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47.学内コンクール

 学内コンクール当日。

 朝も早くから始まったコンクールは、何のトラブルもなく順調に進んでいっている。

 流れ作業のように次々とエントリーした生徒がステージに上がり、楽曲を奏で、そして下りていく。

 観客席の真ん中に陣取っていらっしゃるのは、専攻科目の先生方。

 計5名で採点し、最後にまとめて発表する仕組みです。エントリー曲は10分以上20分以下のピアノソナタという大雑把な指定のされ方なので、バリエーション豊かな楽曲が聴けてなかなかいい感じ。

 一年生は何故か古典が多くて、二年生は現代の日本人作曲家の曲が多かった。その学年での流行りとかあるんだろうか。やっぱりどの学年もA組の生徒が飛び抜けて上手かった。

 三年の演奏はお昼からで、午前中から桔梗館に来てる同級生は殆どいない。演奏を終えた下級生が座っているくらいで、客席には空席が目立ってる。

 紺ちゃんからも、昼食を食べてから来るとメールが来ていた。


「蒼まで私に付き合うことなかったのに。大丈夫?」


 昨日よく眠れなかったのか、蒼はさっきから何度も欠伸を噛み殺している。

 プロの演奏会とは違うから、退屈になってきてるのかも。


「うん……ちょっと眠いだけ。真白こそ、良かったの? ぎりぎりまで練習しなくて」

「もうここまで来たら、楽しまないと損だと思って。他の子の演奏聞くこと自体、ピアノ科だと滅多にないし。あ、別に勝つの諦めたとか、そんなんじゃないからね!」


 今日の結果次第で、私と蒼のとりあえずの処遇が決まってしまう。

 絶対に勝たなきゃとか、負けたらどうしようとか、本当に紺ちゃんはもう学コンに拘らなくて良くなったのかな? とか、そりゃあ色々考えた。

 答えの出ない問題について悩むことほど、アホらしいことはない。

 頭では分かっていても、時間が空くとつい考えてしまうから、時間がなきゃいいんじゃないかという謎の結論に達し、ぎっちりスケジュールを詰め込んだりした。

 

 そうやって足掻いているうちに、急に「なるようになれ!」という心境に達したんです。

 パァッと目の前が開けた。虹のかかった空から小鳥が舞い降りてきて肩に止まり、歌いだしてもおかしくない感じの変化だった。ケセラセラの歌とか、今すごく一緒に歌いたい。


「それは疑ってないよ」

「なら良かった。昨日さ、寝る時にしみじみ思ったんだけど。全力を尽くしてピアノを弾くことが、今の私には出来るんだよね。それって、すごくない?」

「ん?」

「前に蒼が言ったでしょ。いつか病気や事故で弾けなくなる日がくるかもしれない、って」

「あー、うん」


 微妙な顔つきで、蒼が頷く。

 あれは間違いなくプロポーズだったと私は思ってるんだけど、蒼的にはちょっと思い出すのが恥ずかしいやり取りなのかもしれない。


「本当にそうだなぁ、って。人生いつ何があるか分かんないし、弾ける喜びを今のうちにめいっぱい味わっておこうと決意した次第です」

「……真白はいつだってぶれないな」


 あ、それよく花香お姉ちゃんにも言われる。

 悪い意味じゃないよね?

 不安になってじっと蒼を見つめると、彼はふわりと笑って私の頭を優しく撫でてくれた。


 

 学内コンクールは4日間に分けて行われる。

 弦楽器科は初日に終わっていた。

 紅のファンクラブのメンバーは、うちわを持っていてもおかしくないノリで紅を応援していた。あれ? ここってアイドルのライブ会場だったっけ? 存在しないサイリウムの光まで見えそうだった。

 結果、紅が一位で、蒼は二位。

 紅のパガニーニはそりゃ格好良かったけど、蒼のバッハだってすごく良かったのになぁ。

 悔しさが顔に全部出ていたらしく、すれ違いざま、紅に「ごめんね、勝っちゃって」とウィンクされた。

 大声で叫び出したくなりました。紅様の煽り芸は、あいかわらずレベル高い。

 

 2日目は管楽器科。

 美登里ちゃんは入賞出来なかった。あんなに覇気のない演奏をする美登里ちゃんは初めて見たし、周りもざわついていた。

 前評判では、フルート専攻の美登里ちゃんとトランペット専攻の皆川さんとの一騎打ちだろうって話だったから。

 

