24.崩壊(side:???)
カレが管理している世界はひとつではない。
【絶望】を司るカレは、自分好みの芳醇なソレを見つけることに長けている。
極上の餌を求め、あちこち飛び回っては、目をつけた供給者と契約を結ぶ。今までそうして渇きを満たしてきたし、これからもそうだろう。
その日カレは、契約者の一人であるハナカのところへ飛び、不安に彩られた無自覚な絶望を味わっていた。
孤独がますますソレを複雑かつ豊かな味に仕上げている。ただ、疲労の雑味はいただけないので、ゆっくり休養するようアドバイスしておいた。
ハナカは久しぶりに姿を現したカレを見て、大きな瞳をみるみるうちに歪めた。【憎悪】も嫌いな感情ではない。が、【絶望】には大きく劣る。
彼女の願いはきちんと叶えているのだから、一方的な忌避は理不尽だ。
ハナカとのやり取りを楽しんでいた真っ最中、意識が関係者の一人に反応した。
即座に切り替え日本に戻り、こちらに向かって歩いてくるマシロに目をやる。
合うはずのない視線がかち合い、カレはあっけに取られた。
カレの姿は本来、人の子には見ることが出来ない。理の中で生きる人の子とは、相容れない存在だから。
それなのにマシロは、まっすぐ自分を見つめていた。
仮初の身体をまさぐり確かめてみる。
何の異常もない。トビーを模した仮初の器は、今、現実には顕現されていない。
そもそも姿を見せることの出来る相手は限られているのだ。マシロには決して見えないはずだった。
「どこにも何もついてないですよ」
訝しげな声の持ち主は、それでも確かにカレを見つめている。
――奇妙なバグはしばらく前から確認されていた。
コンがコウの妹である以上、主人公がソウを選べば、バッドエンドは確定したも同然。ハナカの最終イベントを待たずして、彼女の大事な妹が損なわれる確率は100%に近かった。
海を隔てた遠い土地で悲報を耳にするハナカを想像し、カレは昂ぶる愉悦に期待を膨らませたものだ。
ところがマシロは何故か、主人公の行動をなぞらない。
なぞらないどころか、大きく逸脱した行動に出てくる。
難聴ヒロインは、女性向け恋愛シミュレーションゲームにおいて基幹をなす重要なファクターであるはずなのに、マシロの耳はおそろしく良かった。
しかもマシロは、諦めることを知らなかった。ソウの発するSOSを聞き逃すことなく、一途な愛情で包んでいく。
ソウ自身さえ持て余す底なしの欲望と身勝手な執着が、本来の彼が持つ正の気質に塗り変えられていってしまう。
マシロが愛着障害について調べ出した日には、胸の穴から大切なご馳走が漏れたほどだ。
愛、癒し、和解はカレの天敵だった。
身の毛がよだつ思いを味わわされ、カレは強烈な空腹に襲われた。
『なんでこうなるかなぁ』
脱力したカレの声が聞こえたらしく、マシロは顔色を変え、怯えた。
驚いたのはカレの方だった。
契約を結んでいない人の子が自分の声を拾うなど、初めての体験だったのだ。
マシロはすでにコンとの絆を最大値まで深めている。そのせいで起きたバグなのだろうか。
自分の作った世界ではあるが、カレがルールの全てを決定しているわけではない。
【世界の成り立ち】はカレの、そして【現実】は人の子の味方だ。
それからも幾度か、マシロはカレの声に反応した。
思わぬ方向へと【現実】が動いていく手応えに、カレは興奮を抑えきれなかった。退屈は嫌いだ。これほどまでに予測不能な変化を見せる世界を作ったのは、これが初めてかもしれない。一体どんなご馳走を産んでくれるのだろう。
ここにきてなおカレは、己の勝利を信じて疑わなかった。
マシロがコウを選んでいれば、勝率は五分。
だが彼女はソウを愛した。勝率ゼロの世界を選び取った。
ぎりぎりまでこの世の春を謳歌すればいい。光が強ければ強いほど、全てを失うと分かった時の絶望は深くなる。
直接マシロのソレを味わえないことは残念でならないが、精神崩壊した妹を目の当たりにするハナカを思えば、期待と歓喜で胸の穴が疼く。
カレは常に腹を空かせている。
だからといって、安っぽい餌で満足する気はさらさらない。
醸成期間が必要だというのなら、たとえ100年かけても構わないのだ。理を外れたカレに、時は意味をなさないのだから。
「理事長?」
カレは追憶から立ち戻り、さらに混乱した。
そうだ。こんなことは起こるはずがない。
起こってはならない。
主人公の記憶を呼び出し、彼女の取ってきた行動全てを複製してみる。そして、それらをボクメロ進行と照らし合わせた。
一瞬のうちに、結果は出た。
――【世界】の出した答えは、全イベントの進行不可
カレは、丁寧に作り上げた世界の反逆を、たった今、突きつけられた。
【世界】は創造主の手を離れ、【現実】に侵食され始めている。
主人公であるマシロは、あくまでこの世界限定ではあるが、今やカレと同等の存在となってしまった。
彼女はいつでも自分に接触できるし、取引も可能となる。
ハナカの賭けた質からも自動的に外れた。マシロの預かり知らぬところで結ばれた契約だからだ。
なんてことだ。
全く採算の合わない契約書にサインしてしまったようなものではないか。
カレは契約を結んでいない人の子を、遊戯盤の向こうに据えなければならなくなった。
ちっぽけな人の子相手に対等な遊びを強いられるなんて、かつてない屈辱だ。
こうしている間にもマシロと彼女が導く【現実】に食い破られていく【世界】に、カレは地団駄を踏んだ。
マシロにはトビーが異常をきたしたように映ったのだろう。
脱兎のごとく、走り去っていく。
いつもなら、逃げて行くマシロの背後にぴったり貼り付き、滑稽な動転っぷりを笑ってやるのだが、そうすることさえ出来なくなった。
マシロを観察して遊ぶことはもう出来ない。
彼女にはカレが見えてしまうし、マシロへの過干渉はカレの分を超える。
次にマシロと対峙するのは、契約者であるハナカの決着がついた時。
それまでは、ちっぽけな人の子から逃げ回らなければならない。
カレはマシロが去っていった道の果てを睨みつけた。
なんと忌々しい人の子であることか。
救いは、直接契約を結んだハナカとの賭けは最後まで有効なこと。
せめて、学内コンクールでの直接対決を避けられないものにしてやろう。
それくらいの力は、まだ残っている。
マシロ。
君はその時、選ばなくてはならない。
ハナカの命か、ソウとの未来か。
努力すれば全てを救えるなどと、甘いことを考えそうな少女だ。
きっと苦しみ、もがくことだろう。
マシロが苦悩に喘ぐ姿を間近で鑑賞できないことが、本当に残念でならない。




