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44.蒼の誕生日

 自室に飛び込んでからも、ちっとも気持ちが落ち着かなくて、爪を噛みながら部屋の中を歩き回った。

 美登里ちゃんのこと。蒼に言われたこと。

 いっぺんに沢山のことがあり過ぎて、うまく噛み砕けない。消化出来ない。


「絶対、私からは謝らない!」


 大声で宣言し、ナハトの置いてある部屋にズカズカ入っていく。

 ピアノの蓋を勢いよく開け、ドスンと椅子に腰掛け、めちゃくちゃにオクターブを鳴らしながら高速で往復させた。スケール練習という名の八つ当たりをしてるうちに、段々頭が冷えてくる。

 そのまま、ショパンの英雄ポロネーズを弾くことにした。

 和音の跳躍はピタリとはまるとものすごく気持ちがいいし、装飾音のついた和音部分とのコントラストも好きだ。右手の4度和音の半音階上昇進行も、ミスタッチなしで駆け上がれるとスカっとする。

 この曲は久しぶりだからもっと音を外すかと思ってたのに、予想以上に格好よく弾けたことで、機嫌はすっかり治ってしまった。


 ……蒼の抱えてる不安に気づかなかった私も悪い、ような気がする。


 言い訳になっちゃうけど、学コンが終わるまで、二人の未来は宙ぶらりんな気がしてた。

 蒼パパとの約束は、私にはそれくらい重いものだった。親なんて関係ない、とは割り切れない。関係はある。それこそ結婚なんて、家と家との付き合いだ。お互い好きならそれで万事解決とはいかない。

 だから意識して、卒業後のことは考えないようにしてたんだけど、蒼は違ったんだね。


 再び自室に戻り、蒼に電話をかけるとワンコール目ですぐに出てくれた。


「さっきは、ほんとにゴメン。ああいうの真白は嫌がるって知ってたのに、うまくコントロール出来なかった」


 しょんぼりした声で先に謝られると、良心の呵責が半端ない。


「ううん、私の方こそごめんね」


 思ったことをそのまま伝えることの難しさを、私は痛感していた。

 なんて言えばいいのかなぁ。

 『学コン終わるまでは私たち、どうなるか分からないじゃない?』なんて率直に言おうものなら、絶対に誤解されてしまう。『卒業してからのことなんて、またその時考えれば良くない?』……これも無責任な印象だよね。

 違うんだよ。蒼のことは大好きだし、ずっと一緒にいたいって私ももちろん思ってる。

 だけど、紺ちゃんのこともあるし、とりあえずは学コンが気になって気になって、他のことを考える余裕がないっていうか。うーん。もしかしたら私のキャパが狭いってだけの話かも。


「もう怒ってない?」

「怒ってないよ。蒼こそ、口、大丈夫だった? 噛み付いちゃった」

「あれは嬉しかったから」


 嬉しかったのか……。

 頭突きと迷ったけど、チューにしといて良かった。


「えーと――あのさ。蒼の誕生日、どこかにお出かけしない? どこでもいいよ。蒼の行きたいとこに行こ!」


 苦し紛れに、目前に迫ったイベントについて振ってみた。

 プレゼントは買ってあるけど、当日の予定はまだ立ててなかったし。


「いいの?」

「いいよ!」


 蒼は少し躊躇ったあと、「――じゃあ、遊園地」と言った。

 人ごみが苦手な蒼の意外なチョイスに、一瞬、返事が遅れる。


「……だめ?」


 おずおずと確かめてくる声に不意をつかれ、私は携帯を遠ざけ、じたばたと足を踏み鳴らした。

 なに、今の! 可愛い! 可愛い!

 それからすぐに携帯を耳に押し当て、「もちろんいいよ」と平然を装って答える。


「昔、一緒にいったの、覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。小5の時だっけ。懐かしいね」

「あれ、俺的には好きな子との初デートだったよ。誘うの、めちゃくちゃ緊張したんだ」


 どこまでトキめかせれば気が済むんでしょうか。

 私も大概、ちょろいな。蒼の今の言葉で、もう全部どうでも良くなったんだから。


「なんか言って。黙られると、照れる」

「蒼、好き。大好き」

「……その日、うちに泊まれる?」


 どうやら押してはいけないスイッチを押してしまったらしい。

 蒼の家に泊まったのは、あのクリスマスの時だけで、あれからは一度もそういう雰囲気にはなってなかった。去年のクリスマスは、蒼パパが帰国してたし。そもそもまだ高校生だし。


「ホントは今がいい。今、ものすごく真白が欲しい。抱き――」

「分かった! その日は外泊届け出すから!」


 熱っぽい囁き声に耐え切れず、蒼の言葉の続きを大声で遮る。


「やった! 約束だからな、真白」


 浮き浮きした口調で蒼は「おやすみ」を告げ、電話を切った。

 

 ……雨振って地固まるとは全然違う気がするけど、結果オーライなのかな?

