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そう言われた瞬間、私は思わず「え」と固まってしまう。
リチャード母は驚いている私に優しく微笑み、話を続けた。
「見ていれば分かるわ。貴女よりも随分と長く生きているのよ」
……これは私が彼女を侮っていたかもしれない。
普通の人だ、なんて思っていたけれど、元々貴族だった人だ。その人が、家族との縁を切って平民と結べれたのだ。
好きな文章があそこだと言ったことも、大衆受けを狙って答えたと思われていてもおかしくない。
最初から正直に自分の好きな部分を言っていた方が良かったかも……。今からでも遅くないか……。
「……ありきたりな文章じゃないですか。『私は雲になる』って。普通だったらこれほどまでに有名になんてならない。……それなのに、今もなお彼女の詩集が読まれているのは、彼女がその詩を最後に亡くなったからだと思うんです。『私は雲になる』って病気と闘っているように受け取れなかったんですよ。……それに、闘病していたなんて情報はなかった。フェディーは上流貴族だった。娘が自殺だなんて公表できるわけない。だから『病死』と公表して、彼女の詩を世に出した…………と思ったんです」
私の言葉にリチャード母は難しい表情を浮かべた。一呼吸置いて、言葉を発した。
「どうして上流貴族が自ら命を絶つ必要が? 何不自由ない生活、欲しいものは全て与えられる人生、不満なんてないでしょう?」
「夫人はどうしてフェディーの詩集が好きなんですか? どこか共感できた場所があったのでは?」
「……いい質問ね」
平民より貴族の方が富や権力を持っている。だが、貴族よりも平民の方が自由だ。貴族が自由になりたくても、それはお金では買えない。
「あのままだと息が詰まって死ぬかと思ったのよ。……窮屈な日々にうんざりして、私は家を出たの。遠くへ行きたかった。それこそ雲の上ね」
彼女はそう言って、どこか寂しそうに嬉しそうに口角を上げた。
家を出た、と簡単に言ったが、どれほど勇気のいる行動だったのだろうと思った。今までの華やかな生活を断ち切り、新たな一歩を歩む行動力があるようには見えなかった。
……人は見かけによらず、とはこのことね。私もきっと、彼女にそう思われているだろうけど。
「家を飛び出したはいいけど、行く当てなんてない。街に知り合いがいるわけでもないし、庶民のルールみたいなものも知らない。けどね、当時私はとてもワクワクしていたのよ。最小限の荷物を持って、街へ出るなんて大胆なことを人生でするなんて! って」
「最高の決断ですね」
「そうよ。後悔はしてないわ。……街を彷徨っていると声をかけられたの。それがジョルジ。その日、ジョルジと出会っていなければ、私はきっと元の生活へと戻っていたでしょうね」
まるで恋愛小説に出てくるような運命的な出会いをしたんだな、と思いながら、彼女の話を聞いた。