 『マシロには聞かれたくなかったな』

 ステージから下りてきた美登里ちゃんは、誤ってお皿を割ってしまった子供みたいな心細げな顔で私を見た。

 もっと集中しろだなんて、とてもじゃないけど言えないよ。きちんとステージに立って一曲演奏できるくらい気力が戻ったってことが、何より嬉しい。

 『また一緒に合わせようね。いつまでも待ってるよ』と小声で返す。

 美登里ちゃんは唇をへの字に曲げ、『泣かすな、バカマシロ』と文句を言った。


 3日目が、打楽器科と声楽科。

 そして今日の最終日が、ピアノ科だ。

 私と紺ちゃんのどちらが勝つか、お祭り好きのやんちゃな生徒たちは賭けをしてるみたい。

 寮の後輩から『もちろん俺らは島尾先輩に賭けたんで、頑張って下さいね』と声をかけられて、初めて知ったんだけどね。蒼は『真白を競走馬扱いするなんて!』とかなりご立腹だった。

 まあまあ。応援の一種だと思えば、嬉しいものじゃないですか。


 蒼と一緒にカフェテリアで軽めの昼食を取り、再び桔梗館エスターテハウスへと戻る。

 エントランスホールに入ったところで、蒼は足を止めた。


「真白の方が先なんだっけ?」

「うん。紺ちゃんは一番最後だよ」

「そっか」


 今日の蒼は、いつもにまして口数が少ない。

 体調が悪いのかな?


「大丈夫? ピアノ科以外の参加は義務じゃないし、今からでも寮に帰って休んだ方がいいんじゃ――」

「大丈夫」


 私が言い終わらないうちに、力強く言い切られる。

 心配になって見上げると、蒼は困ったように微笑んだ。


「そんな顔するなって。ほんとに俺は平気だから。それより、集中しないと」

「うん……じゃあ、頑張ってくる! 終わったらそのまま客席に戻るね。蒼の隣は空けといて。できれば」

「真ん中の少し左寄りの席で、だろ?」

「へへ。よろしくお願いします」


 蒼に軽く手を振り、ステージ裏へと足を向ける。背中に視線を感じたので、扉を押す前に後ろを振り返った。

 蒼は、まださっきの場所に立ったまま、私を見送っていた。

 


 アナウンスの声の背を押され、ステージに足を踏み出す。

 コンサートや学外コンクールとはまた全く違う雰囲気のステージに、シロヤマのピアノが置かれている。客席の先生方に軽く一礼し、椅子の高さを調節した。

 ハンカチを譜面台の脇に置くまでが、いつもの儀式だ。大丈夫、大丈夫。心の中で繰り返す。

 ここまできたら、重ねた練習を、自分の努力を信じるだけ。

 スッと息を吸い、最初の音を目指して腕を持ち上げた。


 スクリャービン作曲 ピアノソナタ 第三番


 このピアノソナタは、後期ロマン派の特徴を引き継いだ作品だと言われている。

 叙情的で美しいメロディを、波に揺蕩う花びらのように際立たせた。リズムの違う左手と右手を複雑に絡み合わせたポリリズムや進化させた並行和音は、精密なタッチで崩さず積み上げた。

 第一楽章、そして第二楽章のドラマティックな展開は大胆に。静かで甘い第三楽章は、どこまでも感傷的に奏でる。

 終結部は全身を使ってオクターブを響かせ、めまぐるしく飛び回る左手で、正確な音を捉え深く響かせた。

 

 よっしゃ、いい感じ!

 練習の時より、うんと集中して弾くことが出来た。ミスタッチはなし、ペダルも狙った通りに踏めた。沸き起こった拍手にお辞儀をし、ステージから直接客席へと降りる。

 結果発表を待つために客席に戻ってきているピアノ科の生徒たちで、客席はさっきより随分埋まっていた。他の専攻の子達もちらほら混じっている。

 

 そんな中でも蒼がどこにいるのか、すぐに分かった。

 大勢の人の中でまるでスポットライトが当たってるみたいに、彼だけ光ってみえる。特別な光。私だけの光。

 急ぎ足で蒼の元へ向かい、息を弾ませたまま着席した。


「席、ありがとう」

「お疲れ。……あのさ。もしかして俺、目立ってた?」


 蒼が自分の髪を触って「寝癖でもついてんのかな」とぼやく。


「ううん。どっこもおかしくないよ。なんで?」

「ステージ降りてすぐ、真白が俺の方見たから」


 「よっぽど目立ってたのかなって」と続けた蒼の不思議がる表情に、胸が甘い音を立てる。


「だって自分の好きな人だよ? どこにいたって、すぐに分かるよ」


 当然でしょ。

 得意げな顔で言い返したところで、次の演者のアナウンスが始まった。きゅっと口をつぐみ、前に向き直る。

 そんな私の右手に、蒼が左手を重ねてきた。蒼の手は、ものすごく冷たかった。

 びっくりして横目で蒼を見ると、彼の目の縁が赤く染まっているのが薄暗い客席でもはっきり見えた。


 まさか、泣きそう?

