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7.柘榴色(le Rouge)【出題前編1】

「やあ、平野君。ちょっと相談にのってもらいたいけど、かまわないかな?」

 不意に声をかけられてうしろを振り返ると、白いTシャツの上にネイビー色のカーディガンを羽織ったなで肩の学生が立っていた。

 場所は大学構内にあるカフェを出たところ、時刻は午後の講義が始まる十五分前の昼過ぎである。マッシュショートカットの黒髪は寝ぐせがついたままで、普段からあまりファッションに気遣う様子が見られない彼の名前は、麒麟丸きりんまる雀四郎じゃくしろう。ここへ入学した当時からの僕の親友だ。

 いかにも公家出身であるかのような麒麟丸といういかつい苗字に似合わず、控えめな性格で、あまり目立つことのない人物であった。最初に出会ったのは、入学式を終えて、講堂から出てきた直後のことだ。ほとんどの新入生は、外で待ち合わせている保護者と合流し、おのおのの家路へ急ぐところを、一人でやってきた地方出身者の僕は、なにをするでもなく、ぶらぶらとあてどもなくキャンパスを歩いていた。ふと前を見ると、同じように一人途方に暮れる新入生がいるではないか。どうやら、彼も僕のことがさっきから気になっているらしかった。なにげなく声をかけてみると、僕たちはすぐに意気投合した。所詮、人たるもの、孤独感に打ちひしがれ不安にかられれば、誰それ問わず他人からの声掛けや評価を求める傾向にある、ということなのだろう。

 やはり僕が想像したとおり、麒麟丸は伊豆のとある名家の出身で、雀四郎という一風変わった名前からも容易に推測されるとおり、彼は男だけの四人兄弟の中の四男坊であった。

「じゃくしろう、なんて、いかにもみょうちきりんこの上なしさ。それに、弱そうだし」

 そういって、彼はよく、さみしそうな笑みを浮かべながら、みずからの名前を自虐ネタにした。察するに、名前に対して相当のコンプレックスを抱いているようであった。それにしても、じゃくとは、いやはやなんとコメントすればよいのか、文字通りの『すずめ』を意味するのなら、少なくとも自分の子供には付けてあげたくなるような名前ではないし、正直なところ、そんな奇天烈な名前を息子に付けた両親の人格さえ、僕は疑ってしまう。

「相談とは、いったいなんのことだい」

 さり気なく、僕は間を取ってみた。

「なぞなぞだよ。それも、莫大な金銭がかかったね」

 麒麟丸は素っ気なく返した。

「なぞなぞ?」

「そうだよ。以前にも言ったとおり、僕の実家は伊豆半島の山奥にあってね、親父はそこでみずから起業をしたIT会社の社長をしていた。従業員がわずか十人足らずのこじんまりした会社だが、かえってそれが幸いして人件費が節約され、業績は順風満帆だった。ITといっても、その実、オンライン上でのゲーム配信が主な仕事でね。とにかく親父は、かつて一世を風靡した人気ゲームを創り上げて、瞬く間に何億もの財産を築きあげたわけだが、ここ一年ほど重い病をわずらっていて、先月になってついに死んでしまったんだ。おふくろも十年前に死んでいるから、肉親といえば僕たち四人兄弟しか残っていない。だから親父の莫大な私有財産は、単純に考えれば、僕たち四人に均等に分配されるはずなのさ。

 ところが、親父はいつ何時においても、みずからの知力のみで先を切り開き人生を勝ち続けた、ある種の化け物だ。自分が築きあげた莫大な富を、寄ってたかって馬鹿息子たちに食いつぶされてしまうことを危惧した親父は、ひそかに遺言状を用意して、その中にとんでもないなぞなぞを仕掛けたんだよ。この程度の問題も解けぬ愚か者に我が財産を受け取る資格なし、といわんばかりのね」