 

 真っ赤に火照ったほっぺを両手で冷やしながら、再び練習室へ戻ることに。

 鼓膜にしっかり焼き付いた蒼の声を何かで上書きしなきゃ、とてもじゃないけど眠れません!

 

 ナハトを弾いているうちに、再び冷静になってきた。

 部外者の私がどんなに心を痛めたってどうにもならないことだけど、美登里ちゃんがどうしてるか心配になる。メールを送ろうか送るまいか散々悩んで、送らないことにした。スマホを見るの、今は辛いかもしれない。


 月曜日、美登里ちゃんは学校を休んだ。

 火曜日、萎びた野菜みたいな勢いのなさで、美登里ちゃんは登校してきた。

 構っていいのか、そっとしといた方がいいのか判断できなくて、休み時間の度に席を立ったり座ったりしていたら「マシロってば、笑わせてこないでよ!」と注意された。

 水曜日、やっぱり元気はなかったけど、ランチは残さなかった。

 きっとこんな風にして、少しずつ傷を癒していくしかないんだ。

 大和さんもそう出来てるといいな。難しいと思うけど、初恋の人のこと、いつか優しい気持ちで思い出せるといいな。

 



 

 蒼の誕生日は、ゴールデンウィーク真っ只中にある。

 混雑覚悟で出かけた遊園地は、閑散としていた。

 それもそのはず、朝からバケツの水をひっくり返したような大雨だからだ。

 朝食の席で「どうする? 違うとこ行く?」って一応聞いてみたんだけど、蒼の返事は「真白が嫌じゃなければ、ちょっとでいいから行きたい」だった。

 

 そこまでして行きたいもの? 実は、遊園地大好きっ子とか?

 新たな発見をしながら「いいよ」と答える。

 ジェットコースター系には乗れないけど、雨でもそこそこ楽しめるはず。

 

 そう思ってやってきたんだけど、人のいない遊園地ってちょっと怖いんだね。賑やかな音楽やカラフルな乗り物が、灰色にけぶった景色の中、場違いな感じで浮き上がってる。

 ナタを持った殺人鬼とか出てきそう……。


「早めに帰ろうね。傘さしてても身体、冷えちゃうし」

「うん。じゃあ、観覧車乗ったら帰ろ」

「観覧車に乗りたかったの?」


 まさか、観覧車目当てとは……。

 びっくりして尋ねると、蒼は恥ずかしそうに頷いた。

 合羽を着込んだ係りのおじさんに扉を開けてもらい、大きな観覧車の小さなゴンドラへと乗り込む。


「雨粒で、全然外が見えない! 逆に面白いね!」


 ガラスを激しく叩く雨音のせいで、大きな声を出さないと相手に届かない。

 風がなくて良かった。これで風が吹いてたら、揺れて怖かっただろうな。

 扉の隙間から、容赦なく雨水が流れ込んでくる。長靴を履いてくれば良かった。靴がビショビショで、ちょっと気持ち悪い。

 

 傘を閉じる時、蒼も結構濡れてしまったみたいで、シャツが肌に張り付いている。

 前髪からポタポタと落ちる雫が妙に色っぽくて、ドキドキした。濡れ髪をかきあげる仕草を盗み見ては、急いで窓に視線を戻す。3秒が限界だ。ときめき過ぎて、直視できない。


「……に、……てもいい?」

「なに? 聞こえない!」


 向かい側に座った蒼は、口で伝えるのを諦め、ゆっくり立ち上がった。ゴンドラを揺らさないよう、慎重な足取りで私の隣に移動してくる。

 体温が伝わる親密な距離に耐えかね、私はうろうろと視線を彷徨わせた。


「これで聞こえる?」


 さすがにこの距離なら大声を出さなくても聞き取れる。

 無言で頷くと、蒼はかすかに微笑んだ。


「前来た時、真白は俺のこと何とも思ってなかっただろ。楽しそうだったけど、それだけで、俺だけがドキドキしてたから。今日はリベンジしたかった」

「……リベンジ成功だね」

「うん。さっきからそわそわしてるの、可愛い。ほっぺ赤いのも、目が合うと俯くのも、全部かわいい」


 逃げ場がない、だと!?

