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新聞で読んだトイレの記事

平成二十九年十一月二十七日の『朝日新聞』朝刊を読んで。

 新聞を読んでおりましたら、国際の欄でトイレの話が載っておりました。インドのトイレ事情です。

 う~ん、水洗トイレは恵まれていて、今でもトイレ事情は近代化されていない地域が世界にあるとか、以前ここのエッセイで書きましたが、ああ、色々な理由が重なってインドでは携帯電話の普及率が八割になっても五億人を超える人々が野外で用を足しているのだと知りました。

 キレイとキタナイの感覚は人によっても違いますが、生活感覚や宗教観でも違ってきます。日本人が、欧米式にお風呂とトイレが同じ場所にあるのはおかしい、部屋でおまるに用を足して窓から捨てるなんて信じられないと感じるのと同じように、きっとインドのヒンドゥー教の浄・不浄の感覚は厳しく、単なる清潔・不潔では済まされないものがあるのでしょう。だって新聞の記事に、ヒンドゥー教の「浄と不浄」という観念は強く意識されているとあります。牛の糞は不浄とみなされないが人の排泄物や汗は不浄とされ、トイレは家にあってはならない、排泄に用いた水は家から離れた場所で処理すべきと古代インドの経典に記されているそうです。

 お家にトイレがないので、毎朝家を出て徒歩二十分の川辺に行って茂みに隠れて用を足す主婦のお話。子どもが用を足すのに親が付き添わなくては危険、ただでさえ、子どもの連れ去り行方不明があり、野外での排泄が主な原因とされる感染症で幼い子供が年間約十二万人亡くなっている、とあります。

 そして最近インドで物議をかもしている集団レイプの話。十代の少女二人が夜にトイレの為に外出して、襲われ、殺された事件までありました。多分、新聞に載せられているのはほんの一例なのでしょう。

 どうしてそこまで事件や事故が多いのに、トイレ事情が改善しないのでしょう。まずは生活の場の近くに不浄の場を作ってはいけないという宗教観と不浄観がある為に、どうしても家の側や中にトイレを作るのに抵抗があるのでしょう。そして汲み取り式は定期的に汲み取りをしなければやはり臭いと感染症の元ですので、怠れば、元の木阿弥、そこらへんの茂みで用を足した方がマシに戻ってしまいます。

 そしてインドのトイレ掃除を担当してきたカースト階層の人たちが今もいるそうです。法律で禁止されていても、既得権だと主張する人もいれば、そうして掃除して収入を得るのがその階級には当たり前と見ている人もいる訳です。

 公衆衛生の教育と上下水道の敷設はどこの国でも大切だと大いに感じます。記事に添えられた写真の説明に、食べた後の食器も不浄とされるとあり、食器の洗い場とトイレが壁一枚で隔てられた水場の写真がありました。

 同じキタナイでも、洗濯も食器洗いも沐浴もトイレも同じ、もしくは隣り合った水場でしちゃ駄目ですよう。

 宗教とともに慣習は科学的に説明を加えても、なかなか改められないものだとしみじみ思います。理屈じゃきちんと洗浄して二回以上消毒すれば尿瓶でビールが飲めると解っていても、実行できる人はなかなかいないですからね。

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