「すると、もしそのなぞなぞが解けなかった時には、一切の遺産がもらえないというのかい? 身内なのに」

 僕はちょっと驚いた。そんな非常識が現実にまかり通ってよいのだろうか。

「いや、僕たち四人兄弟には、すでにめいめい三千万円が分配されている。親父の遺産の一部としてね」

 麒麟丸は表情を変えずに説明した。

「ひゅうっ、三千万円か。そいつは随分と結構な話じゃないか」

 思わず僕は頭に浮かんだことをそのまま口に出していたのだが、麒麟丸はくすくすと笑い出した。

「おいおい、平野君。三千万なんてはした金だよ。親父の私有財産は少なく見積もってもざっと十億あるんだ。つまり、まだ九億もの大金が相続人の決まらぬ状態でふわふわと宙に浮いているわけさ」

「なるほどね。そいつを四人兄弟で分配すれば、三千万円どころか、優に二億を超える追加の報酬が、君に譲渡されるということか」

 すると、麒麟丸は口元に薄ら笑みを浮かべた。

「ところが、現実はそう甘くはなかった。それが、遺言状に秘められたなぞなぞということだね。なぞなぞが解けぬ無能者には、手切れ金として三千万円をくれてやるだけでこの場から退いてもらう。残りの九億の遺産は、なぞなぞが解けた兄弟だけで分かち合えばよかろう。それが親父の遺言の主旨らしい」

「らしい、って。そんな大事なこと、遺言状にはっきりと記されていないのかい」

「実のところ、遺言状の主文はまだ公開されていないんだ。でも、公開するためのきちんとした場は、近々設けられる運びとなっている。首尾よくなぞなぞが解けた兄弟だけがその場に立ち会うことができて、そこで初めて、親父が記した遺言状の中身の全貌が公開される、というあんばいさ」

「つまり、そのなぞなぞはすでに君に告知されているということだね」

「その通りだよ」

「じゃあ、ほかの兄弟たちにも、それと同じなぞなぞが提示されているわけだ」

「おそらく、そうだろうね。ただ、内容が内容だけに、兄弟同士で謎解きの相談を持ち掛け合うことができない異常な事態に、僕たち兄弟はおとしめられているのさ」

「なるほど。実に興味深い話だ。遺産相続をめぐるなぞなぞとはね」

「ああ、いかにも親父らしいよ」

「それで、その謎解きをこの僕に相談したいということかい」

「ほかに頼れるつては僕にはないんでね」

「僕に謎解きの才能があるとはとても思えないけど、ただ、君の気持はよく分かったよ。何なりと相談に乗ろう。でも、もうすぐ講義が始まってしまうね。だから、今日の帰りにここで落ち合うことにしないか」

「了解したよ。じゃあよろしくたのむ」

 そう言って、僕たちは別れた。同じ大学に通う仲間同士だが、麒麟丸は経営学を専攻しており、僕は社会福祉学科の学生だから、学内の講義で顔を合わせることはまずなかった。ちなみに、同じくここへ通っている西野さんは文学部の所属だ。


 講義が終わって小腹もすいた頃、学生食堂の一番奥にある特等テーブルを陣取って、軽く食事をほおばりがてら、麒麟丸と僕は遺産相続のからんだなぞなぞの話に会話の焦点を合わせた。麒麟丸がカバンから一枚の紙切れを取り出した。

「そいつは親父に遺言を託されている弁護士から届いた封書だよ。ああ、コピーだからそれはそのまま君にあげるよ。まずは内容を見てくれ」

 麒麟丸から手渡された用紙には、意味不明な数字の列が並んでいた。


挿絵(By みてみん)


