ちょっとした歴史の小ネタ
わたしの本棚に塩野七生の『サイレント・マイノリティ』(新潮社)があります。冒頭の章に、『マイノリティ“宣言”』があります。昭和五十年代新潮社で新しい雑誌を創刊するので、連載を頼まれたと書かれています。その雑誌の名前が『新潮45+』(その後の編集長の交代や路線の変更で+が取れたらしい)で、塩野七生は私は四十五になっていない、嫌だと断ったとあります。そのうちなりますと、編集者が平然と答え、実際四十五歳目前だった塩野七生が口惜しがるのです。
この頃物議をかもしたあの雑誌の号を購入していなければ、読んでもいないので、何も言えないのですが、『新潮45』は創刊当時、中高年の男性読者を意識した雑誌だったとなんとなく見えてきます。
雑誌が人気のコーナーに引っ張られて傾向が変わる、編集長の意向によって変わる、売れ行きの為に過激になる、珍しいものではないです。ただ、休刊にする前に、きちんとその雑誌の中で清算しておくべきだったんじゃないかと思います。『週刊新潮』だって、色々裁判沙汰になっても廃刊になってないじゃないですか。
『サイレント・マイノリティ』の中の一章、「ラヴ・ストーリー」はわたしの連載物に出てくる洋裁店の女主人のモデルなんだけど、一言呟いておきます。
連載物は1867年のパリの万国博覧会中なのです。パリに多くの国からの貴顕が集まってきます。日本からは当時の将軍徳川慶喜の弟の昭武とその一行が滞在しています。ヨーロッパ各国の王室や貴族、それにトルコのスルタンも来仏したと記録されています。
当時のオスマントルコ帝国のスルタンはアブデル・アジズと『サン・シモンの鉄の夢絶景、パリ万国博覧会』(鹿島茂、小学館文庫)に載っていました。マフムト2世だか、モハメッド2世だかと呼ばれたスルタンの子か孫かなと検索しましたら、息子でしたね。
何故こんなことを気にするのかと言えば、塩野七生の『イタリア遺聞』(新潮社)の中の「ハレムのフランス女」と「宝石と宝飾」の中に、マフムト2世の母親の話が出てきます。また、『ハプスブルグ宮廷の恋人たち』(加瀬俊一、文春文庫)の中にも「絢爛たる亡霊」とマフムト2世の母の話に一章割いています。
マフムト2世の母は、ナポレオン1世の最初の妻、ジョゼフィーヌの従妹のエイメ(エメ)だと紹介されているのです。ジョゼフィーヌの従妹のエイメはフランスの修道院で教育を受けて、その後、生まれ故郷で両親の暮らすマルティニック島に帰る船旅の途中海賊に襲われ、消息不明になってしまいました。海賊はエイメが若い美人であるだけでなく、金髪で貴族の娘と知って、略奪品を粗略に扱わず太守に献上、太守はスルタンに献上と、遂にスルタンの後宮の一員になります。
スルタンは結構年上で、親子ほど年齢が違い、覚えめでたくエイメは男児マフムトを産みますが、オバチャンな年齢になる前に未亡人となりました。後を継いだのが、甥っ子のセリム。このセリムはエイメとほぼ同年代。クー・デタがあってセリムが廃され、マフムトの異母兄ムスタファがスルタンになります。でもムスタファも長く持たずに殺され、エイメの子マフムトがスルタンの地位に就きます。
エイメは従姉のジョゼフィーヌがどんな一生を送ったか知っていたのか、そして自分がどのような境遇で生きているのか血縁の者に知らせる術があったのか、それはよく解らないようです。ハレムに入ると元の身分は高くても奴隷なので、そもそもマフムト2世の母がエイメであると断言できるのか確証がない……。
歴史の小ネタとしてはジョゼフィーヌの従妹が海賊にさらわれ、トルコのハレムに入れられて、寵愛を受けて、後にスルタンになる男の子を産んだ、セリムとプラトニックな恋愛があった、息子がスルタンになってからは、裏からジョゼフィーヌへの援助、またはナポレオンへの復讐をしていたと、妄想して楽しんでしまいます。




