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二人のメアリ

『フランス革命期の女たち 下』(ガリーナ・セレブリャコワ著、西本昭治訳、岩波新書)の最後の章は、「メアリ・ウルストンクラフト」です。このメアリという女性はイギリス人で、フランス革命期にフランスに渡り、現地で著名な人々と接触はありましたが、革命で何かの役割を果たしたとは言えません。何故わざわざ「フランス革命期」と題する本の中に著者は彼の女を入れたのでしょう?

 メアリ・ウルストンクラフトはエドマンド・バークの『フランス革命の省察』に対して反論である『人権擁護――バーク氏への手紙』を著し、ついで『女性の権利の擁護』を発表したイギリスの女権拡張運動の先駆者として名を残しています。だからなのでしょう。

 ガリーナ・セレブリャコワの本の内容をそのまま辿ると、メアリの父は親から一万ポンドの遺産を受け取りながら、あちこち事業に手を出してみては失敗して素寒貧になり、飲んだくれて、妻に暴力を振るう男性。母は配偶者の暴力に晒されて無力であり、子どもたちに拳骨をくれたり、叱り飛ばすしかできない女性。その間に生まれたメアリは親切な牧師から教育を受け、長じて有閑階級の婦人のコンパニオンで働く内に、その屋敷の蔵書を読んで教養を身に付け、自分を育てていきました。

 アメリカの独立戦争があり、フランス革命があり、世の中の不平等に目を向け、手探りながらも、世の中を良くする為には、特に女性には教育が必要だと考えるようになっていきます。

 イギリスから大陸に渡って、画家で著述家のフュースリに想いを寄せ、恋文を贈るものの、相手にされなかったと書かれています。

 フランスでアメリカ人の退役軍人ギルバート・イムレイと内縁関係になり、女児を出産します。イムレイとはその後破局し、イギリス、ロンドンでメアリはテムズ川に身を投げます。自殺は未遂に終わります。その後無政府主義者のウィリアム・ゴドウィンと結婚しました。メアリは今度ゴドウィンとの間に女児を出産し、産褥熱で亡くなりました。

 ゴドウィンは忘れ形見の娘に、母と同じ名前を名付けました。

 ゴドウィンとメアリ・ウルストンクラフト、メアリが妊娠した為に、生まれてくる子が私生児では将来色々大変になると、日頃の主義主張を曲げて、教会で結婚式を挙げたので、言行不一致と、付き合いを断った人がいたそうです。

 ゴドウィンはその後、クレアモント未亡人と再婚します。未亡人は娘メアリと同年齢のクレアという連れ子がいました。

 娘メアリは十六歳の時に、ゴドウィンの許に出入りしていた詩人のシェリーと恋に落ちます。しかし、シェリーは若いながら、妻子がいました。

 旧来の制度は人を縛るだけ、人間は自由に生きるべきだと主張していても、それを実践するのは相当勇気が要ることです。実際ゴドウィンは交際している相手が妊娠したら、結婚しました。そして今度は娘が、「恋愛は自由」とばかり、妻子ある男性と一緒になりたいと言い出したのです。

 ゴドウィンは二人の仲を反対します。この時に母親のメアリ・ウルストンクラフトが生きていたら何と言ったのだろうかと興味が湧きますが、やはり歴史に“if”はないようです。

 十六と二十一、二の若さで、メアリとシェリーは駆け落ちします。メアリと仲良しの義姉妹、クレアも一緒に付いていきました。

 途中、メアリが出産して、最初の子を亡くし、第二子を出産した頃に、スイスに暮らすバイロン卿の別荘に赴きます。バイロン卿も数々の醜聞に塗れて、イギリスから逃げ出していました。『ディオダディ館の幽霊会議』が行われる場所です。

 続きます。

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