朝ドラ、どら
令和三年の年末、良人が有休をとって早目の年末休みになった。
「映画に行こうか? 何か観たいものあるか?」
と問われたので、公開中で気になる作品を三つばかり挙げた。しかし、良人の気に入るものがなかった。
「『護られなかった者たちへ』を観に行きたい」
との一言。じゃあ何故わたしにどの作品がいいか尋ねたんだろう。でも以前から『守られなかった者たちへ』に興味がある、観に行きたいと言い続けていたのだから、ここは良人に付き合うべきだと思った。
「じゃあ、あなたの観たいものでいいでしょう」
と応じたが、残念そうな顔になっていたのだろうか、良人は別の日にわたしの観たい映画を観に行けばいい、と提案してきた。断る理由はないし、年末、ほかのすべきことに影響はない。こうして、わたしたち夫婦は年末に二日連続で、『護られなかった者たちへ』と『きのう何食べた?』を観に、同じ映画館に出掛けた。
『護られなかった者たちへ』は、生活保護担当の公務員が監禁された末の餓死で立て続けに二名亡くなり、それを発端とした東日本大震災の残した爪痕が……という内容であるのは事前に知っていた。福祉行政の問題点を浮かび上がらせた話で、舞台が宮城県であるのに大きな意味があるのか、と感じられて、わたしは良人ほど興味惹かれなかった。
まあ、映画のみどころは一つではない。
映画が始まり、大震災直後の避難所に身を縮めて座り込む人たちが映る。その中の一人に倍賞美津子がいて、佐藤健がいて、黄色のコートを着た子どもがいる。避難所に家族がいないかと駆け込んで探し回る阿部寛がいる。歳月を経て、阿部寛は宮城県警の捜査課の刑事であるのが明らかになる。阿部寛の相棒は林遣都、林遣都は慣れない現場の死臭に耐えられず吐き戻してしまう。廃屋で粘着テープなどで身動きできなくなった男性が餓死、状況からして拉致、監禁されての末とみられ、殺人事件として捜査が開始される。被害者は永山瑛太、第二の被害者は緒方直人、二人とも福祉、生活保護の担当をしていた公務員だった。生活保護の仕事をしていて、恨みを買うようなことがあったのだろうか。だが、仕事ぶりは真面目だったという。阿部寛と林遣都は永山瑛太の部下だった清原果耶の外回りについていって、どんな仕事をしているのかと観察し、福祉行政の問題に直面させられる。
見応えのある映画だった。
百匹の羊のうちの一匹が迷い、飢えたとして、九十九匹を放り出して、救おうと行動できるかどうか、百匹のうち九十九匹が助かればいいのか、それはいつも突き付けられる大きな課題だ。一匹の羊は弱り果てながら、自分の弱さを恥じて、救いを拒む。
役所の手続きは申請主義で出来ており、当人が申請の為に動かなければならない。だが、弱り切った人は助けてと声を上げる気力も判断力も失っていることの方が多い。
翌日は、また二人で『きのう何食べた?』。観客席の九割方女性客で、男性客は女性に連れられての様子。良人は気付かなかったそうで、まあ、気付かなくて良かったです。主人公たち二人の京都旅行がメインかと思ったのに、冒頭で終わっちゃった。西島秀俊と内野聖陽のカップルが楽しい。劇中に出てくる料理の一つはわたしも原作を参考にして作ったことがある、とか、京都の情景をもっと映してくれればいいのに、とか、感想を良人に伝えた。良人は内野聖陽は演技が上手いと開口一番言っていた。うん、それしか言えないかも知れないわね、ごめんよ。ジルベールが美少年のたとえと言ったら、どこが? のお返事で、ジルベール(役の俳優が)が女性だったら年長の恋人をわがままで振り回すのが、想像できるんじゃないと、説明した。
「料理とドラマとどっちがメイン?」
「どっちも」
帰宅して、テレビを点けると、『おかえりモネ』の総集編なぞ放送中なのでした。
「清原果耶の印象が違う」
「映画の撮影の方が先でしょう」
「内野聖陽、やっぱバンカーと美容師だとやっぱ違うよねえ」
小説や漫画が原作の実写映画、配役や演技がまた一つの楽しみ。佐藤健や清原果耶、林遣都、西島秀俊、内野聖陽、NHKの朝のドラマとは全く違った役柄に、流石だなあと、眼福なのだった。