 そんなに感動的な話だっけ?


 やっぱり体調が悪いのかもしれない。だって館内はちょうどよく暖められている。こんなに体が冷たくなるなんて普通じゃない。

 私の手の熱を分けてあげよう。蒼の氷みたいな右手を両手で包み直し、きゅっと握った。

 その瞬間、パタ、と微かな音がして、蒼の太もものところに小さな染みが出来た。顔をあげようとした私を、蒼がゆるく首を振って止める。

 どうして蒼が泣くのか、私にはさっぱり分からなかった。


 蒼の涙に気を取られ、それからの演奏はほとんど耳に残らなかった。

 アナウンスの声が紺ちゃんの名前を呼ぶ。それでようやく意識がステージに戻った。


 ステージに姿を見せた紺ちゃんは落ち着き払っていた。

 なんの緊張も見せず、ストンと椅子に腰掛ける。

 それから、両手を鍵盤に置き、ポーンと優しい音をひとつ鳴らした。


 リスト作曲 愛の夢 第三番


 客席が大きくどよめく。

 エントリー曲と違う! 

 しかもこの曲は、5分くらいしかない。明らかに規定違反だ。

 隣に座った蒼の喉から、呻き声が聞こえた。


 皆が動揺している中、私は一人、全身に鳥肌を立てていた。


 当初はソプラノ向けの歌曲として作曲されたというこの曲を、文字通り、紺ちゃんは歌っていた。

 ピアノの音はどこまでも柔らかく澄んでいて、森の奥、滾滾と湧き出る泉のようだった。

 懊悩、孤独、絶望。黒く濁る人のごうを、全て許し、洗い流すような、許しに満ちた響きに、体が震えてくる。

 客席のざわめきはいつのまにか消え、あたりは静まり返っていた。

 ホール全体に、決して声高ではない紺ちゃんの優しいピアノが、ふわりと立ち昇り、美しい情景をゆらりと描いては消えていく。大抵のピアニストがテンポをあげ、これみよがしに叩く音数が多い部分にも、わずかな溜めをつくり、決して力まない。

 こんな風に弾ける高校生がいるなんて、信じられなかった。

 

 紺ちゃんの奏でる愛の夢は、私へ向けられたものだ、と何故か確信した。

 気のせいだと笑うなら笑えばいい。

 私には、分かる。分かるよ、紺ちゃん。

  

 大好き。

 大好きだよ。

 紺ちゃんは音楽で繰り返し囁き、精一杯の力で温かな塊を伝えようとしてきた。

 視界が涙で曇ってよく見えない。ただ、紺ちゃんのピアノしか聴こえない。


 最後の一音が空に消える。

 私はすっくと立ち上がり、大きく手を叩いた。

 静まり返った客席に、ポツポツと拍手の波が広がっていく。最後は、割れんばかりの拍手になった。


 紺ちゃんは、ゆっくりと立ち上がり、そして深々とお辞儀をしてステージを降りてきた。

 紅の出迎えを受け、労られている。

 私たちの席から5列くらい先の座席におさまった後、紺ちゃんはまっすぐ私を振り返った。


 ボロ泣きしてる私を見て、それから笑った。

 

 蒼ひとりが、最初から最後まで動かなかった。拍手もしなかった。

 振り返った紺ちゃんを見て、搾り出すように「なんでだよ」と吐き捨て、深々と席に沈み込む。

 こんな失礼な態度を取るなんて、信じられなかった。

 蒼を叱ろうとして隣に体を向け、私は愕然とした。

 蒼は傍目にも分かるくらい、怯えていた。震える両手を固く組み、膝に押し付けている。目が合うと、縋るように見つめ返された。

 血の気の引いた頬は引き攣っている。蒼の唇がかすかに動いた。


「ちゃんと勝てって、言ったのに」

「どういう意味? 急にどうしたの、蒼」


 思わず大きな声をあげてしまう。



「その疑問には、ワタシが答えてあげる」



 聞き覚えのある声に、飛び上がりそうになった。

 

 まさか。まさか、まさか。


 いつの間に現れたのか、トビオがステージの上に立っていた。

 客席にいたはずの生徒や、先生、それに学院長も本物の理事長まで、消えている。

 空っぽになった客席に、私と蒼、そして紺ちゃんだけが残っていた。






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