく、和室の壁の中にしっかりと塗り込められてあった。
「どうして壁に固定されているんですかね」
「さあ、どうしてでしょう」
西野さんにも金庫が動かせなくなっている理由は、どうやら分からないみたいだ。
「それにしても、この金庫の扉っておもちゃのように軽いですねえ。これでは耐火性はまったく期待できそうもないですね」
金庫の扉をくねくねと開け閉めしながら、西野さんが苦言をこぼした。たしかに金庫の扉の素材はアルミニウムのような軽金属が使用されているみたいで、鍵こそはしっかり掛かる構造になっているものの、いざ火事とでもなればほとんど意味をなさない、お飾りのような金庫であった。
この後、僕たちは金庫の中におさめられてあった第2の鍵が、玄関口を開け閉めできる鍵であることを確認した。その鍵を用いれば、建物の内側からでも、外側からでも、サムターンを回すことができ、扉の錠をおろすことができるのだ。
「これで、鳳仁翁の意図した二重の密室の全貌がはっきりとしましたね」
この建物に仕組まれた二重の密室であるが、建物の中で唯一外部と通じていた箇所が、鉄格子の嵌められた、クレセント錠が掛かっていない窓であったことで、それ以外の進入路は正面玄関しかないのだが、そこにはしっかりと錠がおろされてあった。その錠を開けるただ一つの鍵は、部屋の内部の壁に固定されて動かせなくなっている鍵が掛かった金庫の中におさめられていて、その金庫を開ける唯一の鍵は、逆に、建物の屋外に設置されたポストの中に入っていた。建物の中にいれば、外へ出ることができず、建物の外にいれば、玄関の鍵を金庫の中へおさめることができない。なるほど、見事なまでの二重の密室が構成されていることになる。
鳳仁翁の遺言から、それぞれの鍵に合い鍵は存在せず、鳳仁翁はたったひとりで、この密室状態を創作したとのことだが、果たしてその方法とは……。謎はいっこうに深まるばかりである。