 息苦しくなって、大きく深呼吸しようとした私の頬に、蒼の冷たい手がかかる。


「こっち見て、真白」

「無理! 恥ずかしい……」

「お願い」


 しぶしぶ蒼の方を向く。

 視線は喉仏に固定した。


「キス、していい?」

「意地悪だ」

「そうかな」

「そうだよ。いつもはわざわざ聞かないのに」

「んー。でも今日は聞きたい。ねえ。キスしていい?」


 意を決し、いいよ、と呟く。

 濡れた水色の髪が視界を横切る。ぎゅっと目をつぶると、ひんやりした唇がそうっと押し当てられた。

 私を気遣うみたいな優しいキスに、肩の力が抜ける。

 

 目を開けようとしたところで、また触れられた。慌てて目をつぶる。何度か軽いキスを繰り返していくうちに呼吸するタイミングが掴めなくなってきて、小さく口を開いた。

 息継ぎの隙を待ち構えていたみたいに、下唇をペロリと舐められ、甘噛みされる。


「んっ」


 瞬間、背筋がピリリと痺れて、思わず蒼の胸に手をついてしまった。

 それで離れてくれるかと思ったけど、そんなことはなくて、ますますキスは深くなった。後頭部に長い指が差し込まれる。頭皮を擦られる感触に、ゾクゾクする。逃げられないようしっかり縫い止められた上で、熱い舌に掻き回され、わけがわからなくなった。


「残念。時間切れだ」


 ようやく解放された頃には、私はぐにゃんぐにゃんのクラゲ状態だった。何度も息を吐きながら、いつの間にか握り締めていた蒼のシャツから手を離す。シャツは皺くちゃになっていた。

 骨抜きにされるって、あれ。ものすごく的確な比喩表現なんだとしみじみ思った。

 

 蒼の視線につられて外を見ると、地面がすぐそこまで近づいてきている。

 係りの人の合羽が窓越しにぼんやり見えた。

 

「なっ……っ! ば、ばかー!」

「そんなに慌てなくても、この雨じゃ誰からも見えないって」


 蒼は私の髪を手ぐしで直し、そのまま唇に手を滑らせると、固い親指できゅっと拭う。


「それより、その顔なんとかしないと」

「誰のせいだと!」

「うん、俺のせい。だけど他の奴には見せたくないから、蕩けた顔やめて。……家に帰ったら、またいっぱいしようね」


 ね、のところで蒼はあざとく小首を傾げた。

 中身は猛獣だって知ってるのに、懲りない私は何度でも「可愛い!」とトキめいてしまう。

 帰りの車で「私はいっぱいいっぱいだったのに、蒼は涼しい顔してたの、ムカつく」と文句を言ったら、蒼は真顔になった。


「そんなことない。俺もかなりヤバかったよ。実際ちょっと」「うわああああ! もういい! もういいです!」


 ボクメロは18禁ゲームじゃなかったはずなのに、なにこの綱渡り感!

 言葉責めの羞恥プレイとかハードル高すぎる。

 

「蒼、大人になっちゃったね」

「今日で18だからね」


 ドヤ顔で言った蒼の額を、デコピンしてやろうと手をあげる。

 ところが流れるように手を掴まれ、手首の骨のところに音を立てて口づけられた。

 今日の蒼はいちいちやることが性的で、これが18歳か……と遠い目になった。発情期という言葉が脳裏をよぎる。


 もうずっとこんな雰囲気とは縁遠かったから、てっきりそういう方面には淡白な人だと思ってた。

 あとで蒼に言ったら「我慢してたに決まってるじゃん。健全な男子高校生は皆こんなもんだって」と涼しい顔で答えられた。


「みんな?」

「うん、みんな」


 そういうこと聞くと、休み明けから学校に行きにくくなるでしょ! もう!



 

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