LES INSÉPARABLES
シモーヌ・ド・ボーヴォワールはフランスの哲学者で作家、同じく哲学者のジャン゠ポール・サルトルの公私に亘る伴侶で、『第二の性』はフェミニズムの古典とされる有名な著作。それくらいの予備知識はある。つい最近はEテレの『100分de名著』で『老い』を取り上げていた。
図書館の新刊コーナーにあった『離れがたき二人』(シモーヌ・ド・ボーヴォワール著 関口涼子訳 早川書房)は、未発表だった小説を、養女が最近出版したとかで、手に取り、わたしは初めてシモーヌ・ド・ボーヴォワールの著作を読んだ。
読み始めて、語りが拙い、と感じた。訳文がどう、ではない。語り手が九歳なのだ。語り手は九歳の少女のシルヴィー・ルパージュで、シモーヌ・ド・ボーヴォワール自身であるらしい。私小説、それもサルトルから出版の価値がないと評されて、今まで日の目を見なかったという。語り手が子ども時代から書き始めているからなのか、まだ文章がこなれていない若い頃の著作だからなのか、フランス人なら知っていて当然の背景が説明されていないからなのか、見当がつかぬまま、読み進めた。
第一次世界大戦が終了して、シルヴィーは学校の新学期に興奮している。生徒たちの懺悔を聞く神父や修道女がいるのが語られるので、私立の女子の学校なのだろうと、まずここから躓きそうになる。(つまりは裕福な家の子女が通う学校で、子どもが小さいうちは母親が登下校に付き添うし、教室で見学しながら待っていたりする)
シルヴィーはアンドレ・ガラールという同じ年齢の少女と出会う。大怪我の治療の為に学びが遅れているのでノートを見せてねと申し込まれる。シルヴィーは勉強熱心なお利巧さん。アンドレは学業優秀で好奇心が強い、個性的な少女だ。幼いながら教師に反抗的な態度を見せたり、発表会でおどけてみせたりと、ブルジョワの旧い道徳の染み付いた親たちや聖職者の教師を困らせる。シルヴィーはアンドレが示す感性にすっかり魅せられ、アンドレもまたシルヴィーを語り合える知性の持ち主と認めてくれたようだ。シルヴィーとアンドレは「離れがたき二人」と教師たちから名付けられる。
シルヴィーはアンドレがこの世の全てのように夢中になるが、アンドレにとってシルヴィーはそれほどでもなさそうで、シルヴィーは歯がゆい思いをする。
十五歳の長期の休み、シルヴィーはガラール家の別宅に招待された。アンドレの母、ガラール夫人はシルヴィーを好いていないのに、道中迎えに来てくれて、頼み事をしてきた。曰く、アンドレを隣に住む少年ベルナールと愛し合っていたのを別れさせた、幼い恋人同士は解るまいがそれぞれの家の事情があった、どうか娘の気を紛らわせてやって欲しい。
そんな事情に関わりなく、シルヴィーは傷心のアンドレに寄り添い、自分の想いを伝えた。アンドレは、母やベルナール以外にも自分を愛してくれる人がいると知る。心理的立場は逆転しつつあった。
二人は勉学を通しての付き合いは続き、大学に進む。シルヴィーは大学でパスカル・ブロンテルを学友に得る。アンドレにも紹介し、互いに打ち解け、アンドレとパスカルは親しさを増していき、シルヴィーは嫉視することなく見守る。しかし、アンドレはそれまでもあった不安定な様子が更に強くなっていく。いつも頭痛に悩まされ鎮痛剤を乱用し、食事に手を付けようとしない、飲酒と喫煙、薪割をして自分の足をわざと傷付けた。
シルヴィーの視線は冷静だ。ルパージュ家は父が破産し、シルヴィーは自活していかなくてはならないが、ガラール家はますます豊かになった。(アンドレの母がシルヴィーを好かない一因だ) アンドレは親の決めた相手と結婚するか、さもなくば修道院に入るか、と圧力を掛けられており、アンドレの姉マルーは年齢の離れたコブ付きの後妻にさせられそうだ。ヴァカンスのガラール家の別宅では、アンドレは終始客や家族に囲まれ、家事をし、孤独な時間を持てない。ピアノやヴァイオリン、文学に才能があるのに、その修練の時間も、親友と過す時間も得られない。親の眼鏡に適った男性たちが訪問してくるのが煩わしい。
アンドレはパスカルと結婚したいと望み、パスカルもそう希望する。シルヴィーはアンドレの相談に乗り、助言するが、若いシルヴィーはガラール家の内情に踏み込めない。アンドレも両親、特に母に思い切った反抗ができない。
第一次世界大戦後から世界恐慌直前、エコール・ド・パリと呼ばれた芸術家たちがパリにいた時代なのだが、シルヴィーやアンドレのようなブルジョワ、所謂良家の子女を取り巻くのは旧態依然とした道徳、家庭のあり方で、アンドレはそれに圧し潰されていく。
「離れがたき二人」と呼ばれたシモーヌ・ド・ボーヴォワールと親友エリザベート・ラワコンの友情と思い出を綴った短い小説は、脇目もふらず駆け足で通り過ぎていく若さ、それゆえの青臭い苦さがある。
過ぎてしまえば何とでも言える。でもその時は夢中だった。周りも自分をも巻き込んで、甘美な果実を手に取りたかった。何もかもが未熟で、世間にも親にも挑戦する術を知らなかった。これからの人生が長いはずなのに、時間がないと思い込んだ。悔恨と、成長を阻む旧さ、アンドレの母親もそれに苦しんだはずなのに、娘にも強いる人間の愚かさ、著者は冷めた視線の中に強い主張を潜ませた。




