ローマン・ホリディ
下の子が専門学校の研修旅行でイタリアに行きました。学校行事で海外に行けるのだから羨ましい。
ローマの名所の勉強で『ローマの休日』を観ようと、録画していた映画を観ました。途中で飽きて、下の子はゲームをしてましたね。映画のオープニングを観てアレレ、ビリー・ワイルダー監督かと思い込んでしましたら、ウィリアム・ワイラー監督だったんですね。オードリー・ヘップバーンのモノクロ映画だと、『麗しのサブリナ』と『昼下がりの情事』の印象が強い所為かしら。ウィリアムの愛称の一つにビリーがあるからの勘違いかも。
オードリー・ヘップバーンが可愛い、でもお相手役の新聞記者役のグレゴリー・ペックが王女様がときめくような男性かなあ、まあいいや、冒険で出会った紳士だから。王女様の髪をキュートなショートカットに仕上げた床屋さんやグレゴリー・ペックの同僚のカメラマンがなかなか美味しい役どころ。その二人が美青年タイプだったらまた違った展開になってかも知れませんねえ。
お付きの者たちの会話から、オードリー・ヘップバーン演ずるアン王女は将来女王になると決められていると察せられます。ヨーロッパの小国の王族として、尊き責務を果たす為、外遊中のキツキツのスケジュール。
アン王女は就寝前に泣き出してしまい、侍医が睡眠薬を処方します。アン王女は眠くないと、大使館を抜け出すのですが、抜け出したら、薬が効き始めて、ふらふらとベンチに横になってしまいます。仲間とのポーカーゲームから一抜けしたジャーナリストが見付けて、若い娘がどうした、家に送っていくぞと懸命に起こそうとしますが、アン王女は帰りたくないのと、眠気とで意味の通じないことばかり言います。仕方ないので、ジャーナリストが自分のアパートに連れていって、ベッドと寝椅子と別々にお休みします。
一夜明けて、ジャーナリストは取材に行くはずのアン王女が急病で会見が中止されたと顔写真入りの記事を上司から見せられます。
ぱっと特ダネひぃろった、と思い付くのでした。ですが……。
お笑いシーンがところどころにありますが、至って真面目なお話です。アン王女は自分が戻る場所を知っています。義務を忘れませんでした。詰まらない挨拶回りだったはずの旅が、人生観を変えるほどの旅となりました。
アン王女がジェラードを食べていたスペイン広場、現在飲食禁止。アン王女ジェラード部分を食べ終わると、コーンをポイ捨てしていました。汚されたくなかったら、飲食禁止になっちゃいますね。
清水義範の『映画でボクが勉強したこと』(幻冬舎文庫)は映画のエッセイで、勿論『ローマの休日』も語られています。映画愛に溢れたいい本です。
『ローマの休日』の回で、清水義範はドキリとするような話を書いています。
「今から十五年以上も前のことだ。出版社に勤めて編集者をしている友人から、こういう話を聞いたことがある。ある中学生の女の子向けの雑誌が、小説コンテストをしたのだそうである。友人は駆り出されて、膨大な数の応募小説の下読みをやらされたのだ。
「ところが、ほとんどの作品が実によく似た筋なんで、ゲンナリしているんだよ」
「どういう筋なんだ」
「王女様がお城を抜け出して冒険と恋をするっていうストーリーだ」
その小説コンテストがあったちょうどその時期に、テレビで「ローマの休日」が放映されたのである。そして、あれを観てしまえば少女たちはもう、あれより素敵なストーリーなんて考えられないわけである。」
清水義範がこの話を書いたのが平成になったばかりであるから、このエピソードは昭和の五十年代か、四十年代の終わりくらいでしょう。
今年の一月下旬に山形市での「山形小説家・ライター講座」(平成九年から山形市で「小説家になろう講座」の名前で始まった講座ですが、こちらのサイトが「小説家になろう」を商標登録した為に、先行していたにもかかわらず、講座名を変えています)で、その時の講師が三浦しをん、司会が評論家の池上冬樹でした。池上冬樹は現在「山形小説家・ライター講座」の講師兼世話役をしています。
その池上冬樹が、三浦しをんに「公募小説に流行や傾向がある」と話題を持ち掛けていました。三浦しをん、公募小説の選考委員に名を連ねていても、ふるいに掛けられて残ったいい作品を読むのでしょうが、評論家の池上冬樹は下読みもかなりしているようです。
「八割方同じような話ばかりの公募があった」
と言っていました。
三浦しをんはそこまではっきりとは言いませんでしたが、「女性向けの作品だと、シングルマザーもの、不倫もの、傾向が出てくるのはある」との言。
流行りの題材を使うのは悪いことではない、しかし、違う観点から見詰める、そういった面を忘れないで欲しいと、三浦しをんは付け加えていました。
物語に定型はあります。しかし、違うテーマ、違う展開を持ってくる工夫を考えないと、単純に登場人物の名前を張り替えただけのコピーになってしまう、そんな危険があります。
『ローマの休日』のような名作は、その後に続くお手本でもあります。お手本は大事ですが、そこから如何に独自色を出していくか、簡単なようで難しい。




