縁は異なもの味なもの
大分昔に刊行されたエッセイに、『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』(塩野七生著、文藝春秋)があって、その中に、「第14章男女不平等のすすめ」がある。著者の塩野七生は、性別にかかわらず人は平等でなければならないし、法律はそう明文化されていなくてはならない、文筆業者として、能力差で原稿料に違いがあるなら受け入れるが、単に女性だからと原稿料が低くされるのは納得できないと述べる。そりゃそうである。エッセイは、男女間のセクシーな関係は非対称と言おうとしての表題で、読んでみて年代的にズレがある、と感じざるを得ない。
話の枕として、オノ・ヨーコが出てくる。
『 オノ・ヨーコ女史が、人伝てだから真実かどうかわからないが、こう言ったそうである。
「男女平等? なぜ優れている私たち女が、男たちのところまで下がってきて、平等にならなくちゃいけないの?」
さすがわが先輩と、学習院卒ということだけは共通している私は、吹きだしてしまったのだった。』
塩野七生(昭和十三年生)は学習院大卒、オノ・ヨーコ(昭和八年生)は学習院大に在籍したが卒業はしていない。学習院大から、アメリカ合衆国のサラ・ローレンス大学に編入した。
自分の信条を公の場で発言したとしても、それを実生活、特に家庭の中で実践できるかはなかなか難しい。
オノ・ヨーコの夫で一番有名なのは、ジョン・レノン(日本の元号で表すと昭和十五年生)。これも昔何かの本で読んだ覚えがあって、その本が今手元にないのでうろ覚えで記してしまうが、一緒に暮らし始めて、朝起き出したジョンが、ヨーコが新聞を読んでいるのを見ていささか不機嫌になり言ったそうだ。
「朝、新聞を読むのが自分の習慣だ。俺の習慣を尊重して先に読ませてくれ」
要は自分に合わせろと言った訳だ。
ヨーコは年下のジョンを甘やかすことなく、言い返した。
「新聞を読むのが習慣なのは私も同じ。あなたも私の習慣を尊重すべきだわ」
ジョンはヨーコの言い分を聞き入れた、そうである。
本当かしら、と思わないでもない。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコから受けたであろう影響やら、この二人の行動やら、後から知った人間だから、あり得るかも知れない、ビートルズやジョン・レノンについての詳しい書籍を当たれば出てくる逸話かも知れない、などと思う。
ドキュメンタリー映画『イマジン』でジョン・レノンが何かにつけてヨーコ、ヨーコと言い、彼の女が批判されればすぐに庇う発言をするのを観ると、ジョン・レノンはどれだけ彼の女を愛していたのだろうと、その熱量の大きさに驚く。
わたしが話のネタにするので持っている本の一冊に、『愛人百科』(ドーン・B・ソーヴァ著 香川由利子訳 文春文庫)がある。その本に、エドワード8世とかナポレオンとか、そういった世界史の王様のほか、ジョン・レノンの愛人だった女性が載っている。オノ・ヨーコではない。オノ・ヨーコとはダブル不倫であったが最終的に結婚している。ジョン・レノンの愛人として紹介されている女性は、メイ・パン。
ドキュメンタリー映画『イマジン』でもメイ・パンは出てくる。
ジョンとヨーコの関係が一時危機にあり、ヨーコがニューヨークに残り、ジョンがロサンゼルスに移った。「ロスト・ウィークエンド」と言われる期間だ。二人の秘書のメイ・パンは、ジョンのアシストの為に一緒にロスについていった。ジョンは世間知がないから、その点をカバーする為だそうだが、ヨーコから、ジョンにほかの女を近付けないように、求められたジョンとベッドを共にするようにと命じたのだと。そして、ジョンはメイ・パンを愛人にした。
こちらも本当かよ、と思う。
その後、ジョンとヨーコの仲は戻り、ショーンが生まれた。メイ・パンの身になってみればひどいとしか言いようがない。
男女平等、いや女の方が上、というヨーコ、メイ・パンは尊重される部類の女性ではないとでも考えていたのだろうか。
オノ・ヨーコ、小野洋子は銀行家の娘、母は安田財閥の創始者の孫娘。ヨーコ自身が記憶になくても、生まれた頃は大日本帝国憲法下。戦後の財閥解体後も、父親は銀行家として日本とアメリカ合衆国を行き来して仕事をし、家族もアメリカで暮らしたことがある。日本では学習院で学び、当時は上皇陛下やそのご姉妹が在学中。学習院大学からアメリカ合衆国の大学に編入するとこから見ても、高額納税者の家庭育ちだろうと推測できる。いくらか身分の意識があっただろうか?
しかし、それなら世界的有名人とはいえ労働者を父に持つジョン・レノンと結婚するだろうか?
そこは謎である。
朝新聞をヨーコが読んでいた話はどこかに載っていないかと、ジョン・レノンの評伝を読んだ。(『ジョン・レノン伝 1940-1980』藤本国彦 毎日新聞出版)逸話の真偽は解らなかったが、「ロスト・ウィークエンド」の切っ掛けの一つになった事件が載せられていた。
ビートルズを解散して、アメリカ合衆国に移住したものの、反戦活動などでニクソン政権から睨まれて、国外退去を命じられたり、コンサートを酷評されたりで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの夫婦は追い詰められた。ニクソン大統領が再選されたニュースが流れた夜、泥酔したジョン・レノンが行きずりの女性を部屋に連れ込んだ。ヨーコやセッションの仲間の見ている前でだ。
ジョン・レノンは土下座してヨーコに謝った。
そのページを読んで、わたしはすぐに検索してしまった。「ジョン・レノン 土下座」で検索したら、写真が出てきたし、どんな状況だったかの記事も出てくる。
これではオノ・ヨーコならずとも、しばらく別居しましょうと言いたくなる。ジョンを蹴ったり踏んだりしなかったのだろうか。
で、ヨーコはニューヨークに残り、ジョン・レノンはロサンゼルスへ。
ヨーコと離れたジョンの許には、前妻シンシアと長男ジュリアンをはじめ、ポール・マッカートニーやリンゴ・スターが訪れた。
でも、結局ジョンはヨーコとよりを戻した。四十を過ぎたヨーコが出産すると、ジョンは家事と育児に専念。
愛情の形というか、夫婦の形ってそれぞれとはいえ、すげえなあ、と既婚の身でも感じてしまう。