「どうだい、何か分かるかい」

「なんだい、こりゃ。まるで、チンプンカンプンだね」

「そうかい、やはり君でもそうなのか……」

「いや、もう少し考えさせてくれ。期日は八月十五日となっているから、まだ一月くらいある」

「さしずめ、僕たち兄弟に一か月の考える猶予を与えてくれたということだろうな。頭が良くてミステリー好きな親父らしいよ」

「なぞなぞの答えを見つけなければ、遺産はほかの兄弟の誰かの手に渡ってしまうということだったね。万一解けなかった時には、君はそのことを悔やむのかい」

「いや、僕は末っ子の四男坊だ。所詮、遺産をのうのうと受け取れる身分ではないのさ」

 麒麟丸が両手を向けて否定をした。

「うーん、そいつはちょっと違うと思うな。むしろ、なぞなぞさえ解けば、四男坊の君だって遺産が手に入れられる。そんな千載一遇のチャンスを、君の親父さんは提供してくれたんじゃないのかな」

「たとえそうだとしても、僕は親父の会社を引き継ぐ意思はないし、存続させていく能力もあいにくと持ち合わせていない。だから、遺産の九億を万が一にも僕が受け取るようなこととなれば、その時はあらためて兄弟間で均等に分配し直すつもりさ」

「なるほど、いい心意気だ。君の考えはおおむね理解できたよ。だったら、こんな野暮ったい謎解きにおいそれと参加する義務も使命も、君にはないんじゃないのかな」

「そうかもしれない。でもね、僕たち兄弟の中には、できることなら遺産を独り占めにしようと目論もくろんでいるさもしいやからがいくらかいるんだよ。僕はそいつらの意のままには事を進めたくないという、一種のあまのじゃく的願望にさいなまれているに過ぎないのさ」

「そこまで言い切るのなら、まずは君の兄弟たちの説明をしてくれないか」

「いいとも。まずは、長男の龍太郎りゅうたろうだ。親父の会社の専務を務めている。時期社長候補の筆頭だな。会社を経営する能力はじゅうぶんにあるから、龍太郎が社長になることに関して、僕にいっさいの不満はない。ただ、金銭がからむといちじるしく強欲な一面があるから、いったん遺産の全額を手にすれば、僕たち弟に分け与えようなんて慈善行為は、まず期待できないね。僕にはそいつが許せないのさ。

 次に、次男の虎次郎こじろうだ。兄弟きってのスポーツマンで、高校時代にはインターハイにも出場している。兄とは違って、会社の経営者としての才能は皆無ゼロだ。もしも虎次郎が社長になるようなことがあれば、親父が一代で築きあげた順風満帆の会社が、わずか一年を持たずに崩壊してしまうだろうね。もっとも、虎次郎の脳みそで親父のなぞなぞが解けるなんてとうてい思えないから、虎次郎に会社を継がせたくないと考えた親父が、それを見越して、このような俗っぽい手段で遺言状を書き上げたんじゃないかとさえ、僕は疑っている。

 そして、三男の亀三郎きさぶろう。親父の知的遺伝子を一番順当に受け継いでいるのが、亀三郎かもしれない。子供のころから成績優秀で、今は研究者を目指して大学院で勉強中だ。親父の会社を引き継ぐ気はまったくなしだが、遺産に対する執着心は人一倍強い。財産だけをちゃっかり独り占めしようと、あの手この手の策をめぐらしかねない人物さ。

 そしてしんがりはこの僕、雀四郎じゃくしろうだ。ほかの兄弟たちとは違って、一切の天賦の才能とは無縁の、あわれなる末っ子さ」

 すべてを語り終えると、麒麟丸は天井を見上げて、ふーっとため息を吐いた。

「事情はだいたいのみ込めたよ。ところで麒麟丸君、この奇妙で興味深い話をなんの利害関係もない第三者に持ちかけてもかまわないかな。いや、なにね。たとえ僕に問題を解決することができなくても、僕の知り合いになら、相当に期待が持てそうな人物がひとりいるんだ」

「もちろんかまわないよ。僕の最低限のプライバシーを守ってくれさえすればね」

「そいつは問題なかろう。じゃあ、後日にまた連絡するよ」

 そう言って僕は麒麟丸と別れ、そのままとって返すように、茜色に染まった夕暮れの空の下、バイト先へと歩みを進めた。

